南に逸れた台風はもう日本列島から遠のいただろうか。昨日の朝はあまりの暑さに朝6時前に目覚めたが、窓を閉め切ってあった。
家内にその理由を訊くと、筆者がもうそろそろムカデが布団に入って来る季節と言ったからとのこと。窓を閉めていても換気口がある。それに窓を終日閉め切っていることはないので、ムカデにすればいつでも部屋に侵入し放題だ。1階が一番涼しいので、筆者だけでもそこで寝ようかと思うが、実はムカデを見かけるのは1階が最も多い。ムカデごときでビビッているのは滑稽だが、あの姿には慣れることがない。ムカデにすれば雨がたくさん降って土の中では溺れてしまうので、いわば避難のために部屋に上がって来る。そう思えばかわいいものだ。そう言えば先ほどのTVでまた火蟻のニュースを見た。フマキラーの株が一気に上がったというが、火蟻は人間を刺すために生きているのではない。悪者呼ばわりされるのは火蟻にとってはたまったものではないだろう。そんなことを言えば人間がたいていの動物から嫌われている。世界で一番厄介なのは人間だ。これほど強欲な動物はいない。そんなことをたまに筆者は思うと、人間であることが嫌になり、そしてわが家の裏庭にやって来る野鳥の仲間でいたいと思う。筆者の前世あるいは来世はきっと鳥だろう。ただし、人間に食べられる鶏は嫌だ。小さくて地味な鳥がいい。これも先ほどTVで見たが、郷ひろみが首相と同じ年齢だと家内が言う。本当かどうか知らないが、そうであれば面白い。郷ひろみの細身とその若い顔を首相の人相などを比べるからだ。いい年になれば、若く見えるに越したことはない。その点で郷ひろみはさすがに見栄えに人の何倍も気を使って、若さを保っている。ただし、知的に見えるかどうかは別の話だ。では首相が知的かと言えば、筆者はTVでまもとにその顔を見られないほど恥ずかしさを覚える。いい年になってもろくな顔をしていない大人は多いもので、TVではそんなのばかりが次から次へと出て来て、最近筆者はTVを見たいと思わなくなった。もう人生の後半期も残りが少なくなって来ている年齢で、嫌な思いはなるべくしたくない。その嫌なことの最たるものが、強欲な顔、あるいは馬鹿面、横柄そのものなど、ひとくくり言えば醜さを感じることだ。いくら人間は多様性であるからいいとはいえ、醜さを誇っているような人物は、TVでも見たくもない。先ほど世間を賑わした官僚が長官に任命されるとの記事をネットで読んだ。そこに書いてあることで気になったことは、「出世」という言葉だ。世間でこの言葉はよく使われるが、具体的にどういうことかと言えば、早い話が金をたくさん儲けるようになることだ。ただし、悪事ではなく、まっとうなことをしてであることは言うまでもない。ところが、そのまっとうなことが人間においては、あるいは人によっては考えが違う。法律を犯さねばいいのは当然としても、それも考えがいろいろあって、誰にもわからなければいいと拡大解釈する人がある。そしてそう実行する人がいて、これは学歴の高い低いは関係がない。誰もが瞠目する学歴であっても、誰も見ていないとなれば平気で悪事をする人がある。またその反対に学歴がなくても真面目を絵に描いたような人もある。ところが、前者は後者の数百倍もの収入を得る。そして同じような人種が群がって自分たちのつごうのいいように事を運ぼうとする。大昔から人間はいつでもどこでもそうで、出世することとは、陰で大きな悪事を働くこととほとんど同義と思ってよい。
そんな醜い人間社会であっても、生まれて来たからには楽しく生きなければならない。それで嫌ななことはなるべく見ないようにするしかないが、TVをつけていなくてもネットがあれば、どうしても世間のその日の出来事は目に飛び込む。そこには強欲を絵に描いたような人物たちが意味のないことを語っているが、おかしなことに彼らは誰よりも自分が偉く、また真っ白な心と思っている。それはそうだろう。そうであるから平気で厚顔なことが出来る。そういう人たちは毎日TVに出て、収入も普通の人の何百倍もある。ただし、その大半は汚い方法で手にしたものだ。TVで思い出した。数日前のニュースに、儒教国家の韓国では政治家が一族のために便宜を図ることが多いので、そういう情実が入らないようにAI(人工知能)に政治を任せればどうかとの考えが出て、そのロボットが紹介されていた。韓国はある意味では日本より進んでいる。民主主義を定着させようという考えにおいてだ。大統領でも監獄に一夜にして入る国だが、日本では絶対にそんなことは起こらないし、人工知能に議員の代わりをさせようという発想もない。日本は江戸時代と変わらない国で、殿様や代官様は威張ってよく、また多少は陰で蓄財しても当然と国民が思っている。高学歴を身につけ、政治家や官僚に出世すれば、それ相応の収入と裏金も得られることをみんな知っているし、また望んでもいる。それが「美しい日本」であり、人工知能に公平な政治を任せるという発想など、野蛮人が考えそうなことだと思っている。一方、人工知能が多いに話題になったのは将棋の世界だ。人工知能は日々進化して、今ではどの棋士よりも強いことになっている。人工知能がそんなに便利で強力であれば、ぜひとも政治に活用して、公平公正さが保たれるようにすればいいと思うが、データをすぐに破棄しましたと政治家も官僚も公言して平気な国であるのが日本で、人工知能を導入しても、こっそりと自分たちのつごうの悪いことは暴かれないようにプログラミングすることはあまりにも明白だ。そこでどうすればいいかだが、出世の概念を変えるしかない。それには教育だが、もう日本は手遅れではないか。教師の不祥事は毎日のようにニュースになり、金目当ての犯罪は1分ごとに起こっている。醜いことだらけの中でこっちまで醜い表情になってしまいがちだ。そんな時は小さな体で精いっぱいさえずり、またほんの少ししか食べない小さな野鳥を思い浮かべる。そんな野鳥を裏庭で見かけると、すぐに飛び去ってしまうが、それは人間を恐れているからで、野鳥の存在に楽しませてもらっているというのに、人間は何と惨いことか。野鳥が悲しくなった時、あるいは面白くない時に、人間に慰められるというのでなければ不公平ではないか。それほどに人間は醜いということだ。醜い者が笑うともっと醜く見えるが、せめてそのことを忘れないように静かに笑っていたいが、面白くないことばかり多い昨今、笑うことは難しい。気温が一気に増し、蒸し蒸しする季節ではなおさらだ。それでも野鳥は早朝に窓の外で元気よくさえずる。