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●アルバム『Joe’s Xmasage』発売
2日前、東京のUさんが去年のクリスマス前に申し込んでいたザッパのCD『 Joe‘s Xmasage』が早くも届いたとメールをくれた。



アメリカのOさんに訊ねると、クリスマスに届いたとのこと。以前とは違って、決済が便利になって、そのためもあるのかどうか、かなり早く届くようだ。筆者はまだ注文していないが、それは17日にもう1枚の新譜『 Petit Wazoo』の通販開始が始まり、それを待って2枚一緒に買おうと思うからだ。送料が1枚でも2枚でも10ドルほどするはずで、それならばなるべくまとめて買った方が得だ。だが、大金を振り込んで、もし届かなかったらどうしようという思いもある。それで、いつもせいぜい数枚程度を限度に注文する。Oさんによれば、『 Joe‘s Xmasage』は今ひとつの出来だそうで、これは前回のこのシリーズがそうであったから、何となく予想がつく。それで17日発売を楽しみにしているとメールにあったが、海賊版で昔からこの時期の演奏も流通しているので、どこまで新鮮味があるのかどうか、そこが興味のあるところで、昔のように全く音の想像の予想がつかない楽しみはない。そのため、新譜の発売があってもただちに注文する気にはなれないのだ。これはザッパ・ファンとしては熱度の低下と思われるに違いないが、事実であるので仕方がない。ザッパ本人が編集していない点を思えば、冷静にならざるを得ない。それでも新譜は嬉しい。

●2001年9月9日(日)夜
さて、夜だ。再開しよう。さきほど河原町に出てレコード店や百貨店に行って来た。7階のNTTコーナーに無料インターネットが体験できるパソコンが4、5台置いてある。いつも満席だが、今日はひとつ空いていたので、早速座ってzappa.comと打ち込んでみると、日本のファンが作るホームページの名前がいくつか出て来た。7月2日にビデオアーツからザッパの紙ジャケットCD発売の予告がすでに出ていたことがわかった。そして10日には工作舎の編集者である石原さんがその情報の追加を何やら書き込んでいた。それよりも筆者がやはりと思ったのは5月下旬のいつだったか、石原さんが筆者の『大論2』の原稿完成を書き込んでいて、そこには約500ページと記してあった。母の日に脱稿した時点では確かにその程度に収まる原稿量であったかもしれない。筆者の手元にその原稿が紙に印刷されて戻って来たのは8月の第1週目を過ぎた頃で、8月末までにもう一度推敲してほしいと言われた。石原さんが手を入れた箇所は『大論』に比べてはるかに少なく、情報追加指定はわずか数ヵ所で、他は誤字訂正やもう一度事実を確認してほしいという指定であった。つまりそれだけの訂正であればその気になれば1日で済む。ただし8月末までは3週間の余裕があったので、筆者はもう一度最初から読み初めて訂正や追加を行なった。その結果2040枚に増えたことになるので、3週間にいったい何枚加えたのだろう。200枚以上であるのは間違いがない。今年の夏は記録的な猛暑で、クーラーのない部屋で、半裸になってワープロに向かうのはエネルギーを消耗する。しかし幸いなことにお盆過ぎからは急にしのぎやすい気候に変化したので、予定どおり原稿の再チェックははかどった。しかし昨日も書いたが、第8章総論の手直しは解体修理の度合いがひどくて、これが期日以内に完成するのかどうか正直なところあせった。その完成に至るまでの賭けのような裏話をここで繰り広げるのも面白いはずだが、今日はもうその元気がない。ひと言で言えば、筆者の閃き勝ちで、その一点の事実が結局は第8章だけではなく、他章との関連をより強固にしてくれた。ちょうどそうした頃、奈良の友人が久しぶりに来宅して、その話をすると、「インターネットがあればそんなこと簡単に調べられるのに」という語った。確かにそうかもしれないが、インターネットはいわば百科事典の箱であって、それがあるからといって文章の枕となるようなアイデアを提供してくれるはずがない。つまり百科事典があっても創作そのものを生み出しはしない。何か不明点な調査するには便利かもしれないが、それにしても限界があるだろう。それはあくまでも小さな画面上に現われる映像の範囲内でしか確認できない場合も多い。ところが実際の物に当たれば、インターネットの画面上からは決してわからない情報が手に入る。現物主義が大切だ。インターネットで裸の女の写真が無数に手に入るとしても、それは匂いや肌触りが感じられる実物の女の体ではない。インターネットが万能と思うのはおめでたい考えだ。
 筆者は一時銅版画を学んでいたことがある。銅版画は凹版で、版の窪んだところにインクが入って、そのインクを圧力で押し出して紙に刷る。そのためにインクが紙上に凸状に盛り上がる。これは紙幣やそれにごくたまに切手にも使用される印刷方法で、その盛り上がるインクの質感がたまらなくよい。こういう味わいはその銅版画をグラビア印刷しても絶対に再現できないものであり、ましてやインターネット画面でもっとぺらぺらの画一的なシロモノに変化してしまう。それはもはや銅版画でも何でもない。ある少年に筆者がいくつか所有するある銅版画作家の大判の銅版画作品を見せたところ、その子はカラー・コピーすれば大金を出さなくとも簡単に同じものが作れるのにという意見を述べた。さすがコピー時代の子どもの考えることだ。しかしコピーしてもインクの盛り上がりはないから、銅版画独自の味わいはみな消し飛んでしまう。本物は本物だけが持つ迫真性がある。もちろんコピーにはコピーの迫真性もあるのだが、コピーは本物があることで存在が発生するものであって、やはりコピーは悲しくさびしい。ヴァーチャル時代がもっと進むと何が本物かわからなくなる人が増えるのかもしれないが、何でもかんでもインターネットが便利と思ってしまうところには創造性が狭まる気がしてならない。『大論2』が仮に5000円で売られるとして、そこに書いてあることはたいていはファンならすでに知っている事実をベースに、そこに駄洒落とザッパには間接的にしか関係のないゴミのような情報の羅列とみなして、5000円の価格をとんでもなく高いと言う人もあるかもしれない。それは筆者自身が逆の立場ならそう思うかもしれないということから推しての思いなのだが、しかしそうであるからこそザッパ関連の情報や百科事典的情報の羅列以外に何か頭のどこかにこつんと効いて来るような文章の断片を少しでも多く散りばめたいとも考える。そんなものに5000円も出さなくとも、そこらにいくらでも転がっていると思う人もあるだろう。しかし実際は案外そうではなく、1冊の本から何かひとつのことでも後々記憶するということはめったにないものなのだ。ザッパに関する本であるのにザッパとはさほど関係のない事柄に注目してほしいと言うのは本末転倒かもしれないが、筆者が言いたいのは、一見ザッパと関係のない事柄でもよく考えると底の方でザッパ解釈に近道を提供することがあるということだ。具体的にそういう箇所をここですぐに挙げよと言われても困るが、本のあちこちにそういうことは散りばめておいた。
 インターネットは情報収集には便利であるだろう。しかしそれだけが情報源ではないという立場を筆者は取る。筆者は自分の足で集めたものを出発として論を進める。それは自分がまず最初に目に止めた何かを基礎とする態度で、フィールドワークに似る。自分の体験と言えばよいか、自分なりの不思議発見からそれを解きほぐす行為までの間にいろいろと自分にとっては面白いと思えることに出会うもので、そういう事柄をいつもたくさん脳裏に留めておいてそれを飼育し続ける。それは自分の体験が基礎になっているものであるから、自分の発想つまり創作とほとんど同じと言ってよい。これは金がありあまるほどあればと有利になるというものでは決してなく、またじっとインターネット画面を見続けるだけでどうにかなるものでもない。もちろん大金持ちならそれなりの、またインターネット・オタクならばそれなりの独自の発見があるのは当然だが、そんなに偏らなくともごく普通の生活をする中で、その気になりさえすれば奇妙で面白いことにはいくらでも出会える。筆者はパソコンを所有しないが、京都府立図書館では無料インターネットが10台ほど設置されているし、いつも行く写真屋では待ち時間の間に自由にインターネットをしてよいことになっている。それに先に書いたように百貨店でも無料でできる。筆者がパソコンを買いあぐねているのは、狭いわが家の壁面が本や絵やCD、それに箪笥で占領されていて、置き場所がないことにもよる。それに毎日調べたいことがあるとは限らないから、何だか無駄な気もする。学生時代にはフォートランというコンピュータ言語を学んで、設計会社に就職してからも、高等数学を駆使してプログラミングに明け暮れる生活をしていたが、いつの間にやら時代はパーソナル・コンピュータ時代が来て、自分でプログラムを書かなくてもいろいろとソフトが販売される時代になってしまった。どこで時代遅れになってしまったのやら。書き忘れてしまいそうだが、奈良の友人がインターネットが簡単に調べられるのにと言ったことに関して、筆者はおととい府立図書館で1時間かけて調べてみた。すると目的の映像に突き当たることができたが、残念ながらそれは本の写真で容易に入手できるものより解像度が低くて、結局何の役にも立たなかった。それはアメリカ政府が運営するホームページであり、それ以上のものは見つからないだろう。あるいはもっと他の個人的なホームページを調べるか、掲示板コーナーで誰かに情報を提供してもらうしか手がないが、そんなことをするよりも直接実物に当たる方がずっと早い。ただし実物に巡り会えない場合はインターネットに頼るのも方法だろう。

by uuuzen | 2006-01-14 23:57 | ○『大論2の本当の物語』
●『スイス・スピリッツ-山に魅... >> << ●ルイス・C・ティファニー庭園美術館

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