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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●たとえば切り絵作りについて
大晦日の夜の正月が明けた瞬間にホームページとこのブログの公開をしようとずっと以前から決めていた。



切り絵のホームページのURLをemiさんの切り絵のホームページの掲示板に記載することを半年ほど前から宣言していたが、昨夜emiさんからメールがあって、帰郷するためホームページの公開は一時停止するとのこと。早速見ると、いつもの『 ドッきり絵』のトップ画面とは違う臨時の画面が出ていた。そこには「2007年もよろしく」などと間違って書いてあり、emiさんも少々そそっかしい。筆者も偉そうなことは言えない。よく今日が何日かわからないで困ることが多いからだ。『そうか、来年は2007年だったか…』と思いつつ、カレンダーを確認しすると、来年はやはり2006年であることがわかった。何だか1年を得した気分になれた。50半ば近い年齢になると、1年は本当に早い。今日はそんな思いを元に切り絵を作ったほどだ。いや、この話は後でまたすることにして、先の話を続けると、筆者は今日が何日や何曜日であることを調べるのに便利なようにと、ホームページのトップ画面の最上段に現在の日づけや時刻を表示させている。これを設定したのは2か月ほど前のことだ。このおかげで、パソコンに向かっている間だけはカレンダーや時計を探して見なくても、ホームページのトップ画面で用が足せる。このように、ホームページはまずは自分への便宜を第一に考えて作っている。自分が便利なことはたぶん他人にも便利であるのではないかという思いだ。昨日は正月の訪問用の手みやげを祇園会館で映画を観た後に百貨店でいろいろと見繕ったが、どんな菓子がいいかと思う中、自分がもらって面白い、楽しいようなものから決めた。どこの店のどんな菓子でも値段がそこそこ共通していれば中身は大差ない。そうなれば何を買うかの決定条件は見栄えということになる。その見栄えも人によって好みはさまざまだが、見慣れない、そしてどこか面白い工夫のあるものは一度買ってみようという気にさせる。もらう方も大抵はあらゆるメーカーの菓子はすでに目にしたことがあるので、おやっと思わせるものがよいのだ。だが、実際はなかなかそういうものは百貨店では見つけられない。それでも新しいテナントが入ってはいないかと、地下の菓子売場をなんべんもぐるぐる回ることになる。そして昨日はどうにか目新しいものを探した。ついでに自分の家庭用にマロン・ケーキも買った。これは以前から気になっていたメーカーのもので、丸い形ではなく、羊羹のように細長い形をしている。上に苺や栗などが等間隔に並んでいて、切り分けるのに便利に出来ている。何より細長い直方体のケーキという珍しい形が新鮮で、その意外性が好ましい。ケーキなど、大抵味は同じであるから、後は形で新鮮味を出すしかない。そういう研究心やチャレンジ精神はどんな分野において、いつの時代でも必要ではないだろうか。新しい、見慣れない形をしたそのケーキは味まで新鮮に思えたが、デザインの力とはそのように恐ろしいものだ。
 内容は同じでもどう見せるかで人に与える効果が異なる。これを前提にこの1年10か月を要してホームページを作って来た。いつも書くようにWINDOWS95という古いパソコンのみを使用し、ホームページ・ビルダーやフラッシュ・ソフトは使用しない。HTMLは全部自分で書いて、JAVA SCRIPTのプログラムには目を配って、最新の成果で使えるものはどんどん使う。そんな過程の中でブログが登場し、それにも手を出すことになった。ブログを毎日つけ始めて半年ほど経つが、幸いにもホームページと同じ体裁することに成功した。ホームページが未完成であるのと同様、ブログも今後デザインを変えることになるかもしれないが、ひとまずは公開してよい段取りはついた。ここしばらくは忙し過ぎて、書くべき内容は決まっているのに、投稿を怠っている日があるが、これもいずれは埋めるつもりでいる。さきほど、来年の運勢をある付録で読んだところ、筆者の来年は先の先まで考えて行動を控えるより、取りあえず一歩を踏み出すのがよいとある。これには勇気づけられた。ホームページが未完成でも、とにかく公表することでまた先が見えることもある。本来、完璧はいつまで経っても望めない話であり、歩みながら改造すべきところは改造すればよい。それで、話は戻るが、emiさんのホームページが一時閉鎖されているため、その中の掲示板に書き込みが出来ず、せっかく公表したいホームページのURLが誰にも知らせることが出来ない。ま、誰も待っている人はないから、そんなに急ぐこともないが、掲示板に半年ほども前から公言しているだけに、それがかなわない状態であるのは、何だかこっちが嘘つきに思われかねないので、emiさんのこの変化球的行為には少々戸惑った。だが、仕方がない。それはそれとして、とにかく出来る限り完成させようと、大晦日の今日は本当にこんなに仕事をしたのは久しぶりというほど根を詰めた。そのひとつは5点の切り絵作りとそれに添える文章書き、そしてもうひとつはホームページの『屏風』の章の画像アップだ。これらの作業はこの1週間ほど前から予定していて、31日は他に予定を入れず、丸1日を空けておくことにした。そして、予定したとおりに実行し、今は気分がとてもよい。自分がこうしようと決めたとおりに実行出来ることの気分のよさはほかの何物にも替えがたい。確かにemiさんのホームページ一時閉鎖のような、予期せぬ出来事に遭遇することはあるが、自分がやれることは可能な限りやっておこうというのが筆者の主義だ。
 『屏風』の章に掲げる作品画像の加工は以前にFさんに全部やってもらった。それはMOに保存してある。だが、解像度の具合か、とても不鮮明なのだ。それも多少の理由で、ホームページへの掲載は控えておいた。それに画像のサイズにも問題があっ。、結果として自分で全部加工し直すことにしたが、それを思い立ったのが昨日の深夜だ。早速何点かを作り直し、残りをさきほど行ない、まだ残っているものは正月早々の明日にしようと思う。大晦日も正月もなく、本当にこつこつはホームページ作りを続けていることになるが、まだ全体の2割は手つかずであるので、後2か月はたっぷりかかるのではないかと見ている。現在は画像加工についてもFさんに頼らず、自分で納得の行くように作業が出来るようになっているので、たとえば1年以上も前にホームページにアップしてある画像をここ最近になって作り変えて差し換えたものもある。となると、ホームページの公表後も画像の差し替えはきっと出て来るだろう。他人が見ても大差なくても、自分が気に入らなければ徹底して変更する。物づくりにこだわるとはそういうことだ。わずかな差でも集積されると大きな差となって見える。わずかな差にこだわることが物づくり精神の基本中の基本と言ってよい。さて、次は切り絵だ。この3年、月末になると最低5点は作っている。作る間際までネタが決まらないこともしばしばで、直前になって閃きのようなものが訪れ、予定していたものとは全然違う作品を作ることがよくある。今日もそうであった。2週間ほど前に6、7点の題材のタイトルをメモしておいた。その紙片が傍らにある。だが、その中1らは1点しか作らなかった。新たにイメージが浮かんだからだ。この掲載日間際になっての明確なイメージの想起はいつもとても嬉しい気分にさせる。創造の泉と言えばおおげさだが、何かそういうものが頭の中にあって、それがいつの間にか形となって結ばれる。後は時間をかけてこつこつと作るだけだ。そのために、実はアイデアのみが重要で、次の実際に作る作業は他の誰かに委ねることも可能で、重要度は低いという見方も出来る。確かにそうかもしれない。漫画家などが助手を使うも同じことだ。だが、筆者には助手はいないから、自分で作るしかない。そして、目を酷使し、かなりの根気も要する切り絵の実際の作業が苦痛かと言えばそうでもない。アイデアというものは誰にもある。それは自分だけが知っている夢であり、他人にはわからない。そのアイデアを他人に見える形にするためには実行力がいる。そして現実生活で大切なのはその実行力だ。アイデアが当人の脳裏にある間はそれは現実には存在しないも同然だ。ただの夢想を人に得意に語って自惚れるのは愚の骨頂と言える。アイデアは目や手、足を使い、他人に実際に見える形に作り上げてこそアイデアと言えるものになる。
 筆者の切り絵作りは月末に数点作る程度なので単なる趣味と言える。だが、そうとも思っていない部分も少しはある。切り絵と文章を連動させることで、今までにない何か新しい造形ジャンルを作り得るかもしれないというちょっした期待はある。一昨日、山田喜代春さんのことを少し書いたが、氏の木版画作品は現代の俳画という趣がある。絵に俳句張りの文章が添えてあって、両者が強く関連づいているからだ。筆者の切り絵もそれに近い。切り絵だけでは意味がわからなくても、そこに題名と、そして文章が加味されることで、絵と文章が相乗的に効果を上げる。さらにある作品が他の作品と連動してまた新たな意味を生むということも念頭に置いているが、こうした作品づくりの概念の根底には実はザッパの音楽世界に見られる方法の援用が濃厚にあって、ザッパの音楽世界の創造原理を強く意識している。このことをザッパ・ファンはどう思うか知らないが、筆者はそのようにザッパを見ているし、とにかく他人に見える形で作品提示はしている。もし筆者のこの思いが違うと主張するザッパ・ファンがあれば、どうか同じように、それなりに作品と主張出来るものの提示によって論戦に挑んでほしい。前述したように、自分の中にアイデアがあると言うだけならば、誰でも出来ることであり、そんな人物の寝言など誰も相手にはしない。ザッパが「黙って自分のギターを弾きな」といみじくも言ったように、大切なことは自分の目や手や足を使って、ある表現を成し、それを他人に見えるような形にすることだ。本当の批判とはそういうものであり、たわけた罵声の文字を匿名でネット上に連ねることではない。ある表現によって収入を得ていないのであれば、世間ではそれをプロとは違って趣味と呼ぶようだが、その観点に立てば、筆者のわずかな切り絵作りをザッパの音楽世界と比べることはおこがまし過ぎると言える。にもかかわらず、自分では趣味と言い切ってしまいたくないものがあるのは、それだけささやかな切り絵作りではあっても、その時点で自分のあらゆる思いを投入しているとの自覚があるからだ。先にホームページのトップ画面に現在の日にちや時刻を示すようにしたと書いた。そしてそれは他人のためではなく、自分の便宜を思ってのことと言ったが、切り絵もかなりそれに近い。作った本人が最もよくわかっているし、また愛してもいるはずだが、その何分の一かは他人もわかってくれるという思いはある。これは他人への信頼感ゆえだが、その信頼感は他人の作品、たとえばザッパの音楽を楽しんで聴くという現実を思うところからも説明出来る。自分の作るものもあるいは他人にそれなりに楽しんでもらえるだろうという期待だ。その意味においてはプロもアマの趣味も差はない。何だか大晦日になって理屈っぽいことを書き連ねてばかりいる気がして、話にまとまりがない。今年もやるだけはやったかの思いだ。『1年は本当に早い。今日はそんな思いを元に切り絵を作ったほどだ』と最初に書いたが、昨日祇園会館で母と映画を観た時、母の顔に皺があまりに多いことに気がついた。だが、次の瞬間、母は筆者の頭髪が以前に比べてすっかり白くなったと言い、そのことを嘆いた。散髪をしたばかりではいつもどういうわけか、髪がなおさら白く見えるのだが、母の言うとおり、ますます白くなっていることは確かだ。そんな母との会話をきっかけに今日は切り絵の1点を作った。だが、物事はそんなに単純ではない。筆者の切り絵の源は常に複合的で、それらを切り絵に添える文章にすべて反映することはない。髪が白くなったと言われたことのほかにもうひとつ大きな理由がある。それをここに書き始めるのはちょっとしんどい。またいつかの機会にする。と、こんなことを書いていて、いつもそのいつかが訪れることはない。
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