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●「GOLDFINGER」
ビートルズの曲がラジオのヒット・パレードで盛んに登場している頃、この曲もよく鳴っていた。1960年代は女性ヴォーカルはこの曲を歌うシャーリー・バッシーのようにパンチの利いたものが主流だったように思う。



●「GOLDFINGER」_d0053294_2024926.jpg間もなくそれは黒人が歌うソウル・ミュージックに収斂して行ったが、白人でも声量のある歌手はもてはやされた。コニー・フランシスは例外かもしれず、フランスの歌手もどちらかと言えばソフトな感じで歌っていたが、筆者は「愛の讃歌」で大ヒットを飛ばしたブレンダ・リーの印象が強烈にあり、この延長上にいつもこの曲を思い出す。これにダスティ・スプリングフィールドを加えてもいいかもしれないが、シャーリー・バッシーもダスティと同じイギリス出身であることを、このシングル盤を中古レコード店で買って初めて知った。ジャケットの歌詞の隣に片桐和子が「シャーリー・バッシーについて」と題して少し書いている。次にかいつまんで書く。「…」は省略部分を示す。『彼女はタイガーベイ地方のカーディフという所で6人兄妹の末娘としてインディアンの父と英国人の女との間に生まれました。…初舞台は16才の時で、…アメリカ全土を5ヵ月にわたって公演してまわりました。…ホームシックとショーのハードトレイニングに我慢出来なくなりカーディフに戻り、ウェイトレスの仕事につきました。…まわりの人々にすすめられて彼女は渋々ロンドンへ帰り、…本格的に歌手の道を歩む事を決心したのでした。1955年ウェスト・ロンドンへ行きアスタークラブで歌っているのをプロデューサーの大御所アル・ロードに認められ英国有数のアドルフィー・シアターで”サッチ・イズ・ライフ”に出演、好評を博しました。アメリカへ渡りラス・ヴェガス、ハリウッドの数々の有名なクラブで歌い好評を得てイギリスへ帰国後、…イギリス全土に彼女の名が広まりました。1962年は彼女にとって忘れがたい年となりました。それはケネディ大統領に招かれホワイトハウスで唄い、ケネディ夫妻は彼女に最大の賛辞を惜しまなかったと云う事です」。シャーリーが何年生まれであるかはわからないが、ビートルズのジョン・レノンより5、6歳年長ではないだろうか。日本ではこの曲によって知られるようになったと思うが、「ジェームス・ボンドの007シリーズ」はイギリスの外貨獲得にとても貢献した映画であったから、主題曲も当然イギリス人を起用するであろうし、シャーリーがイギリスの歌手であるのは当然だ。だが、この曲を中学1年か2年の時にラジオで聴いた時、てっきり黒人女性かと思った。その後もずっとそう思い込んでいたが、それはあまりにも声量があって、迫力満点の歌い方であったからだ。
 「ジェームス・ボンドの007シリーズ」はずっと後年ポール・マッカートニーが担当することにもなるが、60年代のショーン・コネリー時代の主題曲は大抵日本で大ヒットし、忘れ得ない曲ばかりだ。その中でも筆者は何と言ってもこの曲を真先に思い出す。映画は当時見なかったが、ポスターなどに登場した、全身金色に塗った裸の女性がベッドに横たわっているシーンがとても印象的で、あれは一体何のためかと思ったものだ。映画をTVで見たのは大人になってからだが、あまり印象に残る内容ではなく、今でもなぜあの金粉まみれの女性が登場したのかよくわからない。60年代にこの映画が封切られた当時、全身に金粉を塗ると皮膚呼吸が出来ないので、しばらくそのままでいれば死んでしまうと聞いたことがある。そういうこともあのかなとずっと思っていたところ、近年日本のTV番組で、それは嘘だと証明していた。どうでもよい話だが、金粉を全身に塗るという何だか現代美術のパフォーマンスから影響されたような筋立ては、今にして思えば、映画をセンセーショナルなものにするのにとても効果があった。ビートルズの映画『HELP!』の中で、真っ赤だったか、同じように全身に色を塗った女性が登場し、その女性が種明かし的に後で風呂場で誰かの手助けを得て体を洗っている場面があった。これはこの『ゴールドフィンガー』に登場した全身金粉の女性をパロディにしたものではないだろうか。全身金粉は確かにショッキングな映像だが、後でそれを洗っている姿を想像すると何だかおかしい。脱線ついでに書くと、日本の九州でも「ジェームス・ボンドの007シリーズ」が撮影され、その時かなりの大金が田舎町に落とされ、今でも現地は石碑を建ててロケ地を宣伝している。まだまだ発展途上にあった60年代の日本にすれば、イギリスから世界的に有名な映画がロケに来るということは眩しかった。ボンド・ガールとして浜美枝が出演し、これは日本としても鼻が高かったのではないだろうか。その後も日本では美人女優が出るとボンド・ガールにどうかといった噂が立つが、欧米人並みの背格好にはなっても日本人らしさがなければ使われないのは明白で、肝心なのはどれだけオリエンタルな、つまり神秘的とも言える雰囲気がその女優にあるかどうかだ。その点で言えば、浜美枝を越える者は出ない気がする。
 この曲を耳にした当時、筆者はビートルズに心酔し始めたばかりであった。あるいはこの曲を先に知り、それからビートルズに出会ったかもしれない。これは微妙な問題だが、たぶん後者が正しいかと思う。ジャケット裏面に「オデオン・ヒット・レコード選」とあって、11枚のシングル盤が紹介されている。レコード番号はみなORから始まり、最も古いものが1173で、最新は1212だ。ビートルズが5枚も入っていて、「アイ・フィール・ファイン」(1179)、「ノー・リプライ」(1189)、「ロック・アンド・ロール・ミュージック」(1192)、「ミスター・ムーンライト」(1193)、「カンサス・シティ」(1194)だが、この「ゴールドフィンガー」は1188であるので、「ノー・リプライ」の直前に位置する。先に微妙な問題と書いたが、筆者が初めてラジオから流れるビートルズを聞いて感動したのは、「ノー・リプライ」のB面の「エイト・デイズ・ア・ウィーク」で、ほとんど数日後には「ノー・リプライ」も聴いたが、このシングル盤とほぼ同時に発売されていた「ゴールドフィンガー」もおそらく同時期にラジオで聴いているのは確実で、どっちが先かは今となってはわからない。自分で洋楽のラジオ番組を選んで楽しむようになったのはビートルズを聴いて以降のことだが、それ以前からTVがなかったこともあって、家ではラジオばかり聴いていた。したがって意識しないうちに、洋楽のヒット曲はクラシック音楽や邦楽と一緒にいろいろと聞こえていて、ビートルズも洋楽のひとつとして耳に入って来た。そのため、ビートルズとこの曲とでは格が違うようには思えず、ほとんど同じ線上で記憶にある。そしてビートルズの曲が不思議な音階をしていることは、楽典を知らない中学生でも何となくわかったが、そんな意味からすればこの曲はさらに複雑な印象を与えた。カップを使用したワウワウのトランペットの特徴的な咆吼と弦楽器の絡みが、いかにも洒落た大人の世界を思わせ、中学生にとっては縁のない夜の歓楽の世界を連想させたが、その点、ビートルズはもっと身近で背伸びのする必要のない世界を繰り広げてくれた。これは1964年がちょうどシャーリー・バッシーのようなジャズ・ヴォーカルの全盛時代から白人によるロックンロールへのバトン・タッチの時期に相当していたと思うのだが、まだ10代前半の筆者が後者の代表格のビートルズに一気に心酔するようになったのは当然のことと言える。それはシャーリーのような歌手が自分では作曲せず、歌いっぷりがうまいということだけで人気を得ていたのに対し、ビートルズは自分たちで作った曲を自分たちだけで演奏していたという全く斬新なミュージシャンとしてのあり方も強く関係していた。前述の「オデオン・ヒット・レコード選」はこの当時のどんなオデオン盤にも掲載されていたが、ビートルズが登場してからは、必ず数曲が載る状態が続き、この当時シングル盤を買う者はいやでもビートルズを意識せざるを得なかった。前述の5枚のビートルズのシングル盤はB面を合わせると10曲になるが、これらはみなLPの『ビートルズ・フォー・セール』の14曲から選ばれたもので、いかにビートルズの曲は何でもヒットし得たかを物語る。また、330円のシングル盤を5枚買うより、1800円でLPを買った方が4曲も多いし、かえってよかったのではないかと思うほどだが、当時は1800円を出して高いLPを買うより、取りあえず1、2枚シングル盤を買う方を選んだのだ。
 ビートルズの曲が不思議な響きをしていることは、たとえば同じくビートルズの友人と話していて意見が一致したことだが、まず「ラヴ・ミー・ドゥー」だ。何か変な感じとしかその当時は表現出来なかったが、今ではこの曲が単純に短調や長調とは言えない教会旋法を用いていることがわかる。だが、当時は、そして今でもだが、学校ではそんなことは教えてくれない。何かわからないがビートルズの曲には妙なメロディがあるという思いを抱いたことは、ビートルズの本質をよく見抜いていたことにほかならない。「涙の乗車券」も同じように変な感じの曲ということで友人とは意見が一致したものだったが、特にジョンが書いたはずのイントロのリフが印象的で、そこにはブギウギから個性あるリフを作り出すという、後のロック音楽には不可欠となる才能の閃きがある。同じようなビートルズならではのリフはたくさんあるが、それをもっと強調し、テンポを早めたものが70年代のハード・ロックに盛んに登場したわけで、結局のところその基礎は全部ビートルズがやったことと思ってよい。だが、ジェスロ・タルのイアン・アンダースンが語っているように、ハード・ロック全盛の頃に盛んに耳馴染むリフが作られたその根底には、ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』の例のダダダダーンの音形が反響しており、見方によってはロック魂はすでにベートーヴェンにあったとも言える。それはいいとして、変な雰囲気のメロディというものは何十年経っても記憶に残り続ける。その代表のひとつがこの「ゴールドフィンガー」だ。さきほど音を拾ってみたが、なかなか凝っている。B(ロ)の短調と長調の間を揺れ動くようなところがあるが、Bのドリア旋法とみなして、さらにふたつほどまだ余分に音をつけ足した音階と言ってよい。つまり、半音階的音階なのだが、その音の不安気に揺れ動く様子がいかにもスリルとアクションに彩られるこの映画にはぴったりしている。イントロはA♭とEの音を交互に奏でるが、このふたつの音程は減4度で、協音程だが不完全なものだ。これでまず曲がどんなように進むかが提示される。途中の哀愁を帯びたサビの部分への移行音形とまた主題に戻る際の様子はとてもよく出来ていて、ビートルズの曲に通ずるものがある。最後はこの歌の中でも最も高い音のEで終わるが、これもまた終始音としては意外で、宙吊りになった不安定な感じを与えるが、映画のオープニングを導くには実に効果的だ。この曲の後にドラマが始まりますよということを強く印象づけていて、いかにもサウンド・トラック盤の曲として書かれたことのわかる点と言ってよい。シャーリーはこの高いE音を、思い切り大きく、また長く引き延ばして絶叫のまま歌い終えるが、シャーリーの才能をあますところなく伝える部分で、鬼々迫るものがある。これだけの声量のある歌手はアレサ・フランクリンを思い出す程度で、シャーリーがいかに人気が高かったかはよくわかる。だが、ビートルズのジョンやポールもまた独自のシャウティング表現が出来たし、ある意味ではシャーリーのこうした歌のうまさはそのままビートルズにも流れ込んでいる。そこにビートルズの偉大さのひとつの要素がある。このシングル盤はジャケットがいくつか種類があるが、ここで紹介するものがオリジナルだと思う。2色で印刷しているところやレタリングが時代を反映してよい。1964年当時は封書が10円で出せたが、330円のシングル盤は今に換算すると2640円になる。LPなら22600円の計算だが、これは実感としてはそのとおりで、レコードは本当に高価なものであった。今はその10分の1の感覚で買えるが、感動も10分の1になった。このシングル盤のB面「そして今は」は、オリジナルはジルベール・ベコーの有名な曲で、フランスらしく、ハバネラのリズムだ。昔ベコーの歌声でよく聴いた記憶があるが、60年代前半だったろうか。そして今は…こうして思い出している。
by uuuzen | 2006-01-26 20:25 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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