●温泉の満印スタンプ・カード、その12
がいいものは値段も張る。これはどこでもいつでも常識だろう。それで、その逆も真と誰もが思いがちとなる。つまり、たっぷりと金をかけると質のいいものが出来る。



だが、この考えは正しくない。肥料を与え過ぎると植物は枯れるが、それと同じことが人間にもあてはまる場合がある。だが、今は日本だけでなく、どの国でも拝金主義が勢いを増し、金をたくさん持っていることが質のいい人間になる条件と思っている人が多い。金があれば立派な大学にも入りやすいし、またたいていの人は金持ちをうらやむ。質のよさを追求するには、まずは金を儲けるが勝ちという価値観が幅を利かせる。ま、そんな話は筆者のように還暦を過ぎ、また金に全くと言っていいほど縁のなかった人生を歩んで来た者同士にはよくても、たいていの老人は金を持っているから、そんな話になると負け犬が吠えていると思われる。それで、筆者は風風の湯でよく話す7,8人には、全くと言ってよいほど、金に関係する話はしない。それに政治だ。宗教も含まれるかもしれない。その話を筆者が風風の湯に行くたびにサウナ室で出会うMさんにすると、そこに野球も加えた。なるほど。筆者は野球に無関心であるので、それは思いもしなかった。だが、世間には贔屓にする球団がある人の方が多いだろう。それで贔屓の球団が勝った負けたに一喜一憂する。つまり、熱くなる話題はなるべくしない方がよいが、これは風呂でたまに会うといった人間関係においてのことだ。そのことは筆者が風風の湯のサウナ室で話す7、8人全員に言えるかもしれない。それはあくまでもサウナでのみのつき合いで、いつまで経ってもそれ以上の関係にはほとんど発展しない。簡単に言えば浅いつき合いだ。それでも顔見知りが出来て、短い間でも談笑出来るのはよい。時に意外な情報が得られる場合があるからだ。それはお互い様で、相手もそう思っているだろう。7,8人はすべて筆者より年配で、昔から筆者はどういうわけか年配者と親しくなることが多い。年下とはなかなかそういう関係にならないが、それは筆者が1歳でも年長であれば、それなりに敬いの思いで接するからだろう。それはそのように母にしつけられたからだが、いわば儒教的な教えだ。それに、筆者が子どもの頃は日本にはまだまだ儒教的な考えが支配的であった。儒教が韓国や中国を駄目にしたとかいうことを書いているアメリカ人で日本に住むタレント弁護士がいるが、儒教の何をわかって書いているのかと、筆者は呆れた思いがしている。だが、そういう有名人がそんなことを主張すると、簡単にそれを信じるバカが日本には多い。 儒教もいろんな側面があって、中国、韓国、日本はそれぞれ別の面を受け入れたという意見を昔、新聞で読んだことがある。一方、筆者が学生の頃、先生はアメリカ人は教授と学生が対等でお互い呼び捨てにすると言ったが、そのことをうらやましいと思っての発言であったのかどうか記憶にない。ただ、そういうアメリカ式の交際がだんだんと日本に移植されつつあるとは思っていたのだろう。そしてその先生の予想どおりに日本は若者が目上を対等、もしくは見下しても平気の時代になって来た。今では教えてもらう者が教師に対してにらみつける、あるいは反抗するは全く珍しいことではなくなり、先生は手を焼いているが、そういういわば荒れた学校は、アメリカでは50年代末期にはもう珍しくなく、映画でもテーマになった。日本はそういうアメリカに半世紀遅れ追いついた。文化を学ぶとはそういうことだ。悪いことも一緒に入って来る。話を戻すと、筆者の小学生の時には道徳の授業があったが、それが中学ではホームルームに変わった。あるいは小学5年くらいから変わったかもしれない。道徳とはとても古臭い言葉に思えたことは確かだが、筆者はその「道」や「徳」という言葉は嫌いではなかった。「徳のある人」という表現は今ではとっくに死語になったが、筆者が子どもの頃はそういう大人がいるという確信がどこかにあったし、またいつかは自分もそういう大人になりたいと思った。それは筆者が変わった子どもであったからかもしれないが、「道徳」という言葉を記憶するだけでも「道徳」の授業があったことはよかったと思っている。ところが、その授業がなくなってからは、先に書いたように、先生は敬う存在ではなく、あくまでも対等の友人、知人に過ぎないと考える風潮が大きくなった。いつの間にか先生を聖職と呼ばなくなりもした。今では誰もそのように思わないだろう。先生とは生徒、学生にスケベエなことをする存在と思っている人の方が多いかもしれない。一方、道徳の言葉を子どもに教えることに反対が多く、儒学をまともに学ぶ人は皆無だ。そんなことをしても食えないからで、先生になろうとする人は、手っ取り早く塾で英語でも教えて稼ごうとするだろう。教育が単に金が介在するだけのものになり、最初に書いたように、金をたくさん得ることが人生の第一義と誰もが思うようになっている。誰よりも稼げば誰よりも尊敬され、また幸福にもなれる。道徳の授業をなくした結果、日本はそういう社会になった。
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 以上のような話は風風の湯では筆者はしないが、それと似た話が出来る相手はある。だが、今のところはやんわりとしている。あまり自分の思想の話を持ち出すと、交際は長く続かない。ましてはサウナ室で週に二、三回しか会わない場合は、せいぜい天気の話か、当たりさわりのない近所の話を主体にするのがよい。先に7,8人話す人があると書いたが、その7,8人同士は話すことがほとんどない。つまり、その7,8人は、筆者とだけ話をすると言ってよい。そのため、今81歳になるもうひとりのMさんは、毎回筆者と会うのが楽しみのようで、にこにこ顔でサウナ室に入って来る。大阪に長年住んでいたとのことで、その点でも話が合うのだが、筆者より15歳も年長であれば、さすが人生経験が豊富で、話題に事欠かず、筆者よりも多弁で、たいていはこっちが聞き役になる。それもまた楽しだ。ま、終日家にこもって家内以外に誰とも話さない生活を送っているので、風風の湯で出会う顔見知りの7,8人と話すことはそれなりに楽しい。その7,8人は常連のうちの半数くらいと思うが、今後少しずつ声をかけて、常連とはみな話をしたことがあるということになればいいと思っている。さて、今日は風風の湯のスタンプ・カードを満印にした。本来ならば3週間ほど前に満印にしようと思えば出来たが、付箋にスタンプをたくさん捺してもらって、最後の桝目を使わないでいた。カードのデザインは嵐山の鵜飼いで、これは初めて見た。Mさんは毎日訪れるので、もうカードは筆者の6倍の80枚以上満印にしたそうだが、まさか全部カードの写真が違うということはないはずだが、筆者が見たことのない写真は多いだろう。その話はまだMさんとはしたことがないが、カードの写真に関心がなければ記憶にないはずで、話をしても無駄かもしれない。それはそうと、まだ露天風呂と大浴場との間の大ガラスに湯気の露が溜まらないが、去年の経験からすれば10月中旬にはそのようになる。するとまた筆者はその中央に大きな円を描くことになる。9月は京都に観光でやって来る人が一年で最も少ないとTVで知ったが、そう言えば確かに今月は風風の湯にもやって来る客が少ないようで、時間帯にもよるが、サウナも含めて3、4人ということもある。広々とした大浴槽にひとりで悠々と浸かっていると、風風の湯が近くに出来てよかったとつくづく思う。Mさんは、「完全に赤字ですな」と言うが、もうひとりのMさんにそのことを言うと、「赤字どころか、電気代も賄えないのでは」との返事であった。だが、受付によれば昼間は団体客が毎日入っているので、筆者らが心配するほどでもないのだろう。団体客が多いと湯の質が悪化するので、風風の湯の存在がもっと知られ、大勢の人が利用するようになっては困るなというのが、Mさんや筆者の思いでもある。せめて湯の質くらいは、大名気分で味わいたい。
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by uuuzen | 2017-09-23 00:59 | ●新・嵐山だより


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