同じ曲でも演奏メンバーやアレンジが違うと、別の曲に感じられることがある。カヴァー演奏がそのいい例だが、カヴァー演奏の全部が面白いとは限らない。また、完全なコピー演奏が面白くないかと言えば、そうとも限らない。
最近YOUTUBEでザッパのギター・ソロ曲「TRECHEROUS CRETINS」の完全コピーを聴いたが、それがなかなか面白い。よくぞここまで逐一音をなぞったと感心するが、その元の曲を演奏したザッパの才能に改めて感服し、それは完全コピーしようとする人も同じ心持ちであるはずだ。そのようにザッパのギター曲にはそっくり模倣してやろうという意欲を湧かせるほどに味わいがあるのだろう。ザッパ自身はもちろん自作に対してそのように思っていたはずだが、メンバーを交代させることを定期的に行ないながら、過去の曲を練習をかねてだろうが、新しいメンバーに演奏させた。そして、その出来栄えがいい場合、アルバムに収録したが、ザッパの基本的な考えは、新曲はアルバムで一回限り発表するというものであったのではないか。だが、ツアーのステージではそういうわけには行かない。それは新曲を書く暇がないのではなく、ファンはアルバムで知っている曲を生で聴きたいからで、その要望に応える必要があったからだ。そのため、半分は過去の曲、半分は新曲といったことになったが、過去の曲であってもメンバーが違い、それゆえアレンジが違うので、新曲のように聴こえる。そこがザッパの音楽の面白さで、またその同じ曲であるのに違う様相を呈していることから、ザッパの曲は誰がどのように演奏してもザッパらしいということになり、そのことはザッパの作曲家としての地位を強固にするように働く。これがビートルズならば、アルバムと同じ曲でない場合、安っぽいカヴァー演奏に聞こえてしまう。それはビートルズの曲は唯一無二という絶対的な価値を認めざるを得ないことだが、ザッパの場合は誰かのカヴァー演奏でもそれなりに楽しめてしまう融通無碍のよさがある。そのように考えると、たとえば今回発売された3枚組のCDは、ザッパの編集ではなく、また生前のザッパが発売を認めたかどうかは怪しい内容であっても、演奏から40年も経てば、まあこれもいいかとザッパは認めたのではないかと思えてしまう。その40年だが、今の20代がどのように聴くのか筆者にはわからないし、また関心もないが、ザッパ没後の音楽をいろいろと知っている今の若者が聴いてもそれなりに楽しめるところは筆者とさして変わらないのではないかと思う。きっとそうであるはずで、作品の本質は時代を超えて人に伝わる。これが100年や200年後となるとわからないが、その頃にザッパの音楽が真の古典となっている場合、やはり今から40年前、あるいは今と同じく、聴きどころをよく把握する人はわずかでもいるだろう。またそのことを言えば、今ザッパの音楽を熱心に聴こうとする若者はわずかかもしれず、そのわずかな者は今後も絶えないと思いたい。何を書いているのか意味不明になって来たが、簡単に言えば、筆者のように72年から聴き始めている者と今ザッパの音楽に魅せられ始めた人とでは、あまり差はないということだ。音楽に限らず芸術とはそのようなもので、時代を超えて魅力は伝わる。
日本でハロウィーンが商売に利用されるようになったのは、筆者の知る限りでは40年ほど前からだが、ザッパがBARFKO-SWILLの通販会社やBARKING PUMPKIN RECORDSというレコード会社を設立した時、カボチャのジャック・オー・ランターンはザッパ・ファンには一気に馴染みのものとなった。その時、ザッパ・ファンはザッパが毎年ハロウィーンにコンサートを開くことを知っていたが、ハロウィーンにあまり馴染みのない日本では今ひとつそのザッパの行為が理解しにくかった。ここ数年は仮装した若者が渋谷に繰り出すことでハロウィーンは日本でもよく知られるようになったが、宗教的な背景抜きに日本では喧伝されているだけであって、いわばクリスマス前のお祭り騒ぎに過ぎない。それを言えば日本のザッパ・ファンも同じで、たとえば今回の新譜はハロウィーン・コンサートがハロウィーンに発売されたということで、何となく欧米のお祭りの、またザッパのそれのおこぼれに与っている感じがするが、それにしてもBARKING PUMPKINが設立された頃を知っている筆者のような古いファンからすれば、やはりうれしい。解説のブックレットの裏表紙はBARKING PUMPKIN RECORDSのカボチャと猫のロゴ・マークからカボチャだけを抜き取り、しかもよりザッパの顔らしく描き変えて、アルバム・タイトルの「ハロウィーン」そのものずばりを体現していて、表紙のギターを弾く上半身裸のザッパの写真とともになかなかよく出来ている。このステージ上のザッパの写真はどっしりとかまえた安定感がみなぎり、ギターを弾くザッパの写真としてはベストの部類に入るもので、よくぞこのような写真が今まで未発表であったと思う。ジャケットの話になったので書いておくと、アルバム・タイトルの文字は血がしたたり落ちていて、これは『200 MOTELS』を連想させる。また、紙ジャケット内部はかなり悪趣味だが、切断された左手の写真が全面にデザインされている。これは『BURNT WEENYSANDWICH』のジャケットとの関連と言ってよいが、演奏曲としての同アルバムとの関連があるのかと言えば、直接的にはないが、60年代末期とのつながりは随所にある。筆者はまだDISC 1しか聴いていないが、そこではロイ・エストラーダがゲスト出演してザッパの指示のもと、アドリブで歌っている。その様子はDVD『BABY SNAKES』でも収録されているが、本作とは内容が違っている。そのロイの即興の歌についてザッパはアルバム『いたち野郎』の「ガス・マスク」の曲名に言及し、そこには『BURNT WEENYSANDWICH』とは間接的なつながりがある。そのことはまた本作の最初の曲が「PEACHES EN REGALIA」であることにも言えるだろう。アルバム『HOT RATS』を代表する同曲も60年代末期で、本作は過去の曲とつながりが多い。また、そうしたつながりの部分は、ザッパがこの77年のハロウィーン・コンサートをアルバム化した場合、真っ先に削った部分であるはずだが、40年も経った現在ではもはやそういう新旧の曲の区別はあまり感じず、過去の曲をどのようにアレンジを変えて演奏しているのかというところを拡大視しようという思いが強い。それは新しいザッパ・ファンはさらにそうであろう。同じ曲をザッパが何年にもわたって演奏する中でどのように変化させて行ったかが、今では公式アルバムのみでかなりたどることが出来る。それは筆者のような古いファンとは同じ土俵にある話で、今後のザッパ研究は同じ曲の変遷具合を仔細にたどり、そこから見えて来るものが何かを探ることがひとつの柱になるだろう。
そのひとつの例はDISC 1の「拷問は止まらない」にある。これは14分に及ぶ長い曲で、LPなら1面全部を費やす。またそれほどにじっくりと聴くべき曲で、ザッパも聴かせたく思っていたはずだ。この曲は最初はキャプテン・ビーフハートが歌うブルース色豊かなアレンジであった。それが76年2月の日本公演ではザッパが歌い、またその後のアルバム『ZOOT ALLURES』ではザッパがスタジオにこもってじっくりと作り上げたが、本作はステージで演奏し始めて丸2年経っての演奏で、最も手慣れた一歩手前というヴァージョンと評してよい。これが半年後には中間のギター・ソロがもっと白熱化し、またその後はヴォーカル・パートに転調箇所が挿入され、そのスタイルはやがてブロードウェイ・ミュージカル風ヴァージョンへと発展するが、歌詞はどれも同じで、最初から権力者の悪を比喩的に風刺している。それは『自伝』に詳しく書かれているように、ザッパがスタジオZをかまえていた時、警察にはめられて刑務所に入った経験に根差しているが、どのような経験も糧として作曲に活用するという態度の表われだ。とはいえ、ザッパの歌詞は、難解というのではなく、ザッパ個人しか知り得ない場合がよくあって、ファンが自由に考えるしかないし、それは作品を受容する時には当然の立場でもあって、筆者がここで断定的に書くことに囚われない方がよい。その一例を書いておくと、「マフィン・マン」の歌詞だ。それが何に由来し、何を意味しているかは、最近筆者が買ったアンドリュー・グリーナウェイのザッパ関係者へのインタヴュー本に書かれていた。ただし、それも推察であって、正しいとは限らない。それはともかく、その本によれば、マフィン・マンはヴォーカリストのレイ・コリンズのことらしい。ザッパは70年代にレイをまたヴォーカリストとして雇おうとしたが、なぜかザッパは直接に連絡することを避けた。ふたりの間に確執があったのかもしれない。当時レイは安ホテルに投宿していて、金欠であった。ザッパはメンバーの女性ギタリストのナイジー・レノンにレイへ連絡を頼むと、ナイジーはザッパが自分ですべきと答えたが、ザッパは連絡しなかった。そしてその後に「マフィン・マン」の歌詞を彼女が見た時、それがレイを指すとピンと来たそうだ。レイをマフィンとたとえているのは、アルバム『アブソルートリー・フリー』でのことで、確かにそれを思い起せば、「マフィン・マン」はレイのこととなるが、そうであってもその曲の歌詞の意味がよくわからない。それはさておき、『アブソルートリー・フリー』で妻のゲイルがかぼちゃにたとえられていて、そこからザッパがハロウィーンを特別視していたことがほのめく。そういった痕跡をたどることの面白さがザッパの音楽にはあるが、多忙な若者にはどうでもいい話が多いだろう。DISC 1の話をもう少しすると、9曲目「CONEHEAD」が後のヴォーカルつきのヴァージョンではなく、全くの別のギター・ソロ曲で、これは他のステージではどのように違うのか、USBスティックを全部聴いてみないことにはわからない。ただし、昨夜書いた海賊盤に収録されていた「SQUIRM」はこの「CONEHEAD」そのソロではないかと思う。そうそう、今朝アメリカの大西さんからメールが届き、昨夜ジャケット写真を載せた海賊版は1978年の発売とのことだ。2枚組もあって、それはその翌年らしい。そのアルバムは筆者は聴いていないが、ジャケットは別の海賊盤にも使われたものと記憶する。