18日に京都国立近代美術館で見た。副題は『かわりゆく「現実」と向かいあうために』だ。とても興奮させられた。1997年に同じ美術館で『ドイツ現代写真展[遠・近]』が開催されが、その時よりもはるかに面白かった。ストレートに訴えるものがより多くてわかりやすかった。
その97年展でもベルント&ヒラ・ベッヒャー夫妻がトップ扱いであったが、今回はさらに意欲的な作品が展示された。97年展では夫妻以外に8名が採用されたが、今回は9名だ。だぶっているのはアンドレアス・グルスキーひとりで、確実に実力をつけていることがよくわかった。興奮したのは、このグルスキーの作品に対してであって、とんでもない才能に育って来たと思う。このブログでは見た展覧会をその順番にしたがって寸評を書いて来ているが、今回は例外的に先にこれを取り上げる気になった。興奮の状態を少しでも早く伝えたいからだ。97年展で図録は買わなかったが、今回は手に取って確認することさえしなかった。写真展の図録は、絵を印刷した図録より、より本物に近いと思いがちだが、これは明らかに間違いで、写真作品も実物に接するしか本当の感動はない。そして、図録を見て失望するくらいなら、むしろ買わない方がよい。今回の展示は非常に大きな写真が多く、図録には収まり切らない迫力があった。今、こうして書いていて、印象深かった写真を思い出しているが、それは図録が手元にあったところでより強固になるものではない。だが、今傍らにうすい冊子を広げている。ベルント&ヒラ・ベッヒャー夫妻の写真集だ。1986年11月22日の購入だ。場所は大阪市東区横堀にあったフォト・インターフォームという写真専門の小さな画廊で、有名な外国の写真家をよく取り上げて展覧会を開いていた。企画展のたびに通ったものだ。ベルント&ヒラ・ベッヒャー夫妻の写真もここで初めて実物を見たが、それから20年経って、さらに夫妻の作品の貫祿が増し、今ではドイツを代表する写真家になっている。そして、その後に続く若い写真家が続々と現われ、それぞれに面白い仕事をしていることが、今回の『ドイツ写真の現在』からはよくわかる。ドイツの底力を改めて見たと言おうか、表現者の根性を思い知ったと言おうか、とにかく確実に写真芸術の時代が訪れていることがわかった。筆者は今まで、写真はシャッターを押せば誰でも写せるので、絵画と違って馬鹿にしていたところがあるが、その考えをすっかり撤回する気になった。絵画以上に時間をかけて、また苦労もして1枚の写真を撮ろうとしていることが、今回はストレートに伝わった。絵画ではやるべきことは全部終わってしまった、後は写真にしか新しい表現の可能性は残っていないといったように、若い才能たちがさっさと写真の世界に入って行く姿が見えそうだ。
そういう写真芸術の活発な動きの端緒に立つのがベルント&ヒラ・ベッヒャー夫妻だ。彼らの作品の面白さは、1枚の写真の中に情報がとても多いのに、大抵6枚や9枚というように組写真として展示されるのことで全体から受け取る情報量はさらに累乗したものに増え、いわば無限的な解釈が可能になるところにある。そして、見る人によって自由な解釈が可能であると同時に、解釈が決して汲み尽くせない謎めいたところも持ち合わせていて、それが大きな魅力にもなっている。つまり、夫妻の写真の意味のすべてはまだ現時点において解明し尽くされておらず、それがなされるのはずっと先、あるいはそれでもまだ謎がどのように残っているか、あるいはその謎の部分が変化しているかという妙な期待を抱かせるところにも、夫妻の写真の面白さがある。これは日を変えて別に書こうと思うが、筆者は実は夫妻の写真を全く知ることなく、似たようなことを70年代半ばにやっていたことがある。それを今日はふと思い出し、また新たな形で再開しようかと思ったほどだが、そんな意味でも夫妻の写真は身近なものに思える。手元に、前述したフォト・インターフォームでの夫妻の写真展が開催された時の新聞記事の切り抜きがある。畑祥雄という写真家が書いているが、それから少し引用しよう。「…夫のベルントは1931年にドイツの工業地帯に生まれ、最初はリトグラフで産業建造物を美しく再現しようとしていた。その頃から写真を集めるようになり、写真家であるヒラと出会う。その後、二人は共同制作で身近に佇むこれらの建造物を写真に撮り始める。まずそれらの造形美を表現するために大型カメラを使い細部を克明に再現する。そのためコントラストを避け薄曇りの日に撮影をする。そして、どの被写体にも対等に向かい合うために常に水平と大きさの同一を求めてカメラの位置を一定にする。このような制作態度を、初めて作品を発表した1957年以来30年間保ち続けている…」。20年前の文章であるので、もう50年も撮り続けていることになるが、今回は「採掘塔」、「砂利工場」という15点組の作品2点以外に、取りあえずは独立して見るように1枚だけの写真がたくさん来ていた。その中で、高さ50、幅60センチの、鉱山の町をやや俯瞰気味な角度で撮影した作品が6点来ていた。これがとてもよかった。
その魅力を言葉で語ることは難しい。もともと夫妻の写真は言葉で説明しにくい。そこに夫妻が着目してあえて写真で表現しているところがある。写真でしか表現出来ないもの、しかも夫妻が撮影する独特の、シリーズ写真とでも呼ぶべきものでしか表現し得ない世界があり、それは言葉で説明するより、見た方が早いし、また見るしか味わえないものだ。こうして書いていて、文章ではどうにもならないもどかしさ、それに嫉妬のようなものを感ずる。それでもあえて説明すると、これらの鉱山の風景写真は近年になって取り組まれた新テーマではなく、1974年から1999年にわたっていて、20年以上も前から機会あるごとに撮影されて来たものであるという、まずその息の長い取り組み、遠い先を見越した企画の大きさに驚かされる。それはひとまず置いて、これらの鉱山風景は、遠くに鉱山特有の採掘施設、近景にはそこに勤務する人々の家並みや駐車場、あるいは墓地といったように、必ず別の風景が取り合わせになっている。これらの対比から何を連想しようがそれは見る人の勝手だ。しかし、人間はひとりも写っていないのに、写っているものがあまりにも多いため、無限のドラマを感じ取ることが出来る。昔から繰り返し描かれて来ている風景画と形は似ていながら、それを大きく越えて、もっと広大で自在な解釈を可能にさせていて、とにかく見飽きない。その見飽きない点をここで列挙すると、今夜だけではとても書き終わらないほど内容が多くなる。それは、たとえばこの写真を100年後に見る人が思うかもしれない、20世紀における工業や鉱業のあり方といった、正確な情報の伝達手段、つまり記録写真の側面とどう違っているのか、またつながりがあるのかという、図鑑的見方とそうではない風景画としての芸術写真的な見方との間の揺れの問題を初め、鉱山施設の個々の形がそれぞれに独特で面白いという建築造形への眼差しの問題、それらの施設が夫妻が今まで手がけて来た写真を収斂させる総合的なものになっていて、夫妻の組写真で採用される個々の写真との関係が見えて来るという点、そしてどのように撮影したかとか、構図の妙などの写真造形技術を味わう面白さもあるし、さらには今回のように6点並べて展示されると、いつもの組写真と同じように、そこにまた別の何かが浮かび上がるということを考える面白さもある。夫妻と言えばすぐに、単体の給水塔や穀物貯蔵庫などの産業建築物を左右対称性を際立たせて撮影した写真という連想が働くが、この鉱山風景写真はそれらと密接につながりながらも、またより大きな世界を見せていて、以前から見慣れた単体の産業建築物写真が一気に新たな生命を得て迫って来るように思えるほどだ。その見事な作品提示の仕方は巨匠のみが許された余裕と言うべきものであって、いよいよ総合化の光芒の中に向かっている夫妻の姿が堪能出来た。
次にアンドレアス・グルスキーだ。1955年にライプツィヒに生まれ、デュッセルドルフの芸術アカデミーで写真を学んでいる。会場でもらったパンフレットから引用する。「1990年以降、世界各地のオフィスや工場、ホテルなど、グローバル化・高度消費化が進む現代社会の様相を、一種のスペクタルとして鮮やかに切りとってきました…」。グルスキーの写真とは知らずに作品を記憶している人は多いと思う。筆者もその例に漏れないが、今回は5点が来ていて、そのどれもがよかった。最も感心したのは1999年の「ラインⅡ」だ。高さ2メートル、幅3.5メートルほどあるが、マットや額縁を入れるともっと大きくなる。この作品はライン川をただ水平に撮影しただけの素っ気ないもので、人や物は何も写っていない。画面のちょうど上半分は曇り空で白い。わずかに水平の白い雲が画面上半分の中央の左半分に霞んでいる。下半分に写るものは、うえから順にまず、向こう岸の緑、これは当然高さのあまりない細い紐状の帯に見える。その下に川だが、これはちょうど画面中央より下3分の1ほどの面積を占め、近寄ると波がよく見える。その下は撮影者のいるこちら岸の緑色で、この高さは川とほぼ同じ、下半分の約3分の1だ。次にアスファルトの道があって、一番下にまた濃い緑と茶の混じった地面が位置している。これらが写真の端から端まで均等な幅を保ちつつ、完璧な横筋画面を構成している。どのようにして撮影したのか、そして撮影したフィルムをどうトリミングしたかという疑問が次々と浮かぶが、全く見事な造形で、惚れ惚れさせられる。幾何学抽象絵画のパロディにも思えるほどだが、これは紛れもなく、滔々と水が流れるライン川の風景であり、その構図の厳格性は徹底したドイツ人気質を最大限に表現し切っている。ここまで見事に自然を自分の思いのままに枠に嵌め込めるようになるまでに、どれほどの準備や試行錯誤の時間を費やしたのか、その徹底ぶりは映画で言えばヴェルナー・ヘルツォークのような才能を思い出すが、このような才能が出て来ていることに対して脱帽の意を表明したい。「サンパウロ、セー駅」は縦長の作品だが、今度は構図は半円が主題になっている。これもまたどのようして素材を発見し、どのようにして撮影したのかと思ってしまうが、世界中を股にかけたあまりに広範囲なフィールド・ワークと、粘り強い構図の吟味やシャッター・チャンスを想像すると、画家の方がはるかに簡単な仕事に見えて来る。このような完璧な構図の写真では、どこか1か所でも不自然なところがあれば全体が台なしになってしまうから、グルスキーのこれだと思った素材に対する取り組み方は尋常ではないであろう。近年中に彼の展覧会が日本で開催されることを期待したい。
他の8人もそれぞれ際立った仕事をしている。ハンス=クリスティアン・シンク(1966-)は少しグルスキーに似た作風だが、グルスキーのように左右対称性に固執はしない。たとえば高速道路がどこか田舎の川を横切って建設されている。その橋脚がきれいな水辺の中にぐさりと突き立っていて、その近くに1羽の白鳥が静かに小さく浮かんでいる。写真の大半は高速道路とその橋脚が占めるが、それが一応ははかない自然の美と見事に調和して見えている。ここには都市文明への風刺を見るべきなのだろうが、それ以前にただただまんじりと写真を眺めている自分に気づく。ベアテ・グーチョウ(1970-)の作品もドイツの風景美ということをテーマにしている。湖水があって、木立があり、そしてその風景の中でくつろぐ人々が写っている。マネの『草上の昼食』の写真版といったところだが、この写真は20から30の複数のイメージをコンピュータで合成したものだ。デジタル技術によってこういうことが可能なのは誰しもわかるが、どこにでもあるような風景をそのまま撮影して提示するのではなく、理想的だがどこにでもある風景を合成によって作り上げて、どこにもない風景を得ているわけだ。だが、これは説明されなければわからないことであり、写真のみの面白さはないと言ってよい。ロレッタ・ルックス(1969-)の作品は、子どもに自分が用意した服を着せて撮影し、それを別に撮影した風景と合成したものだ。子どもと背景とでは光の当たり具合が微妙に違うのでそれはすぐにわかる。またその合成をあえて隠すことはせず、たとえばハンナ・ヘッヒがやったような写真コラージュを連想させるような、グロテスクに見えることを強調もしている。トーマス・デマンド(1964-)は、有名な事件があった室内を紙の模型で作り、それをあたかも実際の現場に見えるようなライティングのもとで撮影している。実に手の込んだ写真作りと言うべきで、作品はロレッタとは別の気味悪さが強調されていた。一方、リカルド・ロッガン(1972-)は、廃墟から持ち出した家具をスタジオで再現して撮影していて、不気味さよりも奇妙な懐かしさが表現されている。ハイデ・シュペッカー(1962-)、ヴォルフガング・ティルマンス(1968-)、ミヒャエル・シュミット(1945-)の3人はいずれも組写真を展示していたが、あまりぴんと来るものはなかった。ヴォルフガングに関してはもう1点の組写真(インスタレーション)が常設展示室にもあって、一部に同じ写真が使用されていて、見せる方法に独自のこだわりを感じた。去年と今年の日本におけるドイツの一連の催しの中で、この展覧会が今のところベストであると断言したい。