みんなに見せびらかすような具合になるが、見たい人もあるかもしれない。何せ5000個限定の今回のボックス・セットであるから、日本で予約購入した人は100人はいないだろう。
先日書いたが、ヤフー・オークションでは8000円スタートで出品され、今朝1万円で即決落札された。1万円は安い。筆者が予約していなければそれを即決で買った。3、4千円でも安いのはありがたい。それでリンゴが数十個買える。その出品者の限定番号が何番であったのか気になるところだが、日本向けには筆者と同じ4000番台の半ばではないか。1番は絶対に入手出来ないだろうから、筆者なら5000番がよかったかなと思うが、4499という番号も今回のハロウィーン・ステージではかなりの聴きものになっている「TORTURE NEVER STOPS」に似合うので、これはこれで記念になるか。一昨日は箱の写真を載せたが、その蓋に血のしたたりがデザインされていて、それが中身の見方によってはグロテスクな仮面と似合っていて、それで3枚組CDのジャケット見開き内部に切断された左手のマネキンがデザインされたかもしれない。だが、先日も書いたように、生首といい、身体の他の部分といい、神奈川のとある街で起こった9人殺害バラバラ事件と機を一にした商品到着で、なおさら印象深い新譜となった。話を戻すと、届いて1度だけ聴き、すぐに転売する人があることは、USBの中身をパソコンにダウンロードすればもう用済みとの考えで、これはこれで理解出来る。仮面や衣裳は単なるおまけで、またザッパが関与したものではないので、コレクションしても仕方がないとの考えだろう。筆者も1万円で転売しようかと多少は思うが、カタログ番号110の正規な商品となると、また5000限定となると、持っておくしかない。そう言えば、この番号は昔ビートルズのホワイト・アルバムにもつけられたが、それはほとんど意味不明で、限定番号ではなかった。なくてもいいものをなぜジャケット表面に印刷したのかと、45年ほど経った今でも納得が行かないが、ビートルズの場安はザッパより3桁か4桁多い数が全世界で売れるから、ホワイト・アルバムのその刻印番号はほとんど意味をなさない。その点、ザッパは世界的に有名とはいえ、たった5000で、日本の若い女性アイドルのCDよりも2、3桁少ないのではないか。そう考えると、手放すわけには行かない。いつかは筆者の4499番の商品も誰かの手にわたると思うが、その時に1万円以上には売れるようなレア・アイテムになっていないとも限らない。
さて、一昨日はUSBスティックを差し込めば、自動的に音楽が始まったと書いた。箱の裏前面に6つのステージの収録曲が順に書いてあって、それを見てまず気づいたのは、「ブラック・ナプキンズ」は最後のステージの最後に演奏されただけだ。これは知らなかった。ということはこのハロウィーン・コンサートの白眉である同曲は最後の最後に得られた収穫で、それゆえに感動的となったとみなせる。で、ブログを書きながらBGMとして聴いていたのだが、最初のステージは最後に「マフィン・マン」が演奏されることを知りながらであった。そしてちょうど書き終えた時に同曲が始まったので、きりのいいところで寝られるかと思ったのに、同曲が終わってすぐにまた演奏が始まった。おかしいなと思って確認すると、筆者が最初から聴いていたのは最後のステージであることがわかった。これはどういうことか。USBに間違ってそのステージだけが入れられたのか。そこであれこれ調べたが、事情がわからない。どうすれば6つのコンサートの羅列が表示されるのか、また画像などライナー・ノーツの入っているファイルはどうして表示させるのか。こういうことに関して筆者は疎い。パソコンの容量はあまり大きくないので、USBの中身を全部パソコンに取り込むつもりは元々ないが、あれこれウィンドウズのメディア・プレイヤーをいじっていると、ついに今度は初めて見るファイルが表示された。それは全曲の表示で、しかも各ステージごとではなく、各曲ごとに並んでいる。つまり「マフィン・マン」なら数曲がまとまって並んでいて、ステージごとに聴くことが出来ないようになっている。ステージのイントロばかりを6つ続けて聴き、次は2曲目の「ピーチィズ」を6ヴァージョン連続に聴くという具合で、どうしてこのようなファイル表示がされるのかわからない。それで結局「ブラック・ナプキンズ」が終わった後、1時間ほどあれこれ試したが、気づけば深夜2時近くなっていて、それで諦めて寝た。その探索作業の間に考えたのは、CD-Rに焼くとしても、1ステージが2,3枚のディスクに分かれることになるから、各ステージをどこで切ればいいのか、その時間を計算するのが面倒で、それでもうCD-Rに焼かずに、パソコンの小さなスピーカーでUSBから聴く方がディスクを取り替える必要もなくて便利なことを思った。ステレオで聴くのは3枚組で充分かもしれない。というのは、「ブラック・ナプキンズ」の入っている6番目のステージが最も仕上がりがよく、つまり白熱的で、それでザッパは当時それを編集し、ラジオで流したのであろう。またそれを知っているジョー・トラヴァースは、3枚組CDを6つ目のステージからまとめた。一昨日USBをセットして自動的に演奏されたステージを聴きながら、それが3枚組CDと同じなので、最初筆者はおやっと思ったが、最後が「マフィン・マン」であるはずなのに、「ブラック・ナプキンズ」が演奏されることになって、最後のステージが最初に自動演奏され、しかもそれが3枚組CDとどうやらほとんど同じであることを感じた。つまり、6つのステージのうち、最良の部分は3枚組CDに全部収められていて、ボックス・セットはあまり意味がないことになる。ただし、ザッパが連日の演奏のうちに、次第に熱気を深めて行くその経過がわかるはずで、そういうことに関心を抱くファンは世界に5000人ほどだろうという考えであったに違いない。となると、筆者の役目もステージを順序どおりに聴き、細部がどのように変わって行くかを確認せねばならない。そうしなければ、1万数千円支払った意味がない。
とまあ、それは言い過ぎで、USBのほかに仮面と衣裳がある。今日はその衣裳を袋から出してみた。てっきりTシャツと思っていたが、実はポンチョで、これはザッパの曲「カマリロ・ブリロ」の歌詞に合わせてのことだ。Tシャツの方が普通に着用出来るのでいいが、それではあたりまえで、ハロウィーンの仮装には似合わない。早速仮面を被った写真を家内に撮ってもらい、また上半身裸になって裏庭に出て仮面とそのポンチョを着けてみた。すでにそういう写真をネットに載せているザッパ・ファンはいると思うが、せっかくの機会なので筆者も載せる。ポンチョの背面もイラストがあって、その写真も撮るべきだが、そうすれば仮面ではなく、筆者の後ろ頭が丸見えとなる。まだ禿げていないのでかまわないと言えばそうなのだが、筆者の後ろ頭を見たい人はいない。そうそう、話は脱線するが、大阪のおそらく40代後半漫才師で、名前は知らないと言うか、知ろうとも思わない夫婦がいる。あまり嫌味でもないので、筆者はそのふたりがTVに出ていても消すことはないが、妻は自分の脚に自信があって、いつも超ミニのバレエの衣裳のようなものを着ている。もう2,3センチで股の付け根といったところで、本人は一種のサービスと、また自惚れがあるようだが、筆者は彼女のその姿にいつも目をそむける。見たくないのだ。そういう格好が似合うのは10代までで、20代半ばになればもう無理がある。本人は女性らしいところを誇示したいのだろうが、40代半ばの女性がそういう格好を常にTVに晒すというのは、筆者は公害に感じる。見せようとするのではなく、隠そうとするところに花があることを40代半ばにもなってわからないところに、その漫才師の俗物性が見える。そして、その漫才師がいつまで同じ格好をし続けるのか、怖い興味が筆者にはあるが、50代になってもやっていると、TV局にはがきでも出してやろうかと思っている。さて、ザッパに話を戻すと、77年のザッパは36歳前で、これは20代から見ればおっさん、筆者のような世代からは若者で、微妙な年代だ。それでザッパはそのことをどう自覚していたかと言えば、メンバーに対してBOYSと声をかけていて、これは自分より一回りほど年下ということを意識していたためであろう。つまり、若者を連れた若親分の態度で、そういう顔つきをしていることが写真からでも明らかだ。それでこの11年後にザッパは最後のロック・ツアーをするが、そこではもう老齢の兆しが顕著になっている。60年代に名を挙げたロック・ミュージシャンが今なおステージで演奏することは珍しくないが、さすがに懐メロの雰囲気が濃厚で、またそれを求めてファンが集まる。ファンも高齢なのだ。そういう場面を目撃するのは筆者は何となく気恥ずかしい。うらぶれたイメージがあるからだ。それはそれで演奏者も鑑賞者も楽しければいいのだが、懐メロではなく、その年齢でなければ発信出来ない新曲をやはり披露してほしい。それは難しいかもしれないが、前に向けて攻め続けなければ心の若さは保てない。その点、ザッパは死ぬまで若かった。それを真の芸術家と呼ぶが、それは77年のハロウィーン・コンサートからも明らかだ。当時まだレコードになっていない曲を含み、また過去の曲は様相をかなり変えている。ファンに合わせるのではなく、ファンをこっちに合わせさせるその態度がいい。それを傲慢と言う人もあろうが、そういう人にザッパの音楽はわからない。