鹿が側溝に入って冷を取るというニュースを今年の夏に見た。奈良の鹿のその姿はさほど珍しいことではなく、筆者は何度か見かけたことがある。
そう言えば、この1年ほどは奈良に出かけていない。正倉院展が始まったが、2、30代は毎年のように見たので、関心がかなり失せた。不染鉄展が県立美術館で開催されているが、昔神戸市立博物館で彼の展覧会を見たことがあり、これもわざわざ見に行く気が起こらない。今日は2か月に一度の大阪心斎橋での郷土玩具の会があったが、わが家を正午に出れば会の始まりに間に合うのに、台風の雨がひどく、出かけるのをやめた。ひょっとすると、帰りの電車が停まるかもしれないと思ったのだ。だが、予想に反し、午後には次第に雨風は弱まり、夜8時には月がくっきりと見える空になった。実は郷土玩具の会の前に奈良の学園前に行って今開催中の柳沢淇園展を見る計画を先週から立てていた。それが台風では出かける気になれなかった。先週に続いて週末が悪天候で、今年の秋は晴天がとても少ない。奈良の鹿は暴風雨をどのようにやり過ごしているだろう。鹿の小屋があるとは聞かないし、きっと樹木の下で震えるしかない。夏は側溝がよくても、冬は暖を取る場所がない。野生とはそういうものだが、それを鹿は不自由と思っているだろうか。それはさておき、ここ10日ほどの間にいろんな出来事があり、それを整理するのにまだ時間がかかる。たいていは残念なことだが、考え方によってはそうでもないと思えるような心の余裕のようなものが筆者の年齢になれば出て来るのか、その現実をまじまじと見つめている。その残念なことは、たとえば風風の湯ではふたつあった。そのひとつは、筆者はたまに見かけていた80代半ばの男性が、大きな湯船で溺れたのか、うつぶせになって浮いているところを大学生2、3人に発見された。それは10日ほど前のことで、筆者は裸になって浴場に入ると、掛け湯の場所からその老人がいつも見かける時と同じように、タオルを枕にして、湯船の中で仰向きになって浸かっていた。『ああ、またいつもの格好だな』と思って筆者はすぐにサウナに向かったのだが、その老人はその格好が好きなのか、筆者も同じ浴槽に入ってその姿を見かけた時は、いつも目を閉じて気持ちよさそうにしていた。それが時として眠っているように見えることもあったが、実際そのとおりなのだろう。風風の湯は午後7時頃にはめっきり人が減り、サウナを合わせても2,3人という場合もある。その日はそうではなく、20名ほどいたと思う。サウナに入ってすぐに同じ自治会のMさんがいて、待ってましたとばかりに話かれられた。そうして10分ほど話をしてMさんはサウナから出て浴場に向かった。その様子はサウナ室の扉ら窓から見える。筆者の右手に座っていた2,3人の大学生もその後出て、浴場に入ったが、それから2,3分後か、裸のMさんが脱衣場と浴場を何度も慌てて行き来しているのが見えた。すぐに受付の男女全員が走ってやって来て、浴場の中に入った。筆者もついに気になってそちらに向かうと、先に見た湯船の中で仰向けになっていた老人が引き上げられ、洗い場の中で仰向けにされて受付の男性に心肺のマッサージをされるがままになっていた。サウナから出た大学生が気づいて湯船から引き上げ、Mさんが受付に電話したのだ。それから救急車がやって来て、本格的な心肺蘇生が20分ほど試みられたが、そのまま救急車で病院に運ばれて行った。
名前も住所もわからず、その後遺族とどう面会したのか、そのことは風風の湯の湯も知らないようであった。筆者が掛け湯をして10分ほど後のことだ。ちょっとした隙に溺れたか、あるいは心筋梗塞を起こしたのだろう。もっとも客が少ない時間帯であったので、まだ大学生が気づいたのは速かったかもしれない。Mさんは気味悪がって、そそくさと帰ってしまった。そう言えばMさんと数歳しか年齢は変わらないはずだ。入れ替わりにもうひとりの、筆者が同世代のMさんがやって来た。事情を話すと、そのMさんはその老人に何度か注意したことがあると言った。『そんなところで眠ってしもたら危ないよ』。それでも言うこと聞かなかったという。『馬鹿が人騒がせなことをして!』と、Mさんは立腹したが、事故では仕方がない。馬でも鹿でも、また馬鹿でも気持ちいいことは好きで、ちょっとした隙に死神に取りつかれる。80代半ばになれば誰もがいつ死んでもおかしくない。それがたまたま湯船で溺れたということだ。死んだ後は誰かの手を煩わせるのかあたりまえのことで、生きている時に他人に絶対迷惑をかけたくないと思っている人でも、誰かに死体の始末をしてもらわねばならない。そのことを筆者は最近ふとした拍子に思う。孤独死が増えている現在、死んでかなり日数が経ってから発見されることは珍しくない。そう思えば、温泉で死ぬことは気持ちいい状態のまま天国へ直行であるので、本人も、また体の世話をする人にとってもいいだろう。そそくさと帰ったMさんは、来年は男性の平均寿命の82歳であるので、もう数年程度の命だろうと笑いながら話すが、その年齢までまだ10数年はある筆者も、気づけはその年齢に達しているはずで、またその時は知った顔が今よりもっと減少し、さびしさをかみしめているかもしれない。しかも、それは80代まで生きた場合の話で、もっと早く筆者は死の淵に立つかもしれない。風風の湯がらみでもうひとつ残念なことは、風風の湯に通い始めた頃からいた受付のKさんがいなくなったことだ。家内ともども彼女がいることにとても安心があった。彼女は前述の老人の事故があった時、受付から他の男女とともに猛速度で脱衣室、そして浴場に入って行く姿がサウナの中から見えた。その日が彼女の最後の勤務であったらしい。慌しかったので、彼女は筆者と家内に最後の挨拶が出来ず、そのことを別の受付の人に言付けた。そして顔馴染みの男性アルバイトからその言付けを聞いたのは1週間ほど前のことだ。Kさんは仕事ぶりが認められ、駅前ホテルの帳場に配属代えになった。しかもアルバイトから正社員への昇進で、働く時間帯もうんと楽になるだろう。風風の湯の受付では、毎日帰宅は深夜11時になると言っていた。そんな深夜に若い女性が自転車で渡月橋をわたり、嵯峨野へと三条通りを東に走るのは、晴れの夜であっても物騒だ。雨や雪となると、なおさら大変で、彼女は風風の湯の始まってこの4年間、その通勤に耐えた。Kさんの姿が見られず、また話が出来なくなったことを、筆者も家内もさびしがっているが、彼女にとってはまたとない栄転で、運が開けた。実に喜ぶべきことだ。地味だが誠実で優しい人柄が認められた。駅前ホテルはわが家からは風風の湯よりも近く、徒歩1分のところにあるが、筆者がそこに泊まることはまずあり得ず、もう彼女の顔を見ることはないかもしれない。この1週間はそんなことを思いながら過ごした。そして、さきほど風風の湯に家内と行って来たが、彼女がいないと思うとまたさびしい。今日の満印のスタンプ・カードは出かける直前に撮影した。