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●アルバム『IMAGINARY DISEASES』発売
今、アメリカのOさん(このブログの『ザッパ関連ニュース』を参照)からメールが来た。ザッパの『JOE‘S XMASAGE』 に続くもう1枚の新譜『IMAGINARY DISEASES』が届いたそうで、以下にその文面の一部を引用する。



「…ブートに出ていないものばかりのもののようで、貴重です。ギターソロも多いです。ただ、編集としては、やはりもうひとつです。いろんなコンサートのラストにやった曲(そのつどユニークで一期一気のような世界のもの)が、多いです。そういう意味で、普通のプティワズーのコンサートのものをだしたら、あとまだ10枚ぐらい出来そうな感じがしてしまいます。ザッパファミリーが、出してもあと1、2枚でしょうか? もう出ないかもと思うと残念です。ヴァイの解説は、良いです。…」といった内容で、これは期待していい内容のようだ。シリーズ化されることを期待したい。このようにザッパの新譜が少しずつ発売されていることもあって、筆者の『大ザッパ論3』はまだ当分時期を待った方がいいように思う。さて、さきほど、たまっていた古新聞の切り抜き整理を2時間もやった。ようやく11月からの1か月分を紐でくくり終えたが、まだ1か月分残っている。このほかにもやらねばならない事が山積して途方に暮れる。それに、今日も6時からドイツ文化センターで映画を見ることに決めた。風邪がよくならないので、出かけるのが億劫だが、今夜しか機会がないのであれば仕方がない。昨夜観た映画とともに、感想は後日まとめるとして、今日は一昨日の続きを。

●2001年9月10日(月)朝 その2
どの段落もほぼ同じ行数であると何となく落ち着くというか、とにかく『大論2』では『大論』よりはるかにそうなっているはずだ。それは筆者なりの美意識の結果でもある。ところがこれは石原さんへの悪口のつもり言うのではないが、『大論』も第3稿まではほぼどの段落も同じ行数で揃えていたものが、石原さんの赤字入れの過程で、かなり文章が削られたりしたこともあって、段落によっては行数がごく少ないものもぽつぽつ出現したと思う。そのことを石原さんには語ったことはないが、筆者の内部では無残な気持ちがしたものだ。もちろん本というものは各段落の文字数を揃えるなどという馬鹿なことでよい本になるはずがなく、内容が第一なのではあるが、書く方としては読んだ時のリズム感や、目で見た時の統一感も考えながら文章を組み立てるものであり、内容第一を当然踏まえての遊び心の発揮を考える。各段落が同じような行数というのは今こうして書いている文章もだいたいそうなっているのではあるまいか。『大論』のように修正する時間もないのでキーを打ちっ放しにしてどんどん書き進んでいるから、かなり不揃いのはずだが、それでもひとつの段落が長いのは変わりない。ビデオアーツが今月下旬と来月に発売するザッパの紙ジャケットCDの解説依頼を受けた時は2500字という注文があった。筆者はいつも長く書き過ぎるが、そう指定されると仕方がない。依頼者からすれば原稿料のこともあって、そう無闇に字を増やせないのだ。そこで全部2500字ぎりぎりか少し増える程度でぴたりと収めたが、せっかくの字数限定でもあるので、段落を少なくした。21点のCD全部を2段落仕立ての解説にした。つまり1段落当たり1200字ほどであり、それは前述したように筆者のワープロ文書の1ページに相当する。つまりライナーノーツを書く時にもワープロが1段落の字数を規定したのだ。ちなみにそのライナーはいきなりワープロに向かって書いたもので、下書きの原稿はない。
 『大論2』はB5サイズに鉛筆で下書きした原稿の何百枚もの束がある。それは前にも書いたように不要紙の裏を使用したもので、糊で切り貼りして手作りしたものだ。それを作るのもかなりの時間を要するから、紙くらい買えばよいし、そうでなくても人からもらって新品の紙の山があるのだが、どうも貧乏性で封筒まで手作りしている。ゴヤも紙にはケチであったらしい。とはいえそれは時代と国を考えれば仕方ないか。そうして作った不要紙は自分の手作りであるので、真っ白な紙よりもどこかありがたみがあって貴重な気がする。実際その紙を真っ白なものと取り替えてやると言われても筆者は断るだろう。そのようにして時間をかけて準備したゴワゴワした紙の束を机の横に積み、1枚ずつ順に細かい文字を連ねて行くのは気持ちがよい。B5サイズに横書きでだいたい800字を連ねる。たまにそんな用紙を手作りすると、何だか無心になれるようで、単純作業はたまにしてみるのが心にはよいように思う。それに、筆者は何でも新品がよいとは思わない。この古いワープロを先日は友人に驚き呆れ笑われたが、筆者としてはこれをくれた別の友人や彼との出会いをいつも思い返しながら大事に使いたいという思いがある。それは金に代えられない何かが宿ったものであり、おそらく新しいワープロが今入手できても筆者はこれを使うだろう。MS-DOSにいちいち変換するために大阪の友人宅に行く不便もあるが、それを逆に考えると、それだけ友人と会う機会が増えるのでいいことではないか。筆者の使用するワープロと同じメイカーのレベルが上の新機種が先日3000円で中古で売っているのを知った。3000円が惜しいのではなく、やはりこの古いので充分と思ってしまう。これがどうか壊れないようにと大事に大事に使用して『大論2』が完成した時に、思わず図体のでかく、ブーンといつも音がしているこのワープロが頼もしかった。話を戻すと、下書き原稿はもう用済みなので捨てればよいのだが、それももったいない気がしてしっかり封印して倉庫に放り込んである。そんなものをほしいと思う人はまずいるまいが、もしいればあげてもいいかなと思ったりもする。それとも何かに再利用できないかと考えないでもない。
 『大論』の時はCD解説を基に加筆したから、紙にまた改めて書くことはせず(ただし部分的には書いた)、したがって『大論2』のような不要紙の束はなかった。そのためそれを使用して何かを作ることはできなかった。しかしパソコンで打ち出した第1稿をシュレッダーにかけて、その紙の屑を粘土にしてそれでザッパ像を作ることを考えたことがある。不要紙とはコピー屋でもらってくる間違いコピーした用紙やハガキ・サイズ程度に切り取ったような紙を縦と横方向に貼りつけてB5サイズに整えるのだが、裏がいろいろと字や絵があるので、筆者が原稿代わりに使用してしまうと裏表とも白地がなくなった、もう一度不要紙として使用することはできない。そこでもう一度それをどうにか使用するとなると、千切って粘土にするくらいしかアイデアが思い浮かばない。小学生の時に粘土で面の土台を作って、その上に新聞を貼り重ねて仮面を作ったことがあるが、それと同じことを『大論』の原稿でやろうとしたのだ。しかし結局紙粘土は市販のものを買って来て、石膏で作ったザッパの仮面の雌型に押し込んでいくつかザッパ仮面を作った。そうして作ったものから2個を色づけして、1個は手元にあって、柱にぶら下げてある。筆者は民芸的な仮面や人形などが好きで、ついザッパ仮面も面白かろうと思って作ったのだった。その仮面を写真に撮り、それをジグソー・パズルに仕立てたものを一時『大論』の表紙か何かに使用するアイデアもあった。しかしそれは実現せず、今回『大論2』の予約者の中からひとりだけにそれをプレゼントすることになったようだ。ジグソーは筆者が撮った写真を元に石原さんが作ってずっと保存していたものだ。たった1名とはかなりしょぼいプレゼントだが、それを作るのに工作舎は2500円ほどかかっているので、そうたくさく作ることはできない。ザッパ仮面はそういう経緯があって作ったもので、今回は不要紙の大量の束があるので、それを使用してまた何か再利用を考えたいが、今のところその時間がない。
 『サプリメント』の話に戻ろう。手元には『大論』の第1から第4稿までのパソコンで打ち出した用紙を筆者が製本したものがあって、『サプリメント』は1冊にまとめてある。そしてその『サプリメント』ですら第3稿まである。どれもほとんど内容は変わらないが、パソコンで使用できない人名漢字は石原さんがどうにか省略したようだ。パソコンはそういう不便がある。外字で作ればよいのだが、それも面倒な話だ。実は『大論2』でも当初の原稿では挙げていた人名を最終段階で筆者の考えで削ったケースがひとりある。その人名の中にワープロ内には保存されていない漢字がひとつあったからだ。外字で作って印刷してもらうとよいのだが、別にそこまでしなくてもカットしてもよい人だったので削ることにした。しかし不便だなという思いはくすぶり続けている。『サプリメント』は原稿枚数を数えてみるとだいたい188枚だ。ワープロの文書は24ページ程度、つまり原稿ではその3倍の72枚ほどが書き込めるが、そういう文書を3つほど作ると『サプリメント』に匹敵する計算で、こうして書いていてすでに文書が目いっぱいになって来ているので、3分の1はもう書き終わったことになる。『補遺』と呼ぶにはあまりにも気楽なこういう文章など読者は歓迎しないかもしれないが、石原さんは「読者は大山さんの文章を読みたがるでしょうから……」と電話で最近も話していたから、やはり積極的に何かを書かなくてはことが収まりそうにもない。ところで、ビデオアーツのライナーは一気に書いたもので、連続読み物としての体裁を多少は考え、しかも初心者よりかはマニア向けとなったと思う。すでにいろいろな人がライナーを書いているので、何を書いてもマニアはよく知っているであろうし、どう書いてよいのか困ることもあったが、なるべく『大論2』とはだぶらない内容を書いたつもりであるので、『大論2』と併せて読んでいただくとライナーとの距離感がわかって興味深いかと思う。それにライナーの文章はわずかであるから多少申し訳ない気がしている分、『大論2』は膨大な量があるし、おまけとしてのこの文章もまたこの調子では前の『サプリメント』以上にはなりそうで、ま、それで勘弁してもらいたい気分だ。こうして思いつくまま書いていることの中には、いつかこれを基にしてまた何か書けるかもしれないという、わずかばかりの計り事もあるにはある。しかしそういう書く場が今後あるかどうかはわからない。『大論2』にしても売れ行きが悪ければ、工作舎ないし石原さんの立場も悪化するだろう。とにかくじっくりと読み甲斐のある本といった書評がたくさん出て、前より多く売れてくれればと思う。読みもしないで糞本と罵る意見も、この広い世間であるので別に驚きもしないが、そういう暴力がインターネットを通じて一気に広まってしまいかねないことにはやりきれない思いもある。
 今回の『サプリメント』をどうするかに関して最初のアイデアは、石原さんから『大論2』第7章の日本公演時に関してある雑誌の当時のインタヴュアーに筆者が話を聞くというのはどうかとの意見があった。しかし当のインタヴュアーの所在がつかめず、また仮にわかったとしても筆者が東京に赴く必要があるし、経済的なことも考えるとそれは困難であり、結局断念した。それはまたいつか機会があれば行ないたいが、付録程度で出費が嵩むことが許されるほどに『大論2』が売れるはずがないのが現実で、これは仕方がない。それでは他に何かいいアイデアがあるのかということになるが、現時点では石原さんは何も知らないまま、筆者は勝手にこれを書いている。本が刷り上がる頃になって急に何か書いてほしいとなっても筆者としても困る。今からこうして書いておくのがよい。この文章も石原さんの目を通る間にまたチェックを受けてあちこち削ることになるかもしれないが、そうならないように、なるべる生のままで読者に届くことを願う。生々しいドキュメントと言えばかなり大袈裟だが、本がどうように完成するかわからない今の状態をこうして日々記録するのも自分ながらスリルがある。しかし本当に200枚ほどどこか削ってくれと言われると、それこそそれでまた連日苦しむことになって、こんな日記などとても書く暇もなくなる。680ページになって5500円に変更になろうとも、筆者はそれで今回は出版してほしい。ビートルズのCDが以前は日本盤は1枚3200円もしていたが、それから思うと5500円(ただし税込みだと5775円になってしまう)は、さほど高い気はしないと思うのだが、それは自分勝手、身贔屓というものか。ゲラがいつ刷り上がるのか、おそらく後2、3日だと思うが、その段階でもう一度読み返して、石原さんからも「ここは削ってもよさそうです」といった提示がきっとあることだろう。そしてその時の筆者の攻防がどうなるか。ある文章は必ずどこかの文章と呼応させるように書いたつもりなので、1か所を削るとまたどこかを削る必要が生じる。それをうまく辻褄を合わせようとすると今度は全体がおかしなことになる。憂鬱だ。あんたもまた……。

by uuuzen | 2006-01-19 13:42 | ○『大論2の本当の物語』
●ブログ作成歩録24(別の場所... >> << ●『没後50年 モーリス・ユト...

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