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●『池大雅展』
17日に『柳宗悦の民藝と巨匠たち展』を見た後、映像ホールで『夜の女たち』を見、そして同じ3階で「京都の美術・工芸展」と題した『池大雅展、清水卯一展』というふたりの展覧会を見た。今夜は前者のみを採り上げる。



両者は200年の開きがあるが、ともに京都人であるので、こうして一緒に展覧会があっても不思議に違和感がない。むしろ、200年前が今にそのまま続いているという京都の貫祿を再認識させてくれる。なぜこのふたりの展覧会が同時に開催されるのかと言えば、作品の寄贈があったためと、展示場所が広いので、ふたつ同時に開催してちょうどであるからだ。京都は文化財が多いのに、そのうえなおもこのように寄贈があると、収蔵する場所が果たしてあるのかどうかと心配してしまう。そして管理もうまく行なわれるのかどうか。寄贈は無料で譲ることであるから、譲られた側にありがたみが少ないのでなければよいと思う。その点、民間に流出すると、お金を出して買うので大切に保存する。公開されにくくはなるが、作品の保存はむしろ丁寧ではないかと思う。国や自治体が保管しても、その実態はおそまつな場合が少なくない。このことは高松塚やキトラ古墳の壁画の例を思い出せばよい。みんな無責任ではないか。江戸時代なら切腹ものだが、誰も自分の責任とは言わない。超国宝級でさえこうなのであるから、ごく近年作られたような芸術作品の寄贈を受けても、ありがた迷惑と内心思っていることもあるかもしれない。保存や公開にもそれなりに経費がかかるし、展示してもあまり人が集まらないような場合、その後はずっと死蔵同然の運命を辿る。となれば、民間に流れて個人が楽しんだ方がいい場合もある。
 池大雅(1723-1776)に関しては、20数年前に苔寺近くの池大雅美術館に行ったことを即座に思い出す。その時はほとんど関心が持てなかったが、この年齢に達して文人画家についての興味が強くなり、なるべく機会があれば見ようともし、ようやく作品も意識するようになった。だが、正直な話、大雅のよさはまだ実感出来ない。書などはとてもうまくて器用なところを感じるが、絵はどこが見所かよくわからない。蕪村はまだそうではない。だが、大雅は蕪村以上に近寄りがたい雰囲気がある。鐡斎よりもまだまだそうだ。つまり、筆者が大雅の絵や書を本当に楽しめるようになった時が、文人画の奥深さをよく理解した証と思っているが、そんな時期が今後やって来るかどうか疑問だ。一生大雅には縁のないまま終わるかもしれない。上田秋成は大雅に実際に会ってその人柄をほめているが、妻の玉瀾の顔を猿のようだと辛辣に書いていて、それがまた何となく本当にそうであろうことを思わせて面白い。大雅もあまり生活ぶりや身なりをかまわない人であったらしく、それはいかにも大物らしい名前にそのままよく表われている気もする。「大雅」とはいかにも京都らしいが、なかなかこのような名前を名乗ることは難しい。しかし、それを照れずに堂々と使用しているところに、すでに非凡な才能が見えているように思う。大雅は53歳で亡くなっている。今ならまだまだばりばりの現役世代であり、とても意外な気だ。たった50年そこそこで南画の大成者と言われるほどの名品の数々を残したのであるから、やはり天才と言うべきで、その作品の持ち味がまだわからぬとはちょっと情けない。これはどこかで見たことがあるが、今回展示されていた作品の中で最も若い時代の書として、3歳のものがあった。「金山」と漢字2文字が縦書きされている。大雅は銀座役人の子として生まれたから、小さい頃からお金を身近に見ていたのであろう。この書の紙はお金の包み紙と思われるものを使用している。3歳の書が残っているのは珍しいようだが、同じ例は普通の人でもいくらでもあることだろう。ただし、大雅は幼い頃から筆を持って何かを書くことが好きで、それを家の人が見てその才能を伸ばすように仕向けつつ、なるべく書いたものを保存しておこうとしたのであろう。「金山」はそれほど上手な書とも思えないが、大雅という巨匠の伝説作りにはもって来いの作品で、これを処女作とみなすと、大雅の作家としての活動はちょうど半世紀となって、それならばそんなに短くもないことになる。
 今回の寄贈は池大雅美術館からなされたもので、書や絵など全部で23点だ。だが、これで全部ではなく、もっと寄贈されている様子が無料パンフレットの説明からうかがえる。池大雅美術館は民間人が運営しているはずだが、わが家から自転車で15分とかからないところにあるというのに、なかなか訪れる気にはなれず、20数年前に行ったきりで、今も開館しているかどうかわからない。ひょっとすれば運営者が高齢になったので、所蔵作品を全部寄贈して閉館したかもしれない。近くで見ていた人が、「この作品全部合わせたら○億円になるやろなー」と呟いていたが、実際そうであろうから、それをぽんと寄贈するというのは、お金のことを考えて収集していたのではないはずで、それこそ大雅の理想とした文人の心境を地で行ったものと言える。絵を見るとすぐにお金に換算してみたくなるのは悲しい話だが、庶民がささやかな蓄財をも考えてちょっとした絵を財産代わりに無理して買っておくというのも理解出来ないことではない。筆者は好きな画家の作品はそのアウラに触れたいために、そして日常楽しむために買うが、今もこうして書いていて、背後にはこの何日間ずっと呉春の掛軸をかけたままだ。それを背にしていることで何だかとても気分がきりりとする。印刷のカレンダーではそうは行かない。間近で見て筆使いいの生々しさがそのまま目で味わえるのでなければありがたみは起こらない。だが、この絵をいつか金に変えてやろうとは全く思わないから、死ぬまでそのまま持っていることだろう。それはいいとして、今回の大雅展は「四君子の画と書」と題されて、梅、蘭、菊、竹の4つの植物を題材にした掛軸と、それに前述の3歳の時の書から般若心経や仮名に至るまで、さまざまな時代のさまざまな書が展示されている。般若心経は最後、つまり左端の余白にうえ向きに伸びる笹の葉が描き添えられてあり、絵として鑑賞することも出来る。大雅にはこのように書と絵が一体になったものが多いから、どちらも味わう用意がなくてはならない。ここが大抵の絵師の作品とは違うところで、書も絵もわかる人でなければ大雅のよさはわからない。
 文人画とはそのようなもので、これは蕪村にも共通する。また中国と日本の双方の文学に精通している必要もある。たとえば今回は「江亭」と題された掛軸が対で出ていた。これは杜甫の詩「江亭」から大雅が好んだふたつの句「水流心不競」と「雲在意倶遅」を選んで書いたものだ。一方、和歌の草稿として書かれた「桜」と題するものがある。これは大雅が詠んだ歌を書いたもので、「いくゑかもみねの白雪しらざりし ふもとのさとに花の一ひら」「かほる香の春はかぎらぬさくら花 庭をひろみてさきもあまれる」「香をめでん春もかぎらじさくら花 咲あまりつつ庭をひろみに」とあった。これはきちんと読めるようにキャプションがあったからいいようなものの、掛軸からそのままこのようにすらすらと読めるようになるには、それ相応の勉強が必要だ。ここに文人画の難しさがある。また、「考工記図解」という細かい文字やイラストでびっしりと埋まった長い巻物状の作品は、『「考工記」とは中国・周の官制を記した「周孔」の欠落部分をおぎなうために著された書物。後にその内容を図示、解説する注釈書も現われた。本作はそうした図解のひとつ「考工記述註「を写したもの』と説明があった。今ではどんな知識人がこういう書物を大切に思って入手し、また見つめるのか知らないが、大雅はこんなものまで興味を抱いてそっくりそのまま模写している。この博物学的な事物への関心のその真面目さと徹底ぶりも大雅の性質のひとつでだ。同じことは「唐詩細楷」という扇の地紙にまるで米粒大の極小文字でびっしりと書き埋められた作品からもわかる。これは『江戸時代に日本にもたらされ、唐詩入門書として普及した「唐詩選」中の五句絶句74首を極めて細い楷書で書いている。上段が題、中段が詩、下段が作者』という説明でどういうものかよくわかるだろう。だが、そんな真面目で緻密を仕事ばかりを大雅は得意としたのではない。それは絵を見ればすぐにわかる。四君子を描いた墨絵はみなどれも奔放で、一体どういうものを範としながら、こんな自在に描けるのかと思わずにはいられないものばかりだ。破天荒過ぎて、どれが本当の大雅を最もよく表現しているのかと戸惑う。うまいのかへたなのかもわからないと言ってよいが、へたではこのように描けないのは歴然としており、そこで大雅のとりとめのない茫洋とした大きさのようなものを何となく実感することとなる。その決してつかみ切れないところが大雅の魅力であるかもしれない。そのためもあって、大雅は敬して遠ざけたままにしておくのが取りあえずは無難かという気になる。
 大雅が蕪村と共作した国宝『十便十宜図』はあまりに有名だが、その作品の実物を見てもあまりぴんと来るものがない。川端康成が全集の印税全部を前借りしてそれを購入したのはよく知られる話で、川端康成程度の文人にならなければその作品のよさも本当にはわからないのかななどと門外漢としては思うばかりだが、この作品で興味があるのは大雅と蕪村の交流だ。どちらも京都にいて、しかも同じ南画を描いていたのであるから、親交があってもおかしくないどころか、お互い強く意識して才能を認め合っていたに違いない。筆者はここ何年かは蕪村にようやく関心が持てるようになって来ているだけに、その蕪村側から大雅の魅力にどうにか接近出来ないものかとかねがね思っている。また、こうした展覧会があれば、そんな蕪村ルートの書物などには頼らず、直接作品に接することが出来るから、どんどんと見ることにはしているが、それでも大雅はまだまだ謎めいた存在で、どういう人物か脳裏にイメージが固定しない。これはしゃくに触るが、自分には無縁の芸術があるということを自覚するうえではいいことなのかもしれない。どんな芸術でも等しく感動して楽しめるというものではないであろうし、よさがわからないままに終わるものがあっても仕方がない。それはよくわきまえているつもりだが、あの蕪村の味がどんどんわかり始めているのに、なぜ大雅が見えないのか、それがやはり苦しい。20数年前に大雅美術館を訪れた時のことはぼんやりと覚えている。その時感じた書の味わいは今回も蘇った。だが、そこどまりだ。それ以上には深い見所がわからない。まだまだ修行の足りない浮ついた自分を思ってしまう。
by uuuzen | 2005-12-23 23:55 | ●展覧会SOON評SO ON
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