茶の発祥地はインドと思うが、本格的なチャイを飲んだ記憶がない。インド料理店に行けば飲めるので、今ではその気になればいつでも味わえるが、それがおしいかどうかとなると、日本の気候ではどうなのだろう。
今の真夏ではおいしいかもしれない。チャイは紅茶に牛乳を混ぜればそれなりに似た味になる気がしているが、紅茶もさまざま、牛乳もそうであるから、あまりいい加減なことを思うとチャイに申し訳ない。それはさておき、筆者は夏場は冷えた麦茶をガブ飲みするが、朝は必ず紅茶をマグカップで2杯は飲む。そして午後3時前後にコーヒーを飲むが、深夜にまたコーヒーがほしくなる時がある。家内もつられて飲むと、なかなか寝つけないようで、筆者のかたわらで何度も寝返りを打ちながらため息を出している。筆者はカフェインには慣れているので、そんなことはないが、先日カフェイン中毒で死ぬ人もあるとネットで読んで驚いた。何でも適度がある。そう言えば、最近カフェインのない紅茶をしばらく飲んだ。それと知らずに買ったのだが、カフェインがないことを知ると、何となく物足りない気がした。わずかにカフェイン中毒になっているのかもしれない。それはさておき、近年は抹茶ブームのようで、チョコレートにも抹茶を使ったものが多い。抹茶は高価なので、本当に抹茶だけを混ぜてチョコレートを作っているのかと家内はいぶかっているが、実際はどうなのだろう。家内はたまに抹茶を立ててくれたが、切らした後、買わなくなったのか、あるいは筆者がほしがらないせいか、ここ1年は抹茶を飲んだことがない。一番小さな缶でも1000円ではなかったと思うが、それを全部使っても抹茶チョコレートが100グラム程度しか作れないのではないか。そう考えると、たとえばキットカットの抹茶味は激安商品だろう。抹茶の大量仕入れでうんと安く出来ているのか、あるいは2級品の抹茶を使っているのだろうか。抹茶で思い出したので書く。京都の三条河原町東入るのビルの2階に昔、「はやしや」という喫茶店があった。それが7階か8階だったか、とにかくとても高いところに移り、そうなってからもしばらくの間は何度か入ったことがあるが、最近その喫茶店に気づかない。看板が見えにくいからだが、閉店はしたのだろうか。月に一度か必ずそのビルの前を歩くのに、ここ3,4年はその喫茶店のことを思い出さなかった。その喫茶店で筆者がよく飲んだのは、抹茶フロートだ。店の母体が茶を売る店で、それでそういったメニューが比較的安価で提供出来たのだろう。長い筒状のガラス・コップに緑色の冷たい抹茶がたっぷり入っていて、一番上にヴァニラのアイスクリームが乗っていた。抹茶の味が濃いが、シロップを入れて甘くすると、まろやかになる。同じものを家で作ることは簡単と思うが、ほかの喫茶店では見かけないところ、抹茶を茶筅でかき混ぜる技術が難しいことと、抹茶の単価からして、コーヒーを売っている方が安くて済むと考えているのだろう。そういった喫茶店は、今は京都からどんどん消えているのではないか。ドトールやヴェローチェ、スターバックス、それにホリーズタリーズばかりが目につく。商売は大きな資本を持っている者しか生き残れないようになって来ている。学校教育も同じで、金持ちほどいい大学に進むことはもうとっくの昔に常識になっている。日本の高価な葡萄や桃の栽培と同じで、わが子を幼児の時からいい大学を目指して、しかるべき手段を講じる。1粒で200円くらいする葡萄や1個1000円の桃は珍しくないが、人間も同じで、自分の子を高価な果物のように特別な存在になってほしいと願う。
それはさておき、今日は七夕で、数日前に家内は昔を思い出して筆者に言った。七夕の午後に家内は家出をして筆者のところにやって来たのだ。それが結婚記念日のようになっているが、毎年七夕に何か特別なことをするかと言えば、そんなことはない。記念日を祝うということが筆者にはなく、家内もいつの間にかそれに染まってしまった。ハレもケもない生活は人間らしくないが、元気に生きていることをたまに実感するので、それでいいと思っている。風風の湯で出会う嵯峨のOさんは、毎年結婚記念日に奥さんに薔薇の花束を贈ると先日聞いた。再婚同士で、結婚してから何年経つのか知らないが、Oさんはもう定年退職していて、夫婦で毎日喫茶店に行ったり、どこかで食事したり、また大阪に足を延ばして散策するという。そうした生活は経済的な豊かさはある程度必要だが、普通にサラリーマンを勤め上げた人ならそういう老後が待っている。筆者は年金もわずかで、夫婦合わせても普通のサラリーマンを勤め上げた人の年金に及ばないが、夫婦でひとりと思えば、あまり苦にならない。それに、筆者は月に一度や二度は必ず大阪や神戸に出かけ、その時は家内と一緒で、Oさん夫婦並みの行動はしている。ただし、贅沢な外食は許されないから、飲食も安い店を探す。それはそうと、今日は七夕であるので出かけたのではないが、結果的には京都市内をあちこち歩いてそれなりに思い出が出来た。市バスに乗って東福寺に行ったのだが、その境内に入る前に午後1時過ぎであったので、どこかで食べようということになった。筆者はその店を暗に決めていた。
10か月前に見かけ、概観の写真を撮った店だ。その店の前に着いて筆者がここに入ろうと家内に言うと、家内は辛いものが苦手で、またインド・ネパール料理は梅津に去年12月に出来た店に入ったと言いながら、首を横に振った。ほかにも食べる店はいくつかありそうだったが、暑い中をまた歩いて迷うのはしんどい。それでその店に入ったのだが、思ったよりも狭い店内で、若い女性観光客がふたり、若い男性が別の席にひとりいて、5分ほどしてみな出て行った。筆者はカレーライスを注文したが、ウェイトレスにご飯の量が多いがそれでもいいかと指摘された。減らすことが出来たのかどうか知らないが、出て来たものを見ると、丼に2杯近い量があるように見えた。そのため、ルーが少なく、ご飯の3分の1は白飯のまま食べることになった。ルーがもっと多ければいいが、それでは750円では引き合わないのだろう。家内は同じルーに大きなナンがついたものを注文し、ナンを難なく全部平らげた。というのは、筆者らの席の右にいた若い女性ふたりのうち、ひとりは、ナンをほんの少しかじっただけで、残りを包んでほしいとウェイトレスに言っていた。そういう客が多いらしく、ウェイトレスは慣れた手つきで紙袋を奥から持って来て、そのナンを押し込んだ。
客が筆者らふたりになって、料理が出て来るのを待っている間に、今日の2枚の写真を撮った。最初にカップ入りのスープとサラダが出て来たが、後者は店の外観と同じ色のソースがかかっていて、その毒々しさに食欲を失った。前者はまあよかったが、チャイならもっとよかった。店の奥の小さなTVがインドのMTVを放映していて、そのカラフルな衣装と音楽にぴたりとシンクロした踊りに目を見張った。その撮影技術、編集技術は日本ではとても無理と思わせるほどの完璧さで、世界は広いと改めて認識した。その映像は梅津の店でも同じようなものが流れていて、筆者はてっきり梅津と同じ系列の店と思い、水を飲み干したコップに新たに注ぎに来たウェイトレスに、そのことを訊ねた。すると、その女性は梅津を知らないようで、似た外観の店は最近たくさん出来ていて、梅津の店とは同じ系列ではないと言った。だが、店の看板も外観もメニューも味も、それに店内の雰囲気もみなとても似ている。滋賀の瀬田や石山には系列の店があり、また経営者はほかにも出店を考えていると彼女は言ったが、その言葉で感じたのは、経営者はインドやネパール人ではなく、日本人であることだ。おそらくそうだろう。出資してインドやネパール人に店をやらせる。ネパールの若い人がそんなに大金を持っているとは思えないからだ。ウェイトレスはなかなか話が好きで、食べ終わって10分近く話したと思う。彼女はその店の西に住んでいるが、京都人ではなく、東大阪出身と言った。そしてご主人が年下のイギリス人で、今月から丸太町七本松のとあるビルの2階で英会話喫茶を開いたとのことで、そのチラシを筆者に手わたした。その付近に中央図書館があって、昔は2週間に一度通ったと筆者は言ったが、それから30数年、時代は変わり、インド・ネパール料理店が珍しくなくなり、また外国人が観光で押し寄せるだけでなく、住み着く場合も多い。ともかく、インド・ネパール料理店での昼食はさっぱりであったが、彼女の話が面白く、さすが大阪人は気安いと思った。彼女の将来の夢が何であるかは知らないが、子どもを近くの東福寺境内の保育園に預け、そしてその店で働き、将来はお金を貯めて何か商売でもするのだろう。大きな資本に小さな店が飲み込まれて行く時代だが、やりようによっては客の心をつかむことが出来るし、大金を稼がなくても面白く生きて行くことは出来る。彼女の対応に家内も満足したようで、それなりに七夕の思い出になった。