雑音がピチピチと激しく鳴り続けたので、パソコンのトレイから入れたばかりのCD-Rを引き出した。調べてみると2枚だけ空のが見つかった。
それで今聴いている2番目のステージを録音しようと思ったのだ。1階のノート・パソコンで先ほど試すと、ウィンドウズのメディア・プレイヤーを起動して書き込みを開始してもうんともすんとも言わない。書き込みの出来ないドライヴなのだろう。ネット・オークションで4000円程度で買ったので、たぶんそうだろう。それで2階のデスク・トップ・パソコンで試すことにしたのだ。こっちは書き込みが出来るドライヴを筆者が買って搭載した。ほとんどその機能を使わないが、いざとなった時になくては困る。それで、USBスティックをパソコンに差し込むと、10秒くらいしてからそれがパソコンに認識され、ステージの音源やライナー・ノーツの画像が入ったファイルが開けるようになる。そうしてその中のどれかをメディア・プレイヤーの右端の欄にペーストで移動させる。するとその途端にその欄に曲目がずらりと表示され、またただちに演奏が1曲目から自動的に始まる。その要領がわかって気が楽になった。また、それが出来れば次にCD-Rに複写と考えるのは妥当だ。そしてそれが可能かどうかだが、前述の右端の欄の一番上には、「再生」と「書き込み」と「同期」という3つのボタンがあり、ファイルを移動してペーストした時には、筆者の場合だけかどうか、「再生」となっているので、自動的に演奏が始まる。その状態でCD-Rをトレイに入れ、「書き込み」ボタンを押すと自動的に書き込みが始まるかどうかだ。だが、そうはならなかった。「書き込み」のボタンを押すと、書き込むべき音源をやはり右端の欄に移動ペーストする必要がある。それでそうして、書き込み開始を始めると、最初に書いたように連続した雑音が生じ始めた。これは何かがおかしいのであって、メディア・プレイヤーを停止させるしかないが、その操作をすると、情報が失われる可能性があると表示された。USBスティックの中身なのか、それとも移動ペーストしたファイルなのかわからない。しかも画面が白濁したままで、フリーズ状態だ。どうしようかと迷ったが、メディア・プレイヤーには関係のなさそうなCD-Rを指し込んだトレイを開け、中からそれを取り出した。すると画面の白濁が消え、メディア・プレイヤーを停止してもよさそうな雰囲気になった。雑音が出たということは、USBスティックのファイルの一部にダメージを受けた可能性があるかもしれない。今聴いているのはCD-Rに焼こうとしたステージではないので、その点はわからない。ちゃちなUSBスティックであるので、下手するとデータが取り出せないか、壊れることは簡単にあるだろう。それが心配で別のものにコピーしたいが、CD-Rは筆者のパソコンでは無理かもしれない。また、CD―Rを差し込んで書き込みを開始した途端、画面左端の欄に表示される2時間以上ある曲目が自動的にディスク1と2に分類表示された。これはCD―Rに焼くことを当然のこととしたザッパ・ファミリー側のプログラミングだろう。それで、おそらくまずはメディア・プレイヤーコピーしたいファイルをダウンロードし、それからUSBスティックがない状態でCD-Rを差し込めばいいのではないか。CDを複写する時の理屈で言えばきっとそうだ。6つのステージ全部はパソコンに入らなくても、ステージごとならどうにかなるだろう。ひとつのステージを記憶させ、その複写が終われば別のステージと交代して行けばいい。まだ試していないが、きっとそうだ。だが、終日パソコンを使っている筆者はステレオを鳴らす機会がほとんどない。そのため、CD-Rに焼いてもめったに聴かないだろう。
さて、アマゾンが数千万曲の音楽を毎月1000円ほどで聴き放題出来るサービスを始めた。もうCDを買う時代ではなくなって来たのかもしれない。今回のボックス・セットもそのうちアマゾンのそのサービスの対象になるはずで、アーメットもそうした時代を見越して今回の発売を決めたのだろう。CD10数枚組で発売すれば2,3万円の価格になるし、それではファンは買わないので、USBスティックにした。またそれも近い将来に売れにくくなるかもしれず、アーメットなりに先を読んでいる。どのような曲でも聴き放題で月1000円は安いと思うが、一方でYOUTUBEは映像つきでただであるから、1000円でも高いと感じる人もあるかもしれない。筆者はジャケットを楽しみたい方なので、音楽の聴き放題は何となくさびしい。ジャケットの手触りが思い出となっているからだ。パソコンの画面上でジャケットが見られても、それは視覚の情報が得られるだけであって、触覚や嗅覚とは無縁だ。それが音楽と関係あるのかと言われるかもしれないが、筆者のような世代はジャケットに入ったレコードやCDに馴染んで来た。音楽は聴いて楽しむものであるし、その楽しい記憶は確かに脳の喜びだが、音だけをダウンロードして楽しむのは、何かを大いに損している気分になる。自分が幽霊になったような気もする。ちょうどグーグル・マップのストリート・ヴューを眺めることに似ている。それはそれで楽しいし便利だが、実際の道を歩くこととは違う。見てわかったつもりになることは危うい。見ることだけが人生の経験のすべてではないからだ。音楽もそれと同じと言えば、若者からは反感を買いそうだが、本と同じように、パソコンのない時代でも、また場所でも、レコードは持ち運びが出来て、ちゃちなプレイヤーで聴くことが出来た。コンパクトな物におじなり音楽が詰まっていることの便利さを人間は絶対に忘れないのではないか。ともかく、今回はハロウィーンのライヴ音源の発売で、それなら物として仮面やザッパのボディを印刷したビニール製のポンチョもということになったから、別の時期の演奏では何を物としてつけるかが問題となり、アーメットは頭を絞ることになる。そう考えると、USBスティックでの発売があまり増えるとは思えず、また発売されるなら、商品としてどういう趣向を凝らすのか、ザッパとはあまり関係のないことで関心が強まる。時代は変化し続けているから、ゲイルに代わってアーメットが社長になったのはよかったと言える。筆者には思いつかないようなアイデアを商品に込めるだろう。
昨夜古い資料を読んでいると、77年のハロウィーン・コンサートは、最後のショーがTVとラジオで放送されたことがわかった。つまり、それを録音して海賊盤が出来たのだ。また、ザッパは映画『BABY SNAKES』ではメンバーが10数秒口ずさんだ「煙が目にしみる」の著作権料を支払う必要に迫れ、それが予想外に高額のため、泣く泣くその場面を削ることしたが、それをするにもまた金がかかった。仕方のないこととはいえ、わずか10秒かそこらの音楽の引用が許されないとは、これは著作権所有者がザッパのことを嫌っていたからではないか。その著作権所有者はザ・プラターズか、そうでなくても黒人と思うが、そのためにザッパは後に「ニグ・ビズ」を作って黒人の音楽商売を揶揄したのかもしれない。しかもその曲を黒人のレイ・ホワイトに歌わせたのは、ザッパ自身であれば身に危険が及ぶかもと考えた可能性もある。それはともかく、『BABY SNAKES』がニューヨークで最初に上映された時は「煙が目にしみる」のメロディは入ったままであったそうだ。それがすぐに横槍が入ったのだろう。その曲を誰が口ずさんだかと言えば、エイドリアン・ブリューではないだろうか。またステージではなく、楽屋でのことらしく、その点で本作には関係がない。また、本作は本当にステージの演奏をすべて収録したかと言えば、曲の間のちょっとした空きの時間は削っているだろう。そのほかにもザッパの精神に倣ってまずい箇所は修正出来る限り、その措置を施したと思う。そういう作業をジョー・トラヴァースは充分ザッパの作品によってノウハウを知っていて、商品として恥ずかしくないものに加工する思いが働いたはずだ。話を戻して、『BABY SNAKES』はステージの外の場面もあって、ハロウィーン・コンサートのドキュメンタリーとなっている。それが不満と思っていたファンも多いだろう。曲以外の部分は何度も繰り返し聴くことは楽しくないからだ。そのため、今回の発売は長年待たれていたものと言ってもよく、ステージの演奏だけを聴かせるという、音楽家本来の姿がより鮮明になった。また、77年当時にはパソコンのパもなく、ごく小さなUSBスティックに10時間を越える音楽が詰め込まれるとは誰も予想しなかった。だがザッパはそういう時代が来ても、あるいはそういう時代にこそ大手を振る演奏を目指したと言ってよい。その意味でこのボックス・セットは今聴いても色あせない時代最先端のザッパを感じさせる。それはレコードやCDではなく、USBスティックをパソコンで聴いているというスタイルにもよる。さて、BGMとして聴いているので、各ステージの特質がまだよく把握出来ない。そのため、今日は演奏の感想を書くことが出来ない。また何回投稿するかも決めていないが、毎日少しずつ聴いているように、少しずつ違ったことを書きたいと思っている。それがあればの話だが。