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●『もの派-再考』
会期最終日の18日に行って来た。国立国際美術館は地下に展示室があるが、地下2階で開催していた『瑛九フォト・デッサン展』も同時に観覧することが出来た。これについては明日書く。



●『もの派-再考』_d0053294_20244821.jpg最初この「もの派-再考」というタイトルが「モノは最高」の意味で使っているのかなと思ったが、これは本当に冗談好きが多い大阪を考えての駄洒落の応用かもしれず、あながち間違ってはいないかもしれない。「もの派」とは日本の現代美術に関心のない人には耳慣れない言葉だ。筆者もどちらかと言えばそうだ。またいつものように資料を持ち出すが、手元に1988年につかしんホールで開催された『美術の現在(水平と垂直)』の図録がある。このホールはバブルの崩壊以降、西武百貨店の力がなくなってからは美術展を開催しなくなり、そのため訪れることもなくなったが、80年代は盛んに出かけた。「つかしんアニュアル」と題して、現代美術を紹介する展覧会が1986年から年に1回開催され、『HANGING-吊るされた美術』、『オブジェ-逸脱する物質』、そして『美術の現在』と、3年連続で見たはずだが、こういった展覧会は広い会場があって可能なもので、その点で万博公園にあった国立国際美術館と双璧を成していた。今、どちらの会場もなくなり、代わって中之島に出来た国立国際美術館がこうしたおおがかりな現代美術を開催する関西唯一の場となってしまった。この展覧会は移転1周年記念で、今後も他館では開催しない現代美術の紹介を続ける宣言と考えてよい。話を戻して、現代美術が即「もの派」ということにはならないから、つかしんで開催された前述のシリーズ展覧会は、今回の展覧会と強いつながりがあるとは言えないし、実際『美術の現在』に取り上げられた作家の中で今回登場したのは李禹煥ひとりにとどまっている。ちなみに『美術の現在』は日韓の作家10人の作品が並び、日本人は川俣正、大久保英治、曽我孝司、植松奎二、若林奮の5人だった。この中の川俣や若林はその後大規模な展覧会を開催したはずだが、そんな状況を見ると日本の現代美術家はそれぞれに個性的な仕事をして評価されていることがわかる。だが、現代美術もさまざまで、絵画専門の作家もあれば、彫刻もあるし、またそれらを逸脱したインスタレーション作家もある。『美術の現在』は絵画や彫刻の範疇には収まり切らない作家を対象にしていたから、その点では「もの派」に近い仕事と言ってよい。「もの派」とは、チラシ裏面によると、『…一つの教義や組織に基づいて集まったグループではありません。1968年頃から1970年代前半にかけて、石や木、紙や綿、鉄板やパラフィンといった<もの>を素材そのままに、単体であるいは組み合わせてることによって作品としていた一群の作家たちに対して、そのように呼ぶようになりました…』とあって、「もの」を使うところから、それは彫刻のような立体作品に近く、展示も広めの場所が要求されると言ってよい。
 これは全く筆者の個人的な思いだが、彫刻と言えば通常はすぐにブロンズや大理石で、そうした作品は遠目に見ていても何だか手のうちがわかったように見えて面白くない。そんなところにアレキサンダー・カルダーのモビールを見た時にはとても新鮮な感じがした。それはブロンズや大理石の彫刻のように動かない塊ではないため、より広い空間を感じさせ、開放感があるからだ。これに類する動く彫刻として新宮晋の作品があるが、カルダーや新宮の場合は、作品が停止していてもそれなりに形の美というものがあるのに対し、「もの派」が用いる「もの」はもっと生の素材そのままをぽんと別の空間、つまり展示場として特定された場所に置く。そのため、古典的彫刻にはない破格の斬新さを作品が獲得し、カルダーや新宮の作品すらも生ぬるいようなワイルドさがみなぎる。言葉はふさわしくないが、彫刻のフォーヴィズムみたいなものだ。とにかく見る者にショックを与え、作品の形の美がないがしろにしているわけではないが、その「もの」にどうやって手を加えたか、あるいはどのようにして会場に運んだかといった、作品として提示する以前の仕事の労力に思いを馳せて驚嘆するところがある。その労力はごく普通の人の感情からすれば「アホらしい」ものであって、その「アホらしさ」が途方もなく大きいほど、見る人に訴える力が強く、作品の価値も高まる。そして、作品が一度そのようなショックを与えれば、それで命の大部分が尽き、後は廃品として処分して一向にかわまないというものが多い。実際、「もの派」の作品を保存するには広い場所が必要で、倉庫代を考えるならばまた新たに作った方が安いくらいだろう。このように「もの派」の作品は一回限りの出会いを大切にする側面が強く、またそれは深い哲学や美学の裏づけを作家が当然持ってはいても、見る方からすればほとんど簡単な「思いつき」による作品に見えてしまうことが多い。ここは問題が微妙なところで、「思いつき」は誰でも出来るが、それを実際に目に見える作品にするのはまた別の行動力が必要で、その意味でも「もの派」の作家は「アホらしい思いつき」をそのまま実行してしまう「アホらしさ」を持っている人々と定義してよい。だが、何がアホらしくてそうでないかは難しい問題だ。人間の生そのものが本当はアホらしいことの連続と言えなくもなく、そうなれば、アホらしい人間の生の中にびっくりさせるような何か楔のようなものを作品で提示しようとする「もの派」は、実はアホらしくはなく、全くその反対をやっている人々、つまり芸術家以外の何者でもないと定義することも出来る。また、美術にあまり関係のない人でもたまには「思いつく」ようなことをわざわざ「もの派」が大がかりな作品行為で示すことは、その誰しも思いつくことであるという点に寄りかかっているところがあるために、作品が完全な無理解に晒されずに済むとも言える。その意味から見れば、「もの派」の作品はそんなに突飛で、誰も考えつかなかったものと言うより、人をにこやかにさせる場合が多い。つまり、簡単に言えば無邪気なものが目立つ。
 さて、チラシの文章からまた引用する。『…これまでの<作品>概念に大きな転換を迫る、こうした作品群が生み出されるようになったのは、1968年10月に神戸須磨離宮公園で開催された「第1回現代彫刻展」において関根伸夫が政策した、大地を円筒形に掘り下げ、それと同形となるように土塊を円筒形に積み上げて対比させた作品《位相-大
地》の出現が大きな役割を果たしたと言われています…』。この関根の作品はあまりにも有名だが、今回はそれが制作された時のスライド・フィルムが連続映写され、どのように作品が完成して行ったかがよくわかった。この作品は、写真やこうした映像でしか残らないものであるので、前述の1回限りのアホらしい驚きは、実作品に対面して味わうのではなく、頭の中で想像して感じるしかない。これはいささか残念だが、仕方のない話だ。ごく小さな体積を地面から掘り出し、それを同じ形で穴の横に積み上げることは簡単かもしれないが、関根の作品は直径が3メートル、高さ5メートルほどだろうか、完璧な円筒形の穴と立体の対比であり、これはどのようにして掘り、一方で積み上げたかと誰しも呆気に取られる。スライドでわかったことだが、土を積み上げる時はちゃんと木製の型枠を使用し、ショベル・カーや何人かの人夫を使ってしっかり地固めをしながら土を型枠内に溜め込んで行った。一歩間違えると人身事故につながるから、発想はごく単純、それこそ思いつきであったかもしれないが、それを実行するにはしっかりした計画と、それ相応の技術や経費を要した。そしてこのことは実は古典的な彫刻でも全く同じことと言える。ただ、ブロンズや大理石の彫刻は長い時間を経てもそのままの形で存在するが、関根のこの作品は短期間しか保存出来ないし、またそれでこそが作品の命と言える。そしてそこには無限の芸術理論や哲学を応用してこの作品を説明することの出来る条件もあるだろう。また、あまりに明確な作品であるため、関根は二度と同じことをしないし、また出来ないが、それがこの作品の純粋さなアウラをより保証する。今回は関根の別の作品「空相-水」「空相-油土」が来ていて、どちらも「位相-大地」と同じ作家であることを認識させる完璧主義が見られた。「空相-水」は黒い鉄板で120センチ角の立方体を作り、その中に水を張っただけのものだが、表面張力によって水が立方体の容器の上端の縁ぎりぎりまで入っていて、ちょっとした揺れがあれば溢れ出すという緊張度は、見る者にほかでは味わえないスリルを与える。容器を溶接で完璧なサイズに造ったということのほかに、これは博物館の床が1ミリの狂いもなく水平であればこそ可能の作品で、アホらしいと言えばそれまでだが、そのアホらしさをここまで美しく見せようとする思考力と行動力の見事な釣合いを目の当たりにして、感動、つまり心が動かない人はいないだろう。それがない人は現代美術を楽しめないので、諦めるしかない。
 さて、またチラシから引用すると、日本で哲学を学んでいた李禹煥は、関根の「位相-大地」をに対して「新しい世界」との「出会い」を可能にする普遍的な様相として論じることで、「もの派」のひとつの理論的な基盤を提示したということだが、最初に書いた『美術の現在(水平と垂直)』の図録の李禹煥の項目にもこんなことが書いてある。『「もの派」の代表的作家としてまた理論家としての李禹煥の仕事は、近年、鉄と石を組み合わせた立体作品のある一方で、キャンヴァスに岩絵具でする平面作品が並行するが、前者の一連の立体作品を「関係項」シリーズと名付けられるところに’60年代末から持続している「モノに手を加えず、モノとの関わりから、世界に出会う表現」の強度を見せている…』。となると、今回の展覧会は関根と李のふたりを中心に考えればいいかもしれないが、「一つの教義や組織に基づいて集まったグループではない」ので、他の作家の「モノ」を使った作品からも「もの派」を再考しようということで、全部で17名の作品が紹介された。その中で筆者が作品と名前を知っていたのは、高松次郎、小清水漸、狗巻賢二の3人だ。他はかろうじて作品を知っているか、全く知らない、あるいは見たことがあっても記憶にない。これら17名がみんな関根のような潔さやわかりやすさのようなものを持っているかと言えば決してそうではない。むしろそうでない場合が多い。それに、高松や飯田昭二の作品は目の錯覚を利用した遊び感覚が見られるもので、「もの派」とは一線を画するように思うが、関根と同時代的に起こった新たな動向ということで紹介された。これらの作品は個人が買って家で楽しむものではあり得ないし、作家たちがどのうよにして生活しているのかとよけいな心配もしてしまうが、「もの派」は結局長続きせず、李禹煥の例のように、平面作品、つまり絵画に以降して行った例が少なくない。李のそうした作品は今では誰もが知るほど有名で、今回も来ていた。だが、そうした李の作品の元に「もの派」があることを再認識すると、また平面作品の見方も深まる。さて、今回は同じ体裁のチラシがもうひとつ作られた。「野生の近代 再考-戦後日本美術史」と題するもので、定員150名で11月3、4、5の3日間、シンポジウムが開催された。講師は全部で18名で、美術館の学芸員が中心だが、知っている名前は3名のみだ。門外漢の筆者にはとても近寄りがたい雰囲気があって、申し込むことなど思いもよらなかったが、こうした学芸員が日本の現代美術を注視して作家を積極的に紹介して行く。わけのわからん美術には金を使うなとの批判もあるだろうが、新しい動向に接する機会が定期的にあることを希望したい。
by uuuzen | 2005-12-25 23:53 | ●展覧会SOON評SO ON
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