一昨日の朝刊に、宍道湖の北の山中に日本一大きな風力発電の施設が建つ予定で、プロペラの直径がかなり大きくて宍道湖畔から丸見えとなるため、有名文化人が揃って反対を唱えているとあった。

松江市側は、クリーンなエネルギー確保のためには風力発電がベストであるので、どうか理解してほしいと言っている。もしこの巨大プロペラが立てば、島根県立美術館の夕日を眺めるテラスからはやや右手正面の向かい岸の奥にまともに見えるだろう。それが景観にどれほど悪いのかどうかわからないが、高層ビルが皆無に等しいような宍道湖畔では、仮に遠目に見えたとしても意外に目立つはずで、それが景観上よくないのは充分に想像出来る。だが、プロペラが風を充分受けて回転するには背を高くする必要がある。松江市の北は日本海に辿り着くまで山並みが続くが、そのどこに建てたとしても宍道湖南方からははっきりと見えるに違いない。もっと別の場所に建てて電力を引けばよいと思うが、風力発電はそれは不可能なのかもしれない。ソーラー発電なら景観問題はないが、冬場は曇り空の多い山陰では役に立たない。難しい問題だ。それはさておき、旅行前に下調べをしなかったため、予期せぬ形でこの展覧会に接した。今年初めて見る企画展だ。ポスターとチラシは足立美術館で見た。その3時間後には会場に立っていたから、まるで瞬間移動した気分だ。昨日書いたことを訂正しておくと、『ギュスターヴ・モロー展』『若冲と琳派』『ミュシャ展』は去年開催された。『若冲と琳派』は別として、つまり京阪神より早く開催された。これだけから推察すれば、巡回展は西から東へと進むようだ。それで、この展覧会だが、あるいは京阪神に巡回するかと思って、受付嬢に訊ねた。次は東京のbunkamuraに行くが、その先はわからないと言う。だが、京阪神には来ないと想像し、すぐに660円出してチケットを買い直した。なぜ京阪神に来ないと思ったかだが、山をテーマにした展覧会となると、山に縁のある県には回っても、京阪神はイメージが合わないからだ。島根が山と関係が深いかどうかは疑問もあるが、日本の人口の少ない地方となると、どうしても山のイメージが結びつく。それでこの展覧会は島根ならではの企画展に思え、そういう展覧会の開催中にうまい具合に訪問出来たことを喜んだ。このパック旅行は3、4月までやっている。実はその頃の方が本当は家内のつごうもよかったが、思い込めば早い方がいいとばかりに正月明け早々に行くことにした。3、4月であれば、由志園の寒牡丹は見られなかったし、ここでは代わりに『岡本太郎展』が開催されていた。岡本太郎の作品はよく見る機会であるから、こっちの方が断然よい。
さて、30分しか見なかったし、2500円だったか、重そうな図録も買わなかったので詳しいことは書けない。一緒のツアー客でこの企画展を見た人が何人いるかは知らないが、中はガラ空きで、独占状態で鑑賞出来た。自分ひとりのために用意されたように思えてとても気持ちがよい。全部で7つのセクションに分けられていた。まず最初の部屋は1『画家による高地アルプスの発見』と題して、18世紀の絵が並ぶ。フェリックス・マイヤーの「グリンデルワルト下氷河」は1700年頃の作で、スイスの氷河を描いた初作品とあった。こういった画家の中では18世紀後半に活躍したカスパー・ヴォルフが大物らしく、ロマン主義の前哨に位置づけられる。1774年頃に描かれた「グリンデルワルト峡谷のパノラマ:ヴェッターホルン、メッテンベルク、アイガー」は、その名のとおり、3つの山と氷河で覆われる谷を横長のパノラマとして描いたもので、裾野に人物がごくごく小さく描き込まれている。静謐な絵だが異様な迫力が発散しており、絵の前で誰しも山の神秘性を感じないわけには行かないだろう。一瞬にして釘づけになり、通り過ぎてはまた戻って見るを2、3回繰り返した。3つの山とも焦茶色で描かれ、中央の大きな山はまるでモーゼのような老いた人物の正面顔に見える。きっと画家もそんな思いを込めて描いたに違いない。色合いはドイツのカスパー・ダヴィッド・フリードリヒの絵にそっくりだ。ロマン主義の前哨という意味がよくわかる。フリードリヒはこの絵が描かれた1774年に生まれたが、父親世代のヴォルフの絵をどれほど知っていたのであろう。今回初めて彼の絵を見たことは収穫であった。ヴォルフは1774年に科学分野の本の編集者の目にとまり、連作版画の原画の注文を受け、4年にわたって200点のアルプス絵画を描いたが、その意味でフリードリヒの描くような作った絵ではなく、写真代わりの、正確で写実的なものだ。にもかかわらず幻想性が宿っているのは面白い。幻想をことさら意識せずとも幻想の神は宿る。山そのものが幻想の塊に似た存在であるからか。同じ部屋の次のセクションは2『国民運動としての19世紀山岳絵画』だ。タイトルが示すように、画家たちは身近な山を愛し、どんどん描いた。アルクサンドル・カラムの「ルツェルン湖」は印象に強い。そのほかフランソワ・ディデー、ヨハン・ゴットフリート・シュテファンといった初めて見る画家の、ややもすれば陳腐な絵に堕しかねない写実的な山岳絵画が並んでいた。筆者が小学1、2年生の頃、よく遊びに行く近所の家に、アルプスを背後に控える湖を描いた安物の小さな絵がかかっていた。子ども心ながらに何とつまらない絵だろうと思ったものだが、絵というものが何もわからない人のために量産されるそうした一応の油彩画の原点に、スイスのこれらの山岳画家がある。それだけ山岳絵画がよく売れたこともあるし、日本でも登山ブームがあって、それに便乗して紛い物の山岳絵画がたくさん描かれたのだろう。それらと元祖的存在のカラムを比較するのは無茶だが、アルプスを身近に知らない筆者のような者からすれば、絵はがきに最適なように描かれた山岳絵画には深く没入出来ないものがある。このような絵は、たとえばアメリカやオーストラリアの自然を専門に描く画家の絵と共通した、誰が見てもそこそこ楽しい写実性豊かな健康美があり、それゆえこのコーナーが「国民運動としての」と題されるのは正しい。これらのスイスの山岳絵画がクールベにどれだけ影響を与えたのかどうか気になったが、クールベはアルプスだけを取り上げて描くことはなかったから、影響関係はほとんどないであろう。
3『1900年前後初期モダニズムにおける山岳風景』は、この展覧会が一番見せどころとしている部分だ。この分野での筆頭は当然ホドラーだ。ホドラー展を京都で見たのは1975年だ。その時買った図録が手元にある。それを開かずともホドラーの絵の、どこまでも透明で激しい印象の思い出はすぐに蘇る。筆者は表現主義絵画が大好きだが、ホドラーの絵はドイツ表現主義直前にあって、それとはまた全然違う冷たく燃えるような空気が流れている。その霊感の源はスイスの山や湖といった自然であろう。ベルンに生まれたホドラーはとても貧しく悲惨な子ども時代を送った。そして12、3歳で観光客用の風景画を描いていたドイツの画家のもとで修行し、10代終わりに「19世紀のスイスの有名な山岳画家アレクサンドル・カラムとフランソワ・ディデーの作品を模写」したと、75年に買った図録に書いてある。先輩画家あってのホドラーの出現であることがわかる。チラシやチケットに作品が取り上げられているセガンティーニも見物だ。彼については1978年に兵庫で大きな展覧会が開催され、図録が所有している。ホドラーもそうだが、セガンティーニには世紀末の象徴主義絵画特有の暗さがあり、アール・ヌーヴォーに影響された装飾性とも縁が深い。だが、チケットに印刷された作品は明るい青空で、平和なアルプスの麓の牧草地の光景だ。ゴッホとは同世代で、ミレーの絵に興味を抱いたことや、細長いタッチで画面を埋める描き方も共通しているが、南に向かったゴッホと違い、セガンティーニはミラノやその北のアルプスを活動エリアにして、より孤高の雰囲気がある。日本でもそこそこ紹介がなされているとはいえ、ゴッホほど有名でないのは、フランス印象派とはつながった位置にいないためと言ってよい。弟子のジョヴァンニ・ジャコメッティとの共作「ふた組の母子」は、母子と羊の親子を描いたものだが、これは描かれたのが1898から1900年というキャプションを見ると、セガンティーニが死んだため、ジャコメッティが補筆したものだろう。アルベルト・アンカーの「イチゴを持つ少女」(1884)は、かわいい少女を写実的に理想化して描いたもので、ホドラーやセガンティーニの男っぽい絵ばかりでは展覧会を訪れた人が失望することを狙ってのことか。セクション4『色か形の解放』は、ゴッホやゴーギャンから影響を受けたクーノ・アミエ、先にも触れたジョヴァンニ・ジャコメッティの作品、そしてキュビズムを取り入れたアルノルト・ブリッガー、オットー・モラハの派手な絵が展示されいた。これは次の5と関連しての展示として興味のあるところだった。
5『キルヒナーと「赤・青」』では、今回の旅で最も印象に強い絵に出会えた。展示室を順番に辿り、仕切り壁を越えて向こう部屋の右手隅を覗き込むと、そこだけ特別に壁布の色を変えて、キルヒナーの大きな絵が2点飾ってあった。つまり、特別待遇だ。それだけの価値のある画家、そして絵なのだ。この2点の前に立った時、まるでドイツに来ているような錯覚をした。絵とは不思議なものだ。画家のすべてがその前に立つと放射して来る。筆者は昔からキルヒナーに関心がある。1992年にフランクフルトに行った時にも、市立美術館でのキルヒナー部屋では狂喜した。彼の絵は日本では所蔵もされず、あまり見る機会がない。ドイツ表現主義展がある場合、必ず作品は持って来られるが、まだキルヒナーだけを見る展覧会の開催はない。その絵はあまりにも刺々しく、また痛々しいので、大好きな画家と言う人はごく少ないだろう。また、ヒトラーから否定されて1938年にスイスに移住し、そこで自殺するまでの20年間に描いた絵は、それ以前と比べてがらりと雰囲気が違い、使用する色やその配置は常識を越えた支離滅裂なところがあって、見ていて心が落ち着くものではない。神経を強く病んでいると誰しも思うはずだ。実際そのとおりなのだが、そうした精神疾患があるにもかかわらず、描くことをやめなかったところに執念を感ずる。手元にドイツで発刊されたキルヒナーの画集がある。400点ほど作品が掲載されていて、今回見た2点の油彩もある。だが、呆れるほど違う印象を与える。これでは画集など見ない方がよい。展示されていた2点のうち、右には「さまよえる人」(1922年)があった。これは第1次大戦に志願して精神に異常を来し、山中で療養している間に得たモチーフだ。すでに後年のアルプス移住を予告していて面白い。不安な表情をしてステッキを持った男がひとり、横長の画面中央にこっちを向いて歩んでいる。両側は渓谷だ。この絵の白黒図版が先の画集に掲載されているが、まるで違う絵に見える。これだから、せっせと美術館に足を運ぶ必要がある。もう1点は「さまよえる人」とは直角に向いて、同じく部屋の隅に展示されていた「ヴィーゼン近くの橋」(1926年)だ。正方形に近い大きな絵で、針葉樹を生やす山岳風景にアーチ型の橋脚を持った長い石橋が真横を貫いている。完成度の高い名品で、キルヒナーの特徴的な色と形が典型的に見られる。「赤・青(ロート・ブラオ)」とは、1924-5年という短期間に存在した美術家グループだ。ヘルマン・シェーラー、アルベルト・ミューラー、パウル・カメニッシュの絵があって、彼らは長期にわたってキルヒナーと制作をともにした。そのため、強くキルヒナーの影響を受けているが、若い世代ゆえか、今見ても新しい感覚がある。ヘルマンとアルベルトが若死にしたのでグループは短命に終わった。
このセクションではほかにマリアンヌ・ヴェンフキンという女性画家の一風変わった絵や、ヨハネス・イッテン「山と湖」、スイスと言えば必ず登場するパウル・クレーの、「贋の岩」「入り江の汽船」という初めて見る絵もあって、ここだけで1日過ごしたい気がした。展示は以上でもう充分な気がするが、さらに大きな部屋ふたつ続いていた。6『ポップ・アートのイコンとしての山』では、アルブレヒト・シュニーダーの横長の大きな「夢」と、その右手に並んだごく小さい「風景」と題する3点が、同じ黄緑色系でまとめられ、確かな個性を感じた。駆け足で次の部屋に行く。7『現代芸術における山』は、ニコラ・フォールやインゲボルグ・リューシャーの写真作品、マルクス・レーツの自然木を使用した木彫り、あるいは紙への滲み効果を生かして、あたかもモノクロ写真に見える水彩画が目を引いた。ミシェル・グリエの「山-空」もまた水墨画風の水彩で、日本絵画の影響を感じた。最後はモニカ・シュトゥーダーとクリストフ・ファン=デン=ベルクの「アルプス観光ホテル」だ。3点の200号程度のコンピュータ・グラフィックスを駆使した「写実的」に見える「絵」で、スイスのアルプスも現代文明が浸透し切っていることをうかがわせた。閉館まで後30分もあるのになあという残念な思いをしながら、転がるようにして部屋から飛び出た。売店があるのかどうか知らないが、時間があれば販売されている過去の展覧会図録も見たかったのに、とてもそんな時間はない。玄関まで走ると、前に停まっていたバスの中にはすでに他の客はみな戻っている様子で、添乗員がこっちを向いて筆者の来るのを待っていた。だが、6時は6時だ。悪びれることはない。そう言えば、去年愛知万博にバス・ツアーで行った時、1時間以上も遅れて帰って来た親子があった。それでも平気そうな顔をしていた。団体で行動する時は1分でも待たせてはいけない。それが人間関係がスイスイ行くスピリッツというものだ。バスはすぐに発車してホテルに向かった。

(翌日ホテル前から出たバスの中から。遠方右の偏平な白い建物が美術館)