今日はまだ29日だ。一昨年の年末は蕪村の墓のある金福寺に行った。去年の大晦日は晩年の蕪村が住んだ烏丸仏光寺西入るあたりを歩いた。どちらもよく記憶している。
今年も蕪村にまつわるところに出かけたい気持ちがあった。たとえば蕪村が姓として名乗った与謝郡あたり。だが、今自分は雪で動きが取れないだろう。今年の12月は京都でも記録的な雪が降った。22日が特にそうだった。このまま正月まで雪が積もったままかと思ったが、そうはならず、寒いながらも道は凍ってはいない。与謝のあたりに行くには車しか方法がないように思うが、押し迫った年末ではとてもそんな気分的な、また時間的な余裕がない。天気のよい日にのんびりと息子の車で行ってみたいものだ。天の橋立て付近も昔に電車の車窓から見たことがあるだけで、自分の足で歩いたことはないので、来年中にぜひとも訪れたいと思っている。さて、今日は切り絵をどうにか1点作り、それを元にして年賀状の裏面を大急ぎで印刷した。このようにぎりぎりになって年賀状を書くのは初めてのことだ。ホームページの制作が滞り、年末には完成しているはずが2割程度は未完成のまま公開する羽目になるが、それでも少しでもましな形で人に見せたいので、時間があればこつこつと画像を加工したり、文章を書いたりで、さきほどまで断続的それを続けた。一方、年賀状はプリントゴッコで印刷すると早いと踏んでいた。出来上がったばかりの切り絵をスキャナーにかけ、はがきに収まる寸法に加工した画像をパソコンのプリンターで印刷、それを近くのコンビニに持参してゼロックス・コピーし、それでようやくプリントゴッコ用の原稿を作った。感光用ランプや版作り用スクリーンはたくさん買い込んであり、これらがなくなるまではプリントゴッコを使うつもりでいるが、年に1回の出番でもあり、あまり減らない。
で、さきほどいつもと同じように感光させたが、3度繰り返しても、みな図案の細部に感光スクリーンのビニールがくっついてしまい、まともなスクリーン版が仕上がらなかった。こんなとは初めてでかなり焦った。いつも予定しているとおりに事を運ぶのが筆者の方法であり、大抵はそのとおりになるが、こんな予期せぬことが年末のぎりぎりに起こるとさすがに戸惑う。ビリビリとビニール片がゼロックス・コピーした図案にくっついてはがれるのを見て寒気が走ったが、それが3度も繰り返されれば、さすがにげんなりする。原因はよくわからないが、コンビニでコピーした原稿が黒過ぎたせいもあるかもしれない。あるいは何年も前の感光スクリーンであるので、感光部分のビニール接着が劣化しているのかもしれない。3度目が少しはましな出来上がりであれば4度目に挑戦したが、3回とも同じように仕上がった。これでは4度5度と繰り返しても同じことで、発光ランプや感光スクリーンがもったいないのでプリントゴッコの使用はやめにした。だが、夜10時にもなって、まだ1枚も年賀状の印刷が終わっていないとなると、明日はどうなるか。明日は朝から母と待ち合わせして、祇園で映画を見る約束がある。どうにかして今夜中に年賀状を印刷してしまいたいし、それに早く出さないと1、2日にはとても届かない。すでに時代遅れとなったプリントゴッコだが、パソコンのプリンターで印刷するよりかは何倍も早いし、不鮮明ながらも味がある。それに失敗も少ない。これらは去年確認済みだ。次にこれを少し説明しよう。去年従姉が年賀状をパソコンで印刷してくれとやって来た。せいぜい30枚ほどだったので、わいわい談笑しながら初めてプリンターではがきを印刷した。プリンターは友人からもらったもので、どうにか調子よく動いているが、はがき印刷はそれまで一度も試したことがなかった。1枚ずつ専用の小さな口に手差しする必要があり、しかもちょっとしたタイミングを見計らって、差し込んだはがきの端を奥へ押してやらねばならないことがすぐにわかった。このわずかにはがきの尻を押すタイミングが難しく、少しでも狂うとプリンターが誤作動するのだ。向きが少し曲がって印刷されるならまだしも、プリンターがまるで壊れたかのような大きなガチッという音を立て、次に出鱈目な数字や記号の羅列をえんえんと繰り返すことがある。画像を印刷しているのに、このわけのわからない文字の印刷は20分ほどもえんえんと続く。一旦こうなると、これを途中でやめさせることは出来ない。それをするにはパソコンを再起動し、その時に現われる「印刷ジョブをクリアしますか? 続行しますか?」という問いの画面で「クリア」をチェックするしかない。しかし、時にはそれでもうまく行かないことがある。今までにこのプリンターの誤作動に対してあらゆる方法を試したが、狂ったように動き続けるプリンターはそのまま放っておけば、20分ほどの間、100回ほど出鱈目な印字を繰り返す。この印刷のために新しい紙が100枚も消費されるのはたまらないので、何枚かを順繰りに手差しする。だが、そのためにはプリンターの前で貼りつけにならざるを得ず、これがまた忙しくも馬鹿らしい行為なのでつくづくいやになる。この誤作動はよく起こるが、去年は従姉の年賀状印刷では10回ほど起こった。たった30枚ほどの印刷で3時間近く費やしたが、こんなアホらしいことはない。そのため、プリンターではがきを印刷することは悪夢以外の何物でもなく、自分では絶対にやらないと決めていた。だが、プリントゴッコが駄目なら、この悪夢に挑むしかない。今年は去年より減らして年賀状を120枚しか買わなかったが、下手をすると印刷に1日は必要で、しかも失敗して没になる枚数も多いだろう。印刷が出来ても、宛名書きにまた何時間かかかる。これでは明日の大晦日は完全に潰れる。さて、困った。本当に久しぶりにパニックとなった。ふと、年賀状はもう出すのはやめておこうかと思った。
先日平安画廊で木版画家の山田喜代春さんと話をした時、氏は毎年1000枚ほど年賀状を出しているが、あまりにもそれは時間の無駄でもあり、もうやめるつもりだと語っていた。そのことを思い出しながら、120枚程度ではどうにかこのぎりぎりの間際になってもやれるかと気持ちを持ち直した。年賀状は正直なところ、やめてもいいと思うが、ずるずると惰性でとにかく出し続けている。だが、せいぜい1日でどうにか形がつく程度のものにしたい。年賀状のために1年365日のうちの丸1日を費やすなど、本当に馬鹿げた話で、1日という時間がどれほど貴重なものかを考えると、年賀状のような虚礼はもうどうでもいいではないかと思う。去年届いた人だけ出すとことを毎年繰り返しているので、気にはなっていても一度途切れた人にはもう二度と出さないでいるが、たとえば誰しも思い当たるこんな例がある。正月も4、5日になってようやく届く人がある。すぐさま返礼として出すと、その人は翌年は1日に届くように出してくれる。ところがこっちはどうせ去年はかなり遅れて来たから今年もそのようなついでに出すに違いないと高をくくって出さないでいる。しかし、実際は1日に来たのを見て慌てて、また返事を出す。それが届くのは4、5日になってからだ。すると、それではまずいので、今度は筆者は翌年は1日に届くように出す。ところが相手はまた筆者の遅れて届いたの見て、その翌年は「どうせ去年はかなり遅れて来たから今年もそのようなついでに出すに違いない」と、筆者が2年前に思ったのと同じように考えて、4、5日に届くようにゆっくりと書く。こんなシーソーゲームと同じことをずっと繰り返している間柄がいくつか筆者にはある。それは年賀状特有の一種の圧力のようなものと言ってよく、決して気分のよいものではない。もらえば嬉しい年賀状かもしれないが、中にはあまりそうでもないような場合もあるのだ。

ま、忙しい年末にこんなどうでもいい話を長々とするのはそれこそ馬鹿げたことだが、結局プリンターでの年賀状は数枚がずれて印刷という失敗、1枚が出鱈目文字の羅列印刷ということのみで、残りの115枚は1時間半ほどで全部無事に印刷し終えた。万歳、万歳。インクが滲んで見えるのはインクジェット紙ではなく、再生紙を使ったからかもしれない。とても鮮明に見えるプリンター印刷による年賀状に比べるととてもお粗末だが、プリントゴッコよりかは鮮明だ。それが味気ないとも言えるが、今年はついにパソコンで裏面を印刷した。なぜ去年よりスムーズに印刷出来たかと言えば、今年も先日従姉の賀状を印刷して、去年よりははがき差し込みのテクニックが向上していたことや、また家内にパソコン画面のボタン・プッシュを手伝ってもらえたので、ひとりで画面確認やプリンターへのはがき差し込みで右往左往する必要がなかったことによる。ひょっとすれば徹夜かと思ったのが、思いのほか、早く終了した。プリントゴッコの使用が出来ず、パニックになったのもめでたく解消し、気分がよい。また、プリントゴッコで印刷すると、インクの乾きが遅いが、プリンターであればその心配がない。裏面の印刷が終わった直後、今度は表側の自分の住所氏名をプリントゴッコでせっせと印刷した。これは毎年同じスクリーン版を使用している。使い終わった後、インクをベンジンで拭き取っておけば、発光ランプで新たに版を作らなくても、スクリーン版は使い回しが利く。だが、せいぜい3、4年が限度だ。それ以上になると、ベンジンでインクを拭き取る時に感光部分の皮膜が取れて使用出来なくなる。連日寝不足が続くが、明朝は映画を観るために出かける前にせっせと宛名書きをしよう。30日の投函となれば、市内では1、2日に届くかもしれないが、県外では4、5日になるだろう。そのため、まず遠方の人の分から書こう。蕪村ならこんな時の気分をどんな俳句にしたことだろう。年末であっても、気分的な余裕を持ちたいものだ。