順序から言えば今日書く本については、一昨日に投稿すべきだが、半分ほど読んでから投稿するつもりであった。だが、昨日の投稿に載せた写真に「フランク・イングリッシュ」と店の名前があって、それと本の題名がつながるので今日書くことにする。
ところで、4月の「レコード店の日」に発売されたアナログ盤を除けば、去年からザッパの新譜の発売が途絶えているが、9月20日頃に発売されると告知があった2枚組LP『アブソルートリー・フリー』の日本発売は、まだアマゾンで予約が始まっていない。日本で発売されないはずはないと思うが、発売まで2か月を切っているのに予約が始まらないことは珍しい。それはともかく、一昨日、今日取り上げる本がアマゾンから届いた。この本は、アンドリュー・グリーナウェイという長年イギリスのザッパ・ファンが、自分のサイトに順次公表していた、ザッパと親しかったメンバーその他のインタヴュー集だ。筆者はアメリカの大西さんからそのサイトで目立った動きがあるといつも伝えてもらっていて、アンドリューが行なって来たインタヴューはたいていは目を通して来たつもりだが、本にまとめられることを知って予約した。ネットで無料公開されている文章であるので、本がどれだけ評判を呼ぶのかは知らないが、パソコンの画面で読むより便利で、迷わずに購入した。それに、アンドリューもこの本が出たからには、サイトに載せているインタヴューをいずれ取り下げるかもしれない。本の表紙は薄手で、また艶消しのビニールのコーティングは早くも隅から剥がれ始めているが、本文の活字もあまりデザインがよくなく、たとえば「old」が筆者には「oki」に見える。「d」の丸の部分が「l」にほとんどくっついているからだ。こうしたことはパソコンが普及してからの一種の欠点で、日本の漢字や平仮名でも言え、昔の活字のような見やすい味わいが欠ける場合をよく見かける。それはさておき、届いてすぐに序文を読み、また今日は2,3のインタヴューを読んだが、全部を読破することはずっと先になるだろう。アンドリューがサイトで公表しているインタヴューと逐一比較はしていないが、2番目に取り上げられているザッパのセッスク・フレンドであった「ロレーン・ベルチャー・チェンバレン」は、本では今年のインタヴューが追加されていて、出版に際しての配慮がうかがえる。だが一方で、本であるので肖像権の問題を避けるためか、ほとんどの人物はイラストで代用され、顔写真はかなり少ない。「ロレーン・ベルチャー・チェンバレン」のなかなかの美人顔の写真も1枚もないので物足りないが、気になればネットで調べればよいし、アンドリューが撮った写真を全部載せるとなると、本はもっと分厚くなった。約370ページだが、日本語訳すれば400ページは超え、価格は4000円や5000円になって、ほとんど売れないだろう。
ところで、「ロレーン・ベルチャー・チェンバレン」は、ザッパのアルバムをすべてよく知っている人でも、どういう人物でザッパとどう関係したかは知らないだろう。つまり、この本はザッパの作品からは見えて来ない、あるいは絶対にわからないことが当事者の証言によって明らかにされている。そのため、熱心なザッパ・ファン向きで、なおさら日本語版は出しにくい。筆者が勝手に訳してブログで公開すると、著作権侵害になる恐れがあり、熱心なザッパ・ファンは自分で少しずつ読むしかないだろう。それに、あまり難しい表現はなく、割合すらすら読める。だが、ザッパの音楽が好きな人でも、ザッパの音楽や私生活の裏事情まで知りたいかと言えば、これはそうとは限らず、ザッパの人間像を他者の証言から組み立てることにどれほど意味があるかと疑問視する人もあるだろう。知っておいて損はないが、知ったところでザッパの音楽に対する思いが大きく変わるかと言えば、筆者はそれはないと思う。ではアンドリューのこの本が無意味かと言えば、全くの労作で、他の人物では不可能な仕事であったろう。それに、ザッパと関係した人は毎年のように亡くなっているので、生きている間にインタヴューしておくことは、後々のザッパ研究の大きな資料になる。ただし、インタヴューされる方は、いつもザッパに対する思いが同じとは限らず、記憶の曖昧もあるはずで、別の日にインタヴューされると、同じことを答えても別のニュアンスが籠る場合もある。ま、そういったことも含めてなおこうしたインタヴュー集は、特にザッパの場合は意義がある。それは雇ったメンバーの数が桁違いに多かったからでもあるが、本書に取り上げられるのは32名で、1990年から今年にまで及んでいる。肝心のザッパへのインタヴューはないが、ザッパ像は32人の発言から多角的に浮かび上がる。ただし、それはザッパの音楽を聴いて想像することをほとんど出ない。むしろ、「やっぱり」、「なるほど」と納得させられることばかりで、そこに人間としてのザッパの姿がより明瞭化する。それは人間性を過大に評価することではなく、また人間としての駄目な部分を誇張することでもなく、等身大の姿がより鮮明化すると言ってよい。
別の角度から言えば、それは多感な青年向きではなく、甘いも酸いもよく知っている大人向きの内容だ。「フランク・トーク」の題名がそのことを表わしてもいる。そういう、ザッパについてのあけすけな意見を多く知ったうえでザッパの音楽を聴き直すと、より理解が深まる。それは、ザッパがアルバムのタイトルや歌詞にきわめて個人的な経験や考えを隠喩として投影したからだが、ただしインタヴューされた人の発言には想像が混じり、ザッパ本人に確認しなければ真実がわからないところも多々ある。そのようにザッパの音楽は謎めいているところが多く、アンドリューはそうした部分をザッパと関係したメンバーに訊ねることによって、少しでも明らかにしようという、ザッパ研究家の立場がある。そのため、ザッパのアルバムをすべてよく知っていることはもちろん、インタヴューしたいと思うザッパ関係者のたとえば作品や現在の状況も知っておかねばならないが、それほどの熱心なファンを生むほどにザッパの音楽には深い魅力があることが本書からは伝わる。筆者が最初に読んだのは「ロレーン・ベルチャー・チェンバレン」など、女性へのインタヴューだが、それはザッパの性生活に関する話が多いからでもある。ザッパは60年代のフリー・セックス時代の人間で、セックスを含めて「アブソルートリー・フリー」であることを欲したが、一方では結婚に厳格なカトリックを信仰していたので、その辺りのバランスと言うか、現実における女性との対応はどうであったかに多少の関心はあるが、簡単に言えば、ザッパは女性に関してはごく普通の男であり、また妻のゲイルに異性関係に口出しさせなかった。ゲイルは表向きは黙って耐えたが、誰も見ていない状態において、ゲイルがザッパに不満をどう漏らしたかはわからない。これは以前に書いたことがあるが、サイモン・プレンティスさんは、ゲイルに会った時、ザッパとの結婚生活に愛があるのかといったようなことを質問した。するとゲイルは子を4人も生んだのであるからと答えたが、ザッパには家を守って子育てをしてくれる女性が必要で、そのためにザッパは仕事に精を出すことが出来たし、また仕事で出会う女性、あるいはゲイルと出会う前に知り合っていた「ロレーン・ベルチャー・チェンバレン」との、ゲイルとの結婚後のいわば不倫などは、みな作品に反映され、ザッパにとっては妻以外との性交渉も仕事のうちであったようなところがある。それは妻にとっては耐え難いことかもしれないが、普通の男、しかも20代や30代であれば、素敵な女性と出会うことがあれば、まずはセックスをしたいと思ってあたりまえなところがある。それを病気と言うのであれば、男はみんな病気だ。というように、筆者はすこぶるザッパの奔放とも言える異性関係に寛大だが、それはザッパが音楽に対してきわめて真面目で、多くの作品を遺したからで、普通の色好みとは違うからだ。
さて、ついでに書いておく。先月下旬にザッパに関してヤマハからふたつの打診があった。それをここで書いてもいいのかどうかわからないので、内容については触れないが、ひとつ言えることは、本書と同じようにザッパを深く知るための映像作品が今後ますます増えるとの予感だ。その目下の代表はアレックス・ウィンターが企画しているドキュメンタリーだが、ザッパ・ファミリーも独自にいくつか企画しているようで、それらは順次作品になるだろう。だが、そうした作品が、たとえば本書と同様、日本版がどれだけ売れるかどうかが問題だ。一定数が売れなければ、第2、3弾の企画は流れる。日本のザッパ・ファンの層が厚みを増し、しかも欧米のファンと肩を並べるほどに情報に詳しい時代が来ればいいが、それは今後どうなるかわからない。そのことで思うのは、先日からネットで広告が始まったビートルズのLPをイタリアのデアゴスティーニが日本でも発売を始めることだ。これには驚いた。1960年代にはクラシックのアルバムを豪華な箱に入れて出版社が発売するということがあったので、今回のデアゴスティーニからの発売は全く斬新ということではないが、ビートルズのアルバムを毎月1作LPを解説とともに箱に収めて書店で売るというのであるから、ビートルズはもうそのような古典になったかと感慨深い。60年代半ば、筆者が中1から夢中で聴いた頃はクラスにひとりかふたりのファンがいた程度であったのが、半世紀を経て評価がいよいよ定まったかと思うが、今でもビートルズを聴かない、評価しない人はいるであろうから、ま、簡単に言えばレコード会社としては商売目的でさまざまな販売方法を考えるだけとも言える。それで、ザッパのアルバムもそのように発売されるとすれば、100作として、毎月1作の発売で8年もかかる。それほど作品が多ければ、ファンになることを躊躇する人は多いだろう。その点、ビートルズはちょうどほどよい数のアルバムを出した。だが、デアゴスティーニから出るシリーズは、解散後の編集物も含み、ビートルズについて詳しくない人はそれらを買って騙されたと感じるのではないか。だが、商売であるからには少しでも多くの枚数を売る方がよいとの考えだ。商売になりにくいザッパは、特に日本では欧米で発売される作品がすべて商品化されるとは限らない。日本のユニヴァーサル・ミュージックがザッパのCDの日本盤を出さないことからしても、今後日本におけるザッパ人気は下降こそすれ、上向きになることはないような予感がある。