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●「A WALTZ FOR CYNTHIA」
出雲市のホテルを後にする時だったか、あるいは7日の京都高島屋であったか忘れたが、エレヴェーター内でBGMが流れていた。パーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」だ。



●「A WALTZ FOR CYNTHIA」_d0053294_0194221.jpgこんな真冬に夏とはミス・マッチだなと思ったが、実際は冬でもその美しい音楽は似合う。1年ほど前からか、ネット・オークションで、このパーシー・フェイスの「シンシアのワルツ」のシングル盤を入手しようとしていた。今でもたまに出品されるが、大抵はジャケットが指揮棒を振るパーシー・フェイスの写真で、カラー印刷だ。いかにも70年代以降風のデザインであるのが気に入らない。買うならオリジナル、つまり日本で初めて発売されたものがほしい。音楽を聴くだけならばCDが便利ですぐに入手可能だが、日本で最初どのようなジャケットでこの曲が紹介されたかに関心があった。それで馴染みの中古レコード店でチェックする一方、ネット・オークションの出品を待った。ついにオリジナルらしきものが出て落札した。そのジャケットが左上に掲げるものだ。黒1色の印刷、しかも粗悪なわら版紙だ。わら版紙というものが今もあるのかどうか知らないが、ベージュ色で少しざらつき、照りのないうすい紙だ。こんな紙でジャケットが作られていたとはにわかに信じがたいが、レコードを収める袋は逆に60年代以降のものの倍ほどの厚さがある。ネットで調べると発売は昭和31(1956)年1月で、筆者が4歳半の時だ。当時ならこうした粗末なジャケットのレコードはあり得たが、さすがに間もなく紙は艶があり、しかも墨以外の1色の濃淡を使った印刷が主流になる。それはビートルズの例を見ればよくわかるように、1960年代半ばまで続いた。それ以降はカラー印刷があたりまえになったが、今から思えば、ジャケットが黒と別の1色のみで印刷された、50年半ばから60年代半ばまでのせいぜい10年ほどの間に発売されたシングル盤がとても懐かしくて価値あるものに思える。印刷費をけちらなくてもよくなった時代以降のものは、デザイナーが手抜きるようになったためか、ジャケットに気迫が籠もりにくくなった。経済的制約のある中で最高のものを生み出そうとするところに、独特の個性が宿ると思いたい。今では社会はそのような昔に逆戻り出来ないし、戻る必要もないが、個人を考えた場合、経済事情の問題は世の中が豊かになったかどうかに関係なく、いつの時代でもある。それから考えれば、若い頃はお金がなくても、その中で最高のものを生み出そうともがき回り、生涯においてもベストと言えるものを生み得る時期と言えそうだ。お金がないならないで、その範囲内でやればいいのであって、お金がないから芸術的制作活動が出来ないともし訴える人があるとすると、それはかなりの部分で自分から逃げていると言える。
 「夏の日の恋」は子どもの頃に盛んにラジオで聴いて、曲名も知っていた。そして好きな曲であった。76年だったか、ディスコ・ブームに乗ってこの曲がディスコ調にアレンジされ、それもヒットしたが、やはりオリジナルがよい。パーシー・フェイス楽団のほかの曲でも好きなものはいくつかあるが、パーシー・フェイスの演奏であるとわかったのが10代後半になってからというのも少なくない。演奏者や曲名を意識せずに聴いていたわけでそれほどよくラジオから鳴っていたとも言える。小学生の頃はわが家にTVはなかったが、そんな時期よりもっと前の幼少時、もっぱらラジオが鳴り響き、母の趣味であったのかどうか、洋楽番組がよく聞こえた。当時は今とは違って流行曲の寿命はかなり長かったし、番組のテーマ曲ともなれば毎日同じ時間に聞こえて来るから、いやでもそれを記憶する。大阪のど真ん中ではあっても、世の中はまだそんなに多く車は走っておらず、まだまだ静かであったから、そうしたラジオから流れる音楽は今以上に耳奥深くに届いた。洋楽のヒット・パレード番組はビートルズ以前の1960年前後にはすでにあったと思う。ヒット・パレードでは毎週目まぐるしく持てはやされる曲が変化し、テンポの速い曲も多くなって、時代の動きは加速化した。そんな中、「夏の日の恋」もそうだが、「シンシアのワルツ」はもっと落ち着いて、ゆったりとした味わいがあり、いかにも古い時代の雰囲気を保っていた。この曲のタイトルを知ったのは中学生になってからだった。だが、曲はレコードが発売されてすぐにラジオで聴いていたはずで、実際この曲を聴くと、筆者が生まれて育った家の中の光景がすぐに目に浮かぶ。また、この曲が盛んにかかっていた場所がある。それは映画館だ。洋画専門の2番館が歩いて10分ほどのところにあって、よく近所の兄さんに連れて行ってもらったりもしたが、休憩時間には洋楽ばかりがかかった。そんな中でも「アパッチ」はよく記憶している。その曲名は一緒に行った兄さんに訊ねて教えてもらった。そして「シンシアのワルツ」もよくかかり、その間、半分光源が灯った状態の中、スクリーンには近所のレストランや質屋などの広告スライドが、10数秒ずつ切り変わって映された。今にして思えば、そうした広告によく登場していた女性イラストは東郷青児の絵のまねだった。こんな回顧的なことを書きながら、当時が懐かしくて戻りたいとは思わない。当時は当時で子ども心ながらに苦しく生きていた。あまりの貧乏で、将来がどうなるか不安に脅えていたと言ってよい。ラジオは父親が置いて行ったもので、それを楽しむ程度の電気代はあったが、たまに真空管が駄目になり、母の言われるとおりに近所の電気屋まで買いに走ったことがある。店の人は裸でそれを手わたしてくれたが、当時はそのように包装紙1枚がまだ大切な頃であった。
 ネット・オークションで買ったこの曲のシングル盤だが、すぐには聴かなかった。メロディは全部頭の中に入っていて、聴くまでもないのだ。オルガンでさきほどメロディを思い出しながら演奏してみた。Bmの曲だが、臨時記号が2か所あった。短調の曲はすぐに悲しみが漂うと表現しがちだが、Bmの音階から外れる音が特徴的な箇所にふたつあることによって、とても不思議で印象的なものになっている。それでも幼少の頃に耳にタコが出来るほど聴いた音楽というのは、好きも嫌いもなく、自分の血肉と化している。筆者がこういったムード音楽がしっかりと脳裏に刻まれた状態で、後年ビートルズやあるいはザッパを聴いたことを今後も忘れないだろう。ザッパはムード音楽を嫌いだと言っていたが、ザッパの言うことはみなそのまま信用しない方がよい。ムード音楽ではあっても、それは当時の才能が全身で生み出したものであり、音楽的に見てもリズム・アンド・ブルースにはない、もっと西洋の舞曲の伝統に則った、それこそザッパが関心を抱いて当然なものがある。ザッパはもう少し活躍する時代が前ならば、ムード音楽作曲家の大家になっていたかもしれない。時代がロックン・ロール一辺倒に傾いて行ったから、作曲家として生き残り続けるために、そしてアメリカという国においては、そうした形式に沿った曲を書かねばならないと覚悟した。もちろんそんな音楽が好きでもあったからだが、それだけが理由ではない。ザッパにムード音楽的な曲がないかと言えば、そうではない。初期にはムード音楽として言いようのない映画音楽を書いているし、最晩年のたとえば「アムネリカ」は、シチリアーノといった舞曲の影響を受けたムード音楽として位置づけてよい。そんなわけで、筆者の頭の中ではたとえばこの曲とザッパの曲がすぐ近くにある。これは同時代性から考えてごくあたりまえであり、またそういう同時代性においてたとえばザッパの曲を思うことは大切だ。今の若い人ならばザッパだけを取り出して聴きがちだが、それでは見えて来ないことがある。しかし、それはそれとしてひとつの仕方のない立場でもあるので、別に文句を言いたいのではない。それでも、ザッパの音楽にさまざまなものが雪崩込んでいると言いたいのであれば、同時代のムード音楽にも目配りをする必要があろう。
●「A WALTZ FOR CYNTHIA」_d0053294_14122328.jpg さて、「シンシアのワルツ」にはSP盤が存在する。レコード番号はL143だ。これもネット情報の受け売りだが、Lは日本コロンビアがアメリカのコロンビア・レコード(CBS)と契約して発売したもので、当時はほかに日本ビクターがアメリカRCAと契約して出したSを頭文字にするレコード番号のS盤というものと、ポリドールが出したP盤というのがあったらしい。L1は昭和24年8月の発売で、Lシリーズは146まで続き、45回転の塩ビ盤にバトンタッチしてレコード番号をLLと改めた。その最初のものとして昭和31年1月に発売されたのが、筆者がネット・オークションで去年購入した45回転のシングル盤(ドーナツ盤)なのだが、SPで出たものがそのままシングル盤ででも再発売されたところにこの曲の人気ぶりがうかがえる。それはいいとして、この曲のSP盤は昭和30年に発売されたはずで、レーベル部分の画像を左に掲げるが、色合いや、どこかビートルズのアップル・レーベルのB面を思わせるデザインがよい。残念ながら、ジャケットがどのようなものかは不明だが、シングル盤と同じく、ダンスをする男女のイラストであったかもしれない。さて、この曲はインストルメンタルであるので、ジャケット裏面は歌詞ではなくて解説だけが印刷されている。名前はないが、レコード会社に勤務していた人だろう。なかなか端的な文章でよい。全部引用したいほどだが、まず最初の方を少し書く。今から半世紀前の文章だ。「最近我が国のポピュラー・ミュージック界では、嘗つてのマンボやチャチャを初めとするラテン音楽、或いはリズム・アンド・ブルース等の流行を後に受けて、ムード・ミュージックと呼ばれる絃を主体にした所謂シンフォニック・スタイルの演奏が好評を以て迎えられて居ります。この様な演奏スタイル、つまり前記のマンボ等、強烈な刺戟を持ったスタイルと、全く逆に落ち着いた品の良い演奏が受け容れられるようになったのは、戦後の精神的な虚脱状態から立直って、ようやく平和な心境に立ち至った事を示す現象とも考えられ、極めて好もしい傾向と云えます…」。最後はこうだ。「…このレコードではパーシイ・フェイスが大編成のシンフォニック・オーケストラを率いて、彼が最も得意とするスタイルで演奏して居ります。曲は何れも我が国の民間包装の番組のテーマ音楽として人気のあるものです」。この文章からは、SP時代にすでにこの曲とB面の「恋をして(原題:IN LOVE)」がラジオからよく流れていてそうとう有名であったことがわかる。幼少時代の筆者が聴いたのはそれであろう。日本でのSP発売が昭和30年だとしても、アメリカではもう少し早かったはずで、そうなるとほとんど戦後すぐあたりの曲としていいだろう。
 レコードの解説はなおも続き、次に曲目について書いてある。「『シンシアのワルツ』はニッポン放送の連日深夜11時40分から始まる『ひとみの囁き』と云うディスク・ジョッキー番組のテーマ曲として使用され、一般に知られる様になりました。このような深夜の放送にもかゝわらずレコードの発売以前から話題となったのは曲の良さはともかく、放送による普及力の強さを発揮したものとして興味深いものがあります。この多分に日本人好みのする旋律を持った美しいワルツは、短編映画”A Prince For Cynthia”の主題歌として使われたものです。尚この曲の後半で聴かれる美しいオーボエのソロは、米国コロンビアの文芸部長として活躍しているミッチー・ミラーです」。映画の主題曲ということだが、この映画が日本で上映されたかどうかは知らない。「夏の日の恋」は5、6年前にようやくヴィデオで観たが、カラー映画でそれなりにきれいな映像ではあったが、あまり印象に残る作品ではなかった。主題曲ばかりが大ヒットした形で、この「シンシアのワルツ」についても同じであろう。ただし、アメリカではどうであったのだろう。日本だけの大ヒットであったのかもしれない。オーボエのソロは説明にあるように弦楽器と同程度に重要で、これが日本でも後年爆発的に有名になったあのミッチー・ミラーの演奏であることは、この説明を読んで初めて知った。ついでながら、作曲はグランツベルク(Granzberg)という人で、ドイツ系の名前のようだ。また、戦後間もなく、ラジオでディスク・ジョッキーが活躍し、今と同じような番組をやっていたことが想像出来る文章で、半世紀前であるからと馬鹿には出来ない。何ほどの変化もなかったとみなすこともまた出来るだろう。ネット・オークションによって、今までなかなかわからず、また入手しにくかったものが、安価で簡単に買えるようになった。それでも雑音のひどいレコードを聴きながらさきほど思ったが、昔聴いた時の記憶の中で鳴り響かせる方が、メロディははるかに純粋で美しい。思い出はモノで確認せずに、記憶の中で転がしているだけの方がよいのかもしれない。
by uuuzen | 2006-01-16 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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