肖像権の問題がネット時代になってうるさくなった。最近は各地の図書館で地域の学校などが出した写真入りの本が切り取られる事件が起こっている。
自分が小さく写っているので記念のためにその部分を切り取りたいのか、あるいは自分の姿が勝手に撮影され、それが誰でも見られるようになっていることに気が食わないのか、いずれにしても肖像の問題が絡んでいるのではないか。筆者はこのブログでなるべく人の顔がわからないように撮影の時はそれなりに気を配っているが、シャッターの反応が遅く、予想外に写ってしまうことはある。なるべくトリミングで切り取るがそうも行かない場合がある。その時に思うのは「お互いさま」だ。おそらく筆者の顔や姿が筆者の知らない間に撮影され、それがネット上に出ていることと思う。最近は街の至るところに監視カメラがあって、それに筆者の姿も記録されているが、何も悪いことをしていなければ気にすることはないと思いながらもあまりいい気分ではない。自分が撮影されたものは自分の眼で確認したいというのは誰しもではないだろうか。だが、筆者の顔や姿がたまたま写り込んだ写真は、その撮影者が勝手にネットで公開することは仕方がない。第一筆者の了解を得ることは不可能だ。どこの誰かわからない場合、撮影者はその写真や映像をネットで公開することに躊躇はない。筆者もそう考えている。ところで、筆者が知らない間に他人の撮影で写り込むことは、嵐山に住み、たまに渡月橋に行くからには、普通の人より頻度が高い。というのは、渡月橋の上では必ず数組のカップルなどが、嵐山あるいは下流側の広々とした眺めを背景に笑顔で記念撮影をしていて、撮影者の前を割って入る形でよく筆者は通りかかる。そして時には、「今のシャッターで写ったな」と思うことがある。だが、あえてそのように邪魔している気分もある。渡月橋の狭い歩道の上で数人が記念撮影をすると、その間は通常では通ることは出来ない。だが、大勢の人が歩いているのにそんな記念撮影はさっさと済ますべきか、あるいは人が途切れてから行なうべきで、筆者が撮影者の前を一瞬遮ることは仕方がないことでもある。その一方で、あえてじっくり写り込んでやるのも面白いかもしれないと思ったりもする。「京都の嵐山では変なおじさんがいてね、こっちはせっかくのいい眺めをバックに記念写真を撮っているのに、わたしらの中に割り込んで、ピース・サインをしたんだよ。これがその時の写真。ねえ、呆れるほどに図々しいと思わない?」。かくて筆者は渡月橋の有名人となり、映像に同じように撮影を邪魔し、YOUTUBEでその様子が紹介されて世界中の人気者となる。その後は嵐山を訪れる者はみな筆者と同様の写真や映像を撮りたがり、かくて嵐山の商店街では「撮影の邪魔するいちびりおじさん」というお菓子が出現し、筆者の話題の高騰に拍車をかける。ということで、どんなことでも笑いをもたらし、みんなを愉快にすれば許される。それどころか歓迎される。だが、そうなるまでには撮影の邪魔をしたと因縁をつけられ、何度渡月橋から桂川に投げ飛ばされるだろう。水深が深ければいいが、そうでなければ頭を打って死に、「観光客の記念撮影を妨害した地元の認知症の高齢者が自己の事故死をしました。」とニュースになる。
11日に家内と嵯峨のスーパーに買い物に出かけた時、渡月橋を自転車でわたりながら橋の下の下流側を見ると、上流から流れて来た土砂がたくさん目についた。すぐ下流の6号堰の撤去工事が終わったばかりであるのに、却って土砂はたくさん堆積するようになったのではないか。来月の大雨以降にどうなるかだが、雨は最近も多く、桂川の流れが速くなった分、土砂は以前のように堆積しないと思われていたのが、堆積の範囲は以前より大幅に広がり、また明らかに大きな石が目立つ。前に書いたが、昔6号堰を造ったのは、上流からの土砂を積もらせないためであったろう。そのため、撤去するなら模型を作って実験を繰り返すなど、念入りに行なわれるべきだが、どこまでそれをしたのか、土砂が大量に目についたことにはがっかりした。観光客はそのことに気づかないが、筆者のように2013年の秋の台風に伴う桂川の氾濫とその後の工事を見続けて来ている者にとっては、渡月橋下の土砂の積もり具合がとても気になる。清流が売りであるべきなのに、一面の土砂ばかりが見えるというのでは、景観はさっぱりだ。ただし、11日は乾季のように水量が少なく、それで川底が見えていたというのであれば話は別だ。だが、実際はどうなのだろう。その土砂ばかり目につく写真は、カメラを持って行かなかったので撮影していない。その代わり、昨日も梅津に行く途中で見た松尾橋下の上流側の様子を今日は撮った。重機が中ノ島に向かうのに必要な坂が完全に撤去され、去年10月から始まった6号堰撤去工事はほとんど終わった。6月に終わる予定と告知されていたので、まだ残務整理があるかもしれないが、重機はもう桂川の中に入りたくても入れない。6月からの梅雨、そして9月の台風と様子を見て、6号堰撤去の影響がどうなるかで、また追加の工事が行なわれるだろう。人間は同じことを繰り返すから、堰を撤去して予想外の具合の悪いことが起これば、また堰を造るはずだ。日本に生まれて本当によかったと思う代表は土建屋であろう。永遠に仕事がある。コンピュータがどれほど発達しても、掘ったり積んだりする作業は人間が操る。今日の3枚目の写真はバーベキューでもしに来た若者だが、遠方なので顔は判別出来ず、肖像権の問題はない。彼らを弾き出すように赤い枠で地面を囲ってあるのは、除去されたスロープをにあった仕切りの網で、これを全部撤去すると工事があった痕跡が消える。「6号堰撤去」と題しての投稿は今日が最後と思うが、台風の後にどうなるかで事情が違って来る。