ずしりと重い杵を扱うより臼の中の餅をひっくり返す方が難しい気がするが、どちらにしてもふたりの息が合っていないと怪我をする。
奈良には猛速度で餅を搗くことで有名になった餅屋があるが、あれは毎日練習しないと勘が狂うだろう。話題になるためには人並み以上の努力と成果を見せなければならないという見事な一例で、面白がって見るというより、いじらしさを感じてしまう。だが、それで店の前は観光客が群がるのであるから、商売が繁盛し、日々練習を重ねる甲斐がある。筆者が子ども頃は近所でよく餅つきが行なわれ、その早朝の音で目覚めたものだ。だが、わが家は母子家庭で、臼と杵があっても搗くことは出来ない。そういう家庭のためにというか、近くにはもち米を持参するとそれを搗いてくれる店があって、母は大晦日の前になると依頼していた。昭和30年代半ばでもお菓子はそれなりにたくさんあったが、腹の持ちのいい餅が冬休み中のおやつになった。筆者は長年餅搗きとはどういうものかと思いながら、その経験がないままであったが、少年補導委員はいつの頃からか、毎年餅つき大会を小学校で行なうようになった。そのことは去年の4月17日の最初の総会でもわかったが、その大会が今日あった。2月4日と言えば、筆者はザッパの来日公演を京都の西部講堂で見たことを真っ先に思い出すが、その話はブログに何年か前に書いたことがあるので、今日はしない。また、今日の3枚の写真は昨日の天龍寺での節分祭に行く前に桂川の右岸、中ノ島公園で撮ったが、写真の説明はせずに、今日の餅つきのことを書いておく。会長からは餅の搗き手があまりいないので、筆者も出来ればやってほしいと言われていたが、PTAの若い父親がたくさん参加し、筆者の見たところ、手伝わなくてもいいようであった。やりたいと言えば出来たが、餅をひっくり返す人との相性があるだろう。もたもたしては迷惑をかけるので、遠慮した形だ。そのため、生まれて初めての経験となるはずの機会を失ったが、来年度も少年補導委員を担当するとまた可能性はある。臼は3個あって、全部がフル回転し、出来上がった餅を丸める役割は女性の少年補導委員とPTAの母親が担当した。そして、丸められた餅はその場できなこや餡、大根おろしなどで食べることが出来たようだが、子どもを喜ばせるための大会で、大人は後回しだ。それでも少年補導委員を初め、適当に大人たちは自分の役割を外れて食べに行ったようだ。筆者は同じ自治会のWさんとずっと米を蒸すことに従事したので、ほとんど大会の終わり近くになって若い母親がバットにきなこを入れた中に小さな餅を10個ほど転がしたものを、蒸し担当者に持参してくれたことで搗き立ての餅が口に入った。そしてもう蒸す米がなくなった後、餅を丸めているコーナーに行くと、大根おろしやその他、餅をいろんな方法で食すことは終わっていた。以前にも書いたが、これは本部役員の不親切で、適当の番を交代して食べに行くように言ってくれるべきだ。帰り際にビニール袋に小さな餅を4,5個詰めたものをもらえたが、家内に見せるとあまりに小さな一口サイズに驚き、呆れていた。4,5個で普通の大きさの1個程度に相当するからだ。
餅米は30キロが用意されたようだ。桂の学区では50キロを搗くと聞いたが、嵐山学区に比べて人口はかなり多いからだろう。朝10時から午後3時までの作業であったが、本部役員は朝はもっと早くから来て準備し、筆者が着いた頃にはもう作業は始まっていた。蒸篭は3つ用意され、すべて木製で円形だ。アルミの四角いものをいちおうは用意されたが、出番はなかった。3つの蒸篭は3メートルほど間隔を空けて横一列に並べられ、それぞれに2,3人が張りついた。薪をくべる刳り貫いた一斗缶の上に水を入れた釜を置き、その口の上に厚さ1センチの四角い板を敷いて3段の蒸篭を積み上げたが、もちろん米は一番上の蒸篭に入れる。四角い板には直径2センチほどの小さな円形の穴が開いていて、そこから釜の中の湯気が通って蒸篭の中の米を蒸す。薪は不要となった家具を分解したものがたくさん用意されたが、塗装してあるので一斗缶の中で燃やすと臭いのある煙を出す。またそうして蒸した場合、2センチの穴から通る蒸気に塗装の香りや色が幾分か混じり、蒸篭の中央の米は若干色がついた。何となく有毒に感じ、塗装された木はなるべく使わないようにしたが、それでも用意した木材は全部使い切った。この燃料となる木材の確保が毎年大変のようで、会長は来年のために協力してほしいと最後の挨拶で述べた。筆者はこの木をくべる役割をしたが、初めてのことなので要領がわからない。火を絶えず強くするために、缶の中でまだ盛んに燃えている木でも、スコップでそれをどんどんと取り出し、新しい木を入れる。そのタイミングが筆者の考えではかなり遅いようで、ほとんど1,2分ごとに新しい木をどっさりと入れるので大忙しだ。そしてスコップで取り出された燃え盛る木材は、赤々としているが、木ではなく、墨のように黒くなっていて、それを地面に敷いた大きな鉄板上に積み上げ、そこで水をかけて消す。それは本部役員たちの役割で、みんないかにも慣れた手つきだ。木が燃え尽きて墨のようになった頃もまだ火力は強いと思うが、火力とはあくまでも炎の高さで、それが釜の底に到達していないことには中の水が蒸気を発散しないとの考えだ。それが本当にそうなのかどうか知らないが、ともかく初心者なので本部役員にしたがった。蒸篭の米は一回でどれほどの量なのか知らないが、蒸すのに最低20分はかかる。だいたい30分は見ておく必要があり、そのために要する木材はかなり多い。ガス・コンロを使うともっと早いと思うが、不要な木材なら無料だ。また1年で最も寒い頃なので、焚き火代わりに暖を取ることも出来る。多くの子どもが参加し、大人と合わせて200人以上はいたであろう。Wさんとは模擬店でフライド・ポテトを揚げる役割を一緒にしたが、その時に同じように作業をした30歳くらいの「ヒラ」の少年補導委員の女性が餅を丸める役割に飽きたのか、蒸すための米がもう残り少なくなった頃、筆者とWさんが担当する釜にやって来た。顔を合わすのは三度目だが、それでも何となく同士という感情が湧く。彼女もそうだろう。筆者は手順を教えて交代したが、しばらくして彼女がマスクを外すと、煙のために鼻の穴の周りが髭のように黒くなっていた。当然筆者も同じで、帰宅して家内に指摘された。噂に聞いていた餅搗き大会も終わり、少年補導委員の本年度の「ヒラ」の仕事は全部終わった。残すは最後の総会でそれは来月中旬だ。