この旅行の目的はタイトルにもあるように美術鑑賞にあるが、それとは関係のないことを今夜で4回連続書く。
きりがない気もするので、いい加減に美術館訪問について書くべきだが、美術館以外に印象深いことがあれこれとあったので、どうしてもまたこのように雑多の記憶を、しかも順序は出鱈目に書くことになる。どうも毎日ブログには書き過ぎているが、ワープロに向かっていると、書く時間量としても文章量としても、終わるのにちょうどいい頃かと思えるのがいつも決まってページ4の終わり頃だ。1ページ当たり原稿用紙3枚であるから、毎日大体12枚程度書いていることになる。これはブログの文章としてはかなり長い。こんな調子では書くのも疲れるし、好んで読む人もいないはずだから、もっともっと簡単に書くのがいいが、せめてブログ開始から1年程度は同じ調子を続けたいと考えている。で、昨夜の続きから始めよう。島根県で真冬に牡丹を鑑賞出来たことは本当に意外であったが、バス・ガイドは島根の県花を牡丹と言っていた。つまり、それほど島根の牡丹は有名なのだ。隣の鳥取の県花は、これは想像どおり二十世紀の梨の花だ。この木をバス中から頻繁に見ることが出来た。思ったよりはるかに背の低い木で、地面を這っているように見え、これまた意外であった。今、1991年に発売された日本全国の都道府県の花が一堂に印刷された「ふるさと切手」のシートを確認したところ、島根と鳥取は隣同士に印刷されており、それぞれピンクの牡丹と白い梨の花がデザインされている。ガイドの話を疑ったわけではないが、このようにして自分で確認しないと何事も記憶が正しくならない。ちなみに牡丹を県花にするのは島根だけで、よほど有名であることがわかる。
ガイドは島根はチューリップでも有名だと言っていた。チューリップを県花にするのは富山が有名だ。先のふるさと切手では、富山と新潟がチューリップを県花にしているのがわかる。ガイドの説明で気がついたが、出雲平野を走っている時、広がる田畑の中にぽつんぽつんと1軒ずつ家が建っていて、必ず家の北と西側に雪を凌ぐための松がしっかりと植えられている。そして、よく見るとどの家も南西角に墓がある。これは今では許されないことだが、何代にもわたって同じ家に住んでいる家に限り、黙認されているらしい。よそから移住して来た家庭は当然それは許可されず、ちゃんとした墓地に身内を葬る必要がある。冬の北風や雪を防ぐ松の木は築地松(ついじまつ)と呼ばれ、クロマツが植えられる。中には手入れが行き届いておらず、生え放題になっている家もある。そういう家はあまり経済状態がよくないことを示していると受け取られるので、この松の手入れは重要だ。広い平野の中にほぼ等間隔に見えるような形で立派な木造家屋がぽつんぽつんと建っているのを見るのは、なかなか気分がよい。都会では考えられず、昔の風情そのままを思わせるからだ。都会の住宅密集は異常であり、本当はこのように各戸がそこそこ離れてゆったりと建っているのが望ましい。だが、とても贅沢と言えば言える。この出雲平野独特の家屋の形と並び方にデ・ジャヴ感があった。それは20数年前に見た砺波平野の家屋だ。そう思っていると、すかさずガイドが同じことを言った。出雲と砺波は同じ日本海側で気候も共通しているのだろう。しかし砺波の各戸は松ではなくて杉らしい。それはより寒い場所であるからだろう。それでも走るバスから見える築地松のある家の風景は、一瞬のうちに20数年前の記憶の映像を呼び起こし、それとすっかりだぶって何だか夢を見ているような変な気持ちにさせた。それほどよく似ているのだ。ガイドの話はまだ続いて、砺波はチューリップで有名だが、同じように島根も有名だと言う。なるほど、気候が似ているからチューリップ栽培には適しているのだ。だが、実際は恐らく島根と富山の間の日本海側の村や町はみな同じような気候で、北風を防ぐ木を家の周りに植えているのだろう。裏日本(今はこういう呼び方をすれば具合悪いらしいが)ではあたりまえにみんなが知っていることでも、雪の寒さとは無縁のところに住む者にとっては珍しいことが多い。そして、そんなことをこの目で見ることが旅行の面白さだ。地元ではあたりまえのことでも他県ではそうではないから、何でもそれなりの観光資源になると言える。
松江市内は雪だらけで、ホテルを朝早く起きて宍道湖畔を歩くことなどとても出来ない相談であった。また、残念ながらホテルの部屋は宍道湖側ではなくて、北側に面していた。これはネットで調べると、宍道湖の見える部屋は3000円ほど高く、パック旅行ではそれはかなわない相談であった。ネットでこのホテル一畑を調べたが、品もよくて、いいホームページだ。建物はやや古いが、フロントを初め、仲居さんまでみんなとても人がよさそうで好感が持てた。清潔な感じもよい。それにとても立地条件がよく、パック旅行にしては松江の最もよいホテルのひとつに泊まれたと言ってよい。これもガイドが言っていたが、ホテルのすぐ北側に一畑電鉄走っていて、その終点の駅がある。その一畑電鉄がホテル一畑を経営している。雪は雪としていいが、季節のよい頃にもっとゆっくりと訪れたいところであった。それはバスが宍道湖をぐるりと一周してまたホテルの前に戻って来て、そのまま停まらずに松江城の横を通って中海方面に走って行く時に特に感じた。街の目抜き通りをバスは通過したが、ペンキの剥げた古い商店が混じっていたりで、派手な都会を見慣れた目からは、何となく見すぼらしい気もするものの、もっと懐かしさのようなものが強く湧き起こった。これはどこの地方都市でも同じかもしれない。バスの中から天守閣が間近に一瞬見えたが、あそこにのぼればまた宍道湖は違って見えることだろう。次にいつ行くかどうかわからないが、宍道湖の夕焼けをこの目で見たい。昨日までのブログには書かなかったが、雪のため、ずっと空は曇っており、たまに晴れ間はあったものの、宍道湖の夕日を拝むことは全く望めない相談であった。
さて、書くことはいくらでもある気がするが、旅行2日目後半のことを書いて締め括ろう。大根島を見学した後、鳥取県に入って境港に行った。ここは「ゲゲゲの鬼太郎」で有名で、「水木しげるロード」という、水木しげるの漫画に登場する妖怪のブロンズ彫刻が通りにずらりと並んでいる。これを走るバスの中からでも確認出来るかと思ったが、そうはならず、「大漁市場なかうら」という大きな魚介の土産を売る店に連れて行かれた。そこでもらって来たパンフレットを今確認すると、大型バスが40台も駐車出来て、食事も出来るとある。地図を見ると、水木しげるロードや水木しげる記念館からは数キロと離れていない。だが、残念なことにバスはそのあたりをかすめる具合に走った。店では適当に海産物を買ったが、あまり安いとも思わなかった。館内の片隅で水木しげるの妖怪グッズがいろいろと売られていた。そこは誰も人が集まらず、えらく暇な様子であった。水木しげるの大ファンでもないが、「妖怪花あそび」という変わった花札を2、3年前に喜んで買ったことがある。それは1と2が売られていてどちらも所有しているが、同じものが1500円程度でグッズ・コーナーにちゃんと置かれていた。面白いのでよほど買おうかと思ったものがある。760円だったか、高さ15センチほどの目玉おやじの貯金箱だ。目玉おやじが腕組をして座っていて、素焼きに彩色してある。まるで現代版の伏見人形だ。これをふたつほしかった。魚介類をさんざん見た後、またこれが置いてあるコーナーに戻っては手に取って眺めたが、家内が猛反対した。そんなアホらしいものがほしいことが理解出来ないと言う。そんな声を聞きながらラヴェルのことを思い出していた。ラヴェルもそんな安物の玩具をたくさん集めていた。子どもっぽいところがあったのだ。だからこそ、『マ・メール・ロア』のような曲が書けた。この目玉おやじの貯金箱を2個、やや離して横に並べると、本当の妖怪の目玉に見えるかなと思ったが、1500円はやはりもったいないかと思って結局諦めた。ひょっとすれば別の場所でもっと安く売っているかもしれないとも考えたが、そうはならないだろう。いつも言うように、ほしいと思って迷う場合、必ず買っておくべきだ。そうでないと、きっと後悔する。同じものを別のところで入手出来たとしても、それまで待つことを考えると、少々高いと思っても買っておいた方がはるかに安い。昨夜ネット・オークションで調べると、同じものは売っておらず、ソフビ製のもっと小さなものが3000円程度で出ていた。これははるかに形が小さく、また違う姿をしている。これならほしくない。次に境港に行った時にはきっと買おう。だが、その「次」という機会があるかどうか。
境港という街が水木しげるで有名になるのはとてもいいことだ。境港出身の人を知っている。その人の娘は筆者の中学生時代の友人で、今もたまに会う。中学生の授業参観日に、背の高いそのお母さんが靴の踵をこつこつと鳴らしながら教室の後ろに入って来た。そのことをありありと今思い出せる。縁あってと言うか、その後成人して随分経ってからそのお母さんに何度か会って話す機会を得た。とても優しい顔をした人だったが、先年亡くなった。水木しげるロードは見たかどうか知らない。中学生時代のその友人夫婦が以前、松葉カニを大量にわが家に持参してくれたことがある。お母さんが境港出身で、そんな関係もあって、松葉カニを毎年ふんだんに食べているようであった。カニは確かにおいしいが、甲羅から身を取り出すのが苦手で、さほど食べたいとは思わない。みかんの皮をむくのでさえ面倒で、そんなものぐささが年々ひどくなっている。今気がついた。「なかうら」のパンフレットの表紙は松葉カニの写真だ。そう言えばホテル一畑の夕食ではこのカニが1匹丸ごと出た。大きくはないが、1匹そのままには変わりはない。大きなものはとても高価で、めったに口に入らないが、昨夜河原町のスーパーを覗くと、ロシア産のボイルした小さなものが700円程度で売っていた。ホテル一畑で出たのと同じようなサイズだ。たぶん値段も同程度だろう。安いパック旅行では高い食材を出すことは出来ない。それでもお腹いっぱいになった。それに、カニをきれに食べるのにとても時間がかかって、広間から去ったほとんど最後の客となってしまった。食べ馴れないカニであるので、どのようにうまく身を取り出せばよいかわからず、お膳のうえや浴衣の裾のあちこちをカニの身だらけにしてしまった。そうしてほぐしたカニを全部茶漬けの中に放り込んで一気に食べた。御飯よりカニの方が多く、豪快で面白かった。パック旅行ではあっても、そこそこ見た目にも豪華な食事でなければ人は集まらないと踏んでいるのか、ホテルにとっても大変なことだ。それに松葉カニにとっても。こんなに大量に消費されては海からすっかりいなくなる日も近いのではないだろうか。それこそカニが妖怪になって港に上陸して来るだろう。境港はカニ供養のためにブロンズをひとつ造って立てるべきだ。
「なかうら」の後、もう1軒、お城をそっくりそのまま模倣した建物の大きなお菓子の店にも連れて行かれた。壽城と言う。新しい施設で、盛んに観光バスが出入りしていた。高速道路からさほど離れていないところにあって、明らかにツアー客目当てに建てられた施設だ。地元にあまり産業もないとなれば、こうした観光客目当ての商売もやむを得ない。それに、この壽城は清潔で広く、また試食サービスも大変よくて品物の種類も多かった。それでもすでにあちこちで少しずつ土産を買っていたので、あまり買わなかった。この壽城は、1日目にガイドが遠くを指さしながら、「明日の帰りにあそこのお城の店に立ち寄ります。その時、お菓子のお土産を買うといいでしょう」と言っていた。お土産など、なるべく旅行の最初のうちに買わず、最後にまとめて買う方が重くならなくてよいが、今回は『いいものを見つけた時に買っておかなければ、後で出会えなくなるかもしなれい』という気持ちが働いた。結果的にこの考えは正しかった。さて、勾玉を造っている工場見学や、蕎麦の店などの話もする予定であったが、内容が多くなり過ぎる。このように、本当にあちこち連れ回されたツアーで、盛りだくさん過ぎると言ってよい。それほどのサービスをしないと、パック旅行にすれっからしになっている近頃の人々を満足させることが出来ない。それに、「水木しげるロード」のように、いくらでも立ち寄るべき場所が次々と出来て、旅行会社にしても違う商品の企画には困らない。これもまたよいことだ。わずか1泊2日で、実にさまざまなことを見聞した。このようにブログに詳細に書きとめる必要もない雑多な経験だろうが、初めての島根鳥取の経験ゆえ、書きとめておきたい気持ちがあった。