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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『世界の名画に出逢う休日・出雲2日間』その3
美術館を3か所巡る旅だが、1日目に2か所をこなしたから、2日目はあまり期待していなかった。だが、予想に反して精力的にあちこち連れて行ってもらったため、印象としては2日目の方が大きい。



2日目の昼食は松江市から東方10数キロの大根島で用意された。この島については何の前知識もなかったので、行ってみて少々驚いた。今日はそのことを書く。宍道湖の位置は脳裏に地図がある。松江市は横に伸びるその宍道湖東端の北べりにある。宍道湖西端には斐伊川が流れ込み、宍道湖東からは大橋川など、何本かの水路が中海に流れ込む。そしてこの中海という湖に八束町である大根島がある。大山の噴火によって出来た溶岩島だ。今は大きな橋によって直接バスが乗り入れることが出来るが、以前の橋は重量規制があって、観光バスがわたる時は人を下ろして橋を歩かせたらしい。その橋は現在解体中で、バスが太鼓橋のように高い新しい橋をわたる際に見下ろすことが出来た。大根島は島根県東端に位置し、面積は4.8平方キロだ。これは仮に正方形とすると縦横2キロ少々に過ぎない。『旅物語』から予め配付された工程表には、「大根島由志園(山陰随一の規模を誇り、美しさにも定評がある回遊式日本庭園に90分滞在)」とある。とはいえ、それは今初めて読み、旅行前も最中も知らなかった。●『世界の名画に出逢う休日・出雲2日間』その3_d0053294_18234815.jpgそれに「大根島由志園」と聞いても、何だか田舎の農場という気がして興味は湧かないし、第一、無粋な大根島という名前の島からは大根しか想像出来ず、そんなところにわざわざ連れて行かれるのは御免だという気がするだろう。ところが、これは大きな誤解だ。この島はなかなか面白かった。大根島という変な名前は江戸時代から呼ばれるようになったらしい。それはこの島が松江藩の大切な財政源になった高麗人参の栽培を司っていたことによる。高麗人参が日本に入って来たのは江戸時代のことだ。幕府は1685年に高麗人参座を開き、高値の取引が始まった。松江藩がこの人参売座を幕府から認可されて開墾を始めたのは1773年だ。一時は競合産地であった日光、会津藩の倍の生産量をあげた。松江藩直轄の事業は幕末には大根島や松江市など各地で行なわれ、大根島は特に地質が合って主産地となった。門外不出の高麗人参の栽培を隠すために大根島と呼んだとのことだが、あり得る話だ。島の火山灰の土質が栽培に適していたということもあるし、島であれば、出入り口が限定されるから、勝手に持ち出すことは出来なかった。大根島で高麗人参の栽培が始まったのは天保年間(1830-43年)からだ。本場の朝鮮ものと類似して、他の産地の中でも群を抜いた。明治維新の松江藩廃止によって民営化され、明治7年に自由販売が可能となって島民による人参振興が始まった。明治23年以降の5年間で生産量は4倍になり、「雲州人参」の名前で盛んに清国に輸出された。最盛期には全島の3、4割の住民が栽培に従事したという。ちなみに、島根県は1955年が史上最大の人口で、93万人だった。1980年までの25年間に15万人減ったが、急速な過疎化と言わねばならない。大根島の人口は1983年で4200で、これは1平方キロ当たり1000人弱となって、かなり多い。そのことを思えば、この島が人を集める何か魅力を持っていることがわかる。
 以上の半分程度の文章は、大根島で高麗人参液を買った際にもらったパンフレットからの引用だ。よく知られるように、高麗人参は育てるのが非常に手間がかかる。根気と言い替えてもよい。江戸時代は、『栽培管理は、藩直営の「御手畑」において、選ばれた数名の「御手人」によって行なわれ、一般には栽培は極秘でした』とパンフレットにあり、『種をまいてから収穫まで6年の歳月を要します。また連作を嫌い、一度収穫した畑には20年もの間、植えることができません』であって、土中の養分を吸収し切ってしまう植物だ。そのため、薬効があると思うのは誰しもで、実際それは今でもさまざまに研究、証明もされている。ただし、今では医薬品ではなくて健康食品と呼ばなければ、いろいろと問題がある。何か特別の病気に効くというものではないからだ。免疫力を高める効果があって、毎日少しずつ使用し、長期間持続することで健康体が保てるものだ。筆者は昔からたまにこれをお土産でもらい、人参酒を何度も作ったことがある。だが、全くおいしいものではないので、深い琥珀色になるまで10年以上もそのままに放ったらかしにしたことがある。他のリキュール類で割ってカクテルとして飲めばいいことを思いついて一気に飲み終えたものだが、味はよく知っているので別に珍しくはない。バスから下りて雪降る中を少し歩いて由志園に着いた。すると、いきなり部屋でおばさんによる説明があった。その時、温かいお茶が出され、これはありがたいと思ってすぐに飲むと、人参茶であった。苦みに一瞬たじろいだ。少し黒砂糖が入っている気がした。そのお茶の素になっている高麗人参液は真っ黒な蜂蜜状の粘度の高い液体で、その色からしても黒砂糖が入っているのは間違いないと思うが、買った瓶を見るとその記述はない。おばさんも「人参を煎じつめたもの」と説明したので、純粋に人参のみで作られていることを信ずるしかない。黒砂糖の味と思ったものは、もともと人参に含まれる味かもしれない。筆者はほとんど人参酒としてしか飲んだことがないので、人参だけ煮詰めた場合の味は知らない。
 おばさんは説明が手馴れていた。毎日続々とやって来る観光バスの客すべてに同じ説明をしているのだろう。説明の中に、高麗人参液の瓶は大中小の3種があって、小は確か3000円程度と耳にしたつもりであった。小瓶なら買ってもいいかと思ったが、実際は5250円した。大は21000円で、どうも説明の時とは何か違う気がしたが、聞き間違ったのかもしれない。小さな耳かきのようなスプーンがついていて、それ1杯分を湯に溶かせば、出されたお茶と同じものが出来、小瓶1個で2か月ほど持つと言っていた。肝臓によいと言うので、家内用にと買ったが、あくまで気やすめ的な健康食品とは思っており、薬効があるのは何年も服用し続けての話だ。だが、気やすめでも飲まないよりかはいい。ある人は全く迷信と言うであろうし、そうではないと反論する人もあるはずだが、結局は気の持ちようが肝心だ。体のためになるものを毎日飲み続けているという自覚を持てるならば、こうした健康食品も何らかの効果はある。つまり、信じられるかそうでないかだ。おばさんの説明の後、すぐに昼食となった。このパック旅行には昼食はついていない。バスの中で予め予約表が回って来て、値段と内容を見比べながら選んだ。また、予約せずに別のところで食べてもよいが、知らない土地ですぐに別の店が見つかるとは限らないし、実際由志園の外に出て食べることは不可能であった。由志園内には食堂があるが、メニューを見ると、バス中で予約して食べるのはあまり変わらない料金だ。それならば、きちんと用意が出来ている暖かい部屋ですぐに食事にありつける方がはるかによい。それに食事のために用意された部屋からの庭の眺めはとてもよかった。この庭が最初に書いた「山陰随一の規模を誇り、美しさにも定評がある回遊式日本庭園」で、食事しながらつくづく思ったが、京都でもこのような見事な庭の眺めで食事の出来る場所はない。京都のあちこちに日本庭園を眺められる料亭があるが、庭の眺めの規模ははるかに小さいし、いかにも作りものめいている。庭とは本来そういう作りものではあるが、こじんまりしているよりかは雄大な方がいい。それを思うと、京都よりもむしろ田舎のこうした場所に本当の日本庭園のよさがまだ残っている気がする。京都もいいが、京都の日本庭園は周りが全部ビルで取り囲まれ、一旦庭を出ると現実の騒々しさに一気に引き戻される。由志園の庭はそうではない。庭の向こうは人参畑ぐらいしか広がってはおらず、空がどこまでも広い。これは得難い経験ではないか。
●『世界の名画に出逢う休日・出雲2日間』その3_d0053294_14094.jpg 食事の後、バスの出発まで30分ほど時間があった。それで雪風の中、早速庭園を巡ることにした。建物の出入口まで行くと、まだ10代とおぼしき、店の若い女性がひとり立っていた。女性のすぐ傍らの壁面に、牡丹をモチーフにした額入りの小さな染色作品がかかっていた。紫や黄色、エンジ色など、とても派手な色使いで、ローケツ染かと思ってよく見ると、防染はせずに直接布地に筆で染めた絵であった。地元の染色家なのだろう。寒い出入口の場を担当する若い女性はきっと新入社員だと思うが、彼女にどっちの方向から庭を回ればよいか、また何分ほどかかるかなど訊ね、そして大きな置き傘を借りた。庭園内の歩む道は雪をかいてあったので歩きやすかった。すぐに牡丹園があった。寒牡丹がこもを被ってあちこちたくさん咲いていた。寒牡丹を見るのは25年ぶりのことか。奈良の当麻寺近くに石光寺があって、そこは寒牡丹で有名だが、それを昔わざわざ見に行った時以来だ。なかなか寒牡丹にはお目にかかれないので、これはとても嬉しかった。さきほどのおばさんの説明の中で、「ここでは今は寒牡丹と普通の春咲きの牡丹のふたつが同時に見られます」と言っていたが、よい時期に来たわけだ。他の季節では寒牡丹は見られない。そして牡丹だが、これも5月しか見られないと思っていたのに、この島では温度管理によってかなりの時期にわたって見られるように育てているようであった。寒牡丹は野外に咲いているが、あたりの松の木々には雪が積もって風情があり、池の畔に石灯籠が立っていて、金沢の兼六園の最も有名な場所のミニ版を思わせた。そのまま進むと館があった。その内部は温室のような暖かさで、さまざまな色の牡丹が咲いていた。これも意外で、こんな時期にこんなところで牡丹に出会うことが信じられなかった。バスの出発まで15分ほどしかないが、早速スケッチを1枚した。なぜ大根島に牡丹かと言えば、高麗人参を植えた後の痩せた土地には牡丹を育てるのが最適なのだ。そう言えば今回泊まった宍道湖畔のホテルのロビーには見事なピンク色の牡丹が生けられていた。きっと造花だと思って葉を触ると本物で、それが意外でびっくりした。1月に牡丹を鑑賞出来ることが信じられなかったからだ。しかし、ホテルの部屋で見たTVニュースでは、島根の牡丹が台湾などに輸出されて好評を得ていると言っていた。同じニュースは別の時間帯でも見たが、地域ニュースとしてはとても面白く、島根が牡丹を特産品としていることを初めて知った。こういうことも旅行しなければわからない。スケッチをそそくさと済ませ、庭園を先に進むと牡丹の苗の売店があった。写生用にどれがいいかと聞くと、1000円のを勧められた。今年咲くと言う藤色のものを買った。「出口のところの壁に中島千波先生の1億円する絵がかかっているからね」と言われ、それを確認したが、200号程度の大きな絵2点が並んでいた。1億円は誇張し過ぎだ。大きな牡丹の花をやたら並べて描き、構図も全く感心しなかった。「東京芸術大学教授…」と書いた金色の札が足元に置かれ、ま、人がたくさん訪れ、しかも入場料を600円ほど徴収するこうした場所では、金銀をふんだんに使用していかにも豪放さを強調した絵が似合うとは言える。由志園を出て通りをわたってすぐのところに、おばあさんが5本2000円で牡丹の苗を売っていた。そこでもいろいろ話を聞いた。牡丹は土の衛生さえ気をつければ放ったらかしでよいと言う。それで500円の白い花の苗を買った。駆け足でバスまで行くと、最後から2番目の到着だった。由志園で1か月ほど滞在して牡丹をモチーフにした作品が制作出来るような身分であればいいのになあと思いながら、バスは雪道を走った。
by uuuzen | 2006-01-07 23:57 | ●新・嵐山だより
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