雪のような白さではなく、ほんのりとクリーム色がかっているのが好きで、このブログの壁紙も黄ばんだ原稿用紙にしている。
白い薔薇も黄味がかったものから紫がかったもの、ピンク色を帯びたものなど、さまざまと思うが、筆者が今月上旬に購入したVIRGOは、写真で見るとクリーム色がかっている。それがあまりに勝ると面白くないが、花弁の重なった奥はどうしてもその色合いが増して見え、またそれはそれでよい。届いた苗木を鉢に植え替えて20日経つが、水をやるのは家内で、筆者は植え替えた時だけだ。洗濯のついでに家内はせっせと庭のあちこちにある植物に水を与えるが、筆者はわが家の裏庭にはあまり出ず、先日投稿したように、最近はもっぱら隣家の裏庭を眺める。読書するのにいい環境で、分厚い本を持参して毎日数ページずつ読もうかと昨日は思った。それはそうと、昨日ふと薔薇の苗木が届いた時に封入されていた説明書が目に留まり、それをまた読んだ。すると、9月に届く苗木は蕾が育てばそのまま咲かせればいいが、それ以前の苗木は充分に根がしっかりしていないので、蕾が出て来るとみな切り落とすようにと書いてあった。数日前に家内は、白薔薇の蕾が大小ふたつ出て来て、このままでは花が咲くと言った。何気なしにそれを聞きながら、もう咲くとはかなり得した気分だなと思っていたが、説明書を読んで咲かせてはならないと思い、すぐに家内に切らせた。その切ったものを筆者は見なかったが、家内は切ったアジサイと一緒に花器に入れたようだ。それを知ったのは今朝だ。昨夜は2時半頃に寝入り、目覚めたのは朝10時半で、いつものように睡眠はたっぷり8時間は取ったが、1階に下りると、すぐに目に入ったのがガラス・コップに活けられた小さなVIRGOだ。それを見てびっくりした。なぜこんなところにあるのか。家内に訊くと、一昨日切った蕾を捨てるのがかわいそうなので、アジサイを活けた花瓶に挿しておいたが、アジサイは枯れたので、薔薇だけガラス・コップに活け直したと言う。そのコップは冷酒用の小さなもので、筆者はここ数日はそれになみなみとブランでーを注いで毎晩飲むが、薔薇に奪われたので、別の酒を別の器で飲まねばならない。それはいいとして、朝一番に見たVIRGOの小さな花に驚き、すぐに写真を撮った。それが今日の最初の写真で、2枚目は筆者の分身であるマニマンという手作りの人形と一緒に撮った。それからトーストを食べ、その後は隣家に行ってしばらく絵を鑑賞し、本や酒などを持って帰ったが、その酒は飲んだことのないメーカーの古いコーヒー・リキュールGAMADAで、1年ほど前にネット・オークションで古酒をまとめ買いした時に含まれていた。1本当たり数百円という安さで、またそれほどに古くて普通の人は飲むのを躊躇するが、酒はせいぜい澱が溜まるだけで、腐ることはない。ただし、敏感な人は瓶のガラスの味がすると言う。GAMADAは瓶の首に巻いてあるタグのデザインや印刷からして、たぶん70年代のもので、40年は経っている。コーヒー・リキュールの中でもクリームを含んだイギリスのベイリーズは特に沈殿が早く、ほとんど瓶の中で凝固したものを買ったことがあるが、たいていの人はカルーアをよく知っているだろう。小さなスーパーの酒売り場にも今ではそれは置かれていて、先ほどはGAMADAの隣りにそれがあって、どちらを持って来ようかと迷ったが、より古そうなものにした。タグの英文を読むと、パプア・ニューギニアの酒で、GAMADAとは現地の言葉で「強い酒」との意味とある。パプア・ニューギニア製のコーヒー・リキュールは珍しいだろう。ネットで調べると、ebayで50CCの1979年製のミニチュアが40ドルほどで売られている。しかもそれ1件で、よほど珍しいと見える。それは筆者のものと同じデザインだが、筆者のは750CCであるから、6万円となる計算だ。そんな価値があるならオークションに出せばよかったか。珍酒であることを知らずに先ほど瓶の埃を拭って封を切り、ガラス・コップに20Cほど注ぎ、そこに牛乳を4倍ほど加えた。本当はクリームミルクがいいが、それは常備していないし、またスーパーで見かけてもすぐに全部は使い切れないので買わない。ともかく、GAMABAはカルーアとは違ってアルコール度が高そうで、ほんのわずかしか飲んでいないのに、昼間から酔いで目が回った。それが収まらない間にこれを書き始めたが、まだ酔っている。今日は風風の湯から帰った後は、VIRGOを目の前にして、冷蔵庫に残っている赤ワインにこれも古いクレーム・ド・カシスを加えて、カーディナルという赤紫色のカクテルを作って飲む。筆者が初めて見たこの白薔薇が、筆者が命じて首を切らせた蕾が開花したものというのは、何とも切ない。