グーグル・マップでも同じ機能があるのかどうか知らないが、スマホでは目的地までの最短距離を地図上に青線で表示してくれるらしい。その様子を1年ほど前に上の妹の夫から見せてもらった。
パソコンでも同じ機能が使えると便利かもしれない。だが筆者は利用しないだろう。筆者なら、地図を見ながら、どこをどう行けばいいかをざっと考えることの方を好む。そして、実際に移動する場合、必ずそのルートどおりとはならない。方向音痴であることと、気ままであるからだ。さて、今日は最も暑い時間帯に上の妹宅まで自転車で走った。出町商店街より少し北で、わが家からは東北に当たる。いつも市バスを使うが、何度か乗り換えるので、下手すると1時間半ほどかかる。市バスのルートはどれも四条河原町や京都駅を経由するようになっていて、京都盆地の端から端への移動はとても不便に出来ている。つまり、必要のない道をわざわざ通る必要がある。そのために嵐山から相国寺まで市バスで行くのに1時間半という、信じられない長時間を要する。なので、京都観光に来る外国人および修学旅行生は、持ち時間の4分の3は市バスに乗りっ放しで、これではいずれ京都観光は飽きられることは間違いない。前にも書いたが、南北を走る西大路通りの下に地下鉄があれば、金閣寺に行く観光客は長い時間を市バスで揺られる必要がなくなる。京都は地下に遺構が多いので、そう簡単に地下鉄工事は出来ないという意見があるが、西大路通りは御土居のすぐ外側で、その下には重要な遺構は何もないだろう。それはともかく、妹の家に用事で行くのに、昨日までは市バスで行こうと思っていたが、今朝急に考えが変わった。筆者は向日市に毎月1,2回用事で自転車で出かけるが、それは往復2時間を要する。そして、嵐山から向日市のその目的地までの間をたぶん20通りほどのルートを走りながら、筆者はまだ道を間違って見知らぬところに入り込むほどで、それはそれで楽しんでいる。今朝、ヤフーの地図上でその向日市の目的地までの距離と、妹宅までの距離を比較してみた。直線距離で比べると、妹宅へ行く方がわずかに遠い。だが、それくらいの差であれば、おそらく往復2時間程度だ。それなら走ってみようという気になった。だが、炎天下を2時間も走るのはほとんど狂気の沙汰だ。とはいえ、先週も筆者は向日市まで走った。そして、それは別にどおってことはなかった。
2か月前だったか、筆者は丸太町七本松にある中央図書館まで自転車で行った。それは初めてのことであったが、さほど遠いとは思わなかった。だが、それはわが家から妹宅までのちょうど中間といったところで、まだそこからさらに走らねばならないし、それは自転車では走ったことのない未知の経験だ。京都市内は北は高く、南が低いが、そのことを勘案すると、往路はかなりしんどいだろう。それに円町のすぐ南は急な坂があって、そこを走らないなど、なるべくしんどい思いをせずに走りたい。また、市バスが走っている道路の歩道は利用したくない。筆者は裏道が好きなのだ。市内は碁盤目状に道路が走っているので、ジグザグに北東へと走ると、どの道をどのように走っても、距離はほとんど差がない。裏道ならば車はあまり走っていないし、また初めて見る家並みが続く。京都に住んで30数年なので、市内のほとんど道は知っていそうなものだが、実際は100分の1も知らない。市バスが走る道はごくごく少ないからだ。つまり、市内はまだまだ筆者の知らない表情がある。向日市に行くのに、ほとんどいつも違う道を走るのは、違う町の表情を見たいからだ。それは自動車では無理だ。筆者が走る裏道は自動車が入れない狭いところもよくある。そしてそういう道は行き止まりがよくあるが、それはそれで迷路の中をぐるぐる走って楽しいと思うことにしている。そうして知らない道を走っていると、意外なところに意外なものを見つけることがある。それもまた自転車で走る楽しみだ。『時は金なり』で、無駄なところを行かずに、一直線に目指すところに行くことが正解と誰もが思うようになっているので、最初に書いたようにスマホでは目的地までの最短距離を表示してくれる。筆者にすればそれはよけいなお世話だ。多少時間を要しても別の道を行くことで知らなかった何かに遭遇することがある。そしてそのことを楽しみたい思いがある。
先日読んだが、日本画家の池田遥邨が明治末期に堺に住んでそこから大阪市内まで徒歩で絵の先生に教えを受けるために毎日通った。片道12キロを歩いて往復する。若いから出来たこととしても、そのくらいの覚悟があったので絵も上達したし、また頑健な体となった。晩年の池田遥邨を筆者は何度か四条河原町界隈で見かけたことがあるが、長身でとても颯爽としていて、とても90近い老人には見えなかった。それは若い頃に毎日よく歩いたことも大きく影響したであろう。便利はいいかもしれないが、長い目で物事を見ると、それは何かを代償にしている。さて、オレンジ色の帽子に茶色の70年代の大きなサングラス、上はインド人がよく着る薄手の綿の黄色のチュニック、下は白の綿パン、それに赤いスニーカー、自転車の前籠には青い大きな綿のバッグという、夏の花のような恰好で、チュニックの袖は手の甲がほとんど隠れるほどの長さがあるので、日焼けはしない。途中の信号では何度か持参した茶を少し口に含んだが、その直後に額から吹き出た汗が目に入る。近くのスーパーなど、短い距離を自転車で走る若い奥さんにたまに出会うが、筆者のように1時間も市内を走る者はまずいないだろう。日陰をなるべく走りたいと思いつつ、少しでも早く目的地に向かう方がいいので、とにかくがむしゃらにペダルを漕いだ。今日の妹宅までの往路は、まずは中央図書館まで走ろうと思いながら、以前その図書館に行った時とはまるで違うルートとなった。そう計画したからではない。道に迷ったのだ。碁盤目状に道が走っているのは中京区のみで、たとえば右京区ではそうはなっていない。右京区の三条通りはうねうねとしている。走りながら筆者が考えたことは、最短距離でしかも丸太町通りなどの大通りは走らないことだ。ならば裏道を行くしかない。そうしてしばらく走ると、予想外のところに出たことが二度あった。最短距離ではなく、最長と言ってよく、大回りをしてしまった。また、その二度のうちの一度は、てっきり北に走っていると思っていたのに、90度違う方向を走った。300メートルほど走って気づいたが、帰ってヤフーの地図でどこをどう走ったのか確認しようと思いながら、すぐにそのことを忘れて先へと進む。何しろ炎天下だ。
中央図書館近くに来た時、筆者はあることを思い出した。
先日投稿したが、七夕に東福寺近くのインド・ネパール料理店で昼を食べた。その時、ウェイトレスとしばし話し、彼女のイギリス人の年下のご主人が中央図書館のすぐ近くで英語喫茶をやっていることを聞いた。その店は昔筆者がよく利用したバス停のすぐ背後の小さなビルの2階にあって、その様子を写真に撮った。自転車から降りたのはその一度のみだ。妹の家まで中間点といった気分だ。途中で3回時計を見たが、ほとんど予定どおりの時間で思ったところに来ている。結果的には1時間5分で着いたが、帰りは太秦大映通りのスーパーに数分立ち寄った時間を差し引いて55分であった。帰りは下り坂が多いので、やはり早い。そして帰路は往路とは違う道を走ったが、嵐山に向かうので西日がずっと顔を照らし、往路より暑かった。右京図書館まで来ると嵐山の上空に黒い雲が見えたが、幸い雨は降らなかった。家に戻ると、全身汗まみれ、妹宅で飲んだ1リットルの水分がみな汗になった。ほとんど裸になり、そして扇風機に当たり、20分ほどして、いつもより1時間半ほど早い時刻に、風風の湯に家内と行った。運動したせいか、風呂上りに体重を計ると61キロ少々に減っていた。そうそう、大映通りのスーパーの中ではビートルズの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」のカラオケが鳴っていた。そして、風風の湯のサウナ室でも同じ曲を聞いた。演奏者は違うが、同じようにムード・ミュージックとしての演奏だ。今日の筆者はロング・アンド・ワインディング・ロードを往復2時間走ったので、そのねぎらいとしてはなかなか神様も計らいが洒落ている。