当然見ておくべきと思って、初日から4日経った先月の29日に今日取り上げる展覧会を細見美術館で見た。当日は真夏の晴天で、筆者は深い真紅の半袖のシャツを着て出かけた。

}もうそんな格好をする若者ではないが、身にぴたりと合うので気に入っている。京都市美術館の別館で新工芸展があり、その招待券をもらったので、若冲展の後に見た。また、府立図書館で調べものもあって、岡崎に三つの用事があったが、家内と一緒に出かけなかった。新工芸展は昔筆者も出品したことが何年かあるが、その当時の出品者で今なお同展に出品し続けている作家は多い。そういう人から招待券が届くが、毎回は見ない。ついでの用事がある時だけだ。新工芸展は10分ほどしか見なかった。ざっと見わたしても筆者が出品していた頃とほとんど変わり映えがない。筆者が別館の出口に出たところで、年賀状を毎年送ってくれる東山のKさんが背後から声をかけた。もう20年近く会っていないと思うが、お互いそれだけ老けたので、お互い顔を見ればわかる。彼女は筆者より一回りほど年下で、名字が変わっていないところ、独身かもしれない。声をかけられたのは、家内の姪がどうしているかとの近況を知りたいためで、そう言えばKさんは家内の姪と同じ京都市内の高校を卒業した。それでKさんの知り合いに家内の姪のことが話題になっていたのだろう。筆者は簡単に近況を伝えた。それは芳しいことでもないからで、人生いろいろを筆者の言葉の調子からKさんは推察したであろう。Kさんは今年は鶏を題材にローケツ染めの屏風でかなりいい賞を得ていた。静かな女性で、また器用であるので地道に製作を続けているのだろう。もう50歳ともなれば結婚は無理かもしれないが、没頭出来ることに長年携わっていることはよい。当日はKさんは美術館に詰める当番であったようだが、そうでなければ筆者とは会えなかった。年賀状だけのつき合いのままという人は少なくないが、同じ京都市内に住み、同じ染色に携わっていても、筆者のように会に参加しなければ他の作家と出会う機会がない。
細見美術館は若冲と琳派が大きな日本柱で、それを中心に作品の充実を図っていると思うが、新しく作品を購入するのは金額的に大変で、また初代の館長か、細見美術館のコレクションを購入した泉州の細見氏の審美眼があってのことで、その代表者がいなくなった後、別の人がコレクションを充実させるために作品を購入するというのは、どこまで許されるだろう。今回の展覧会はチケットを見てもわかるように、地味で、また図録は製作されず、これまで何度も見た若冲画をまた並べるというもので、出かけた値打ちは乏しかった。だが、1点、墨画の「万歳図」は初めて見たような気がするので、近年の購入かしれない。ただし、それは100万円程度の市場価格のはずで、細見美術館としてはいつでも購入出来る金額だろう。細見美術館は琳派と若冲の作品展を日本各地の美術館に巡回し、今後もそれを続けるだろうが、地方の美術館にとってはいわばパックされた展覧会が開催出来るので便利だ。作品の貸与にどれほどのお金が美術館同士で動くかどうか知らないが、まずはまとまった数の作品を所有しなければそういう話の持ち上がりようがなく、その点でコレクションを集めた細見氏はなかなか商売上手であったと言える。ただし、琳派と若冲にもっぱら関心を注いだのは、作品が集めやすかったとしても、氏の先見の明があった。特に若冲に関してはプライス・コレクションがすでに有名であったはずだが、個人美術館としてはそれに続く規模のコレクションを成したと言ってもよく、それがここ10数年の間に日本全国に知られるようになった。箱根の岡田美術館がさらにその次を狙って若冲を買い集めているようだが、もう名品が市場に出る可能性はかなり低い。美術品の購入はそこが難しい。金はあってもほしい作品と出会うのはなかなかだ。それでなおさら大金持ちは美術館を作ろうとする。大金持ちであるからといって誰でも出来ることではないからだ。そう言えば、有名な造り酒屋がどこでも自前の美術館を持ち、名品を抱えて美術通に知られるかと言えばそんなことはない。神戸の白鶴美術館は名品をたくさん所有するが、白鶴酒造以上に大きな会社ではないかと思う月桂冠では同様の誇るべき美術品がない。今から収集を始めるのもいいかと思うが、社長に美術趣味がなければ無理な話だ。
本展の図録が製作されなかったのは、各地で若冲の生誕300年展が開催されることにつき合っただけという感じがする。所蔵する全作品の画像データはあるはずで、図録を作ることは簡単であったはずだが、全部の作品が細見美術館の所蔵ではなく、宝蔵寺から借りて来た若中派とされる作品が、また壬生寺からは若冲が奉納した狂言の仮面、また石峰寺からも墨画が何点か借りられ、図録を作ることに問題があったのかもしれない。会期は前後に別れ、筆者は後期を見るつもりがないので初めて見る作品が後期にどれほどあるのかと関心はあるが、ネットで公開される目録を見ると、後期展のみの作品がわかり、やはり見る必要を感じない。図録の制作費がどれほどかかるものか知らないが、宝蔵寺や石峰寺などから出品があれば、そうした寺で捌けると思うが、その数はしれているかもしれない。また、これまでの同館の各地での展覧会で若冲画はすべて紹介済みで、そこに若冲画だけの図録を作っても話題にならないと考えたか。一方では岡田美術館がTVで取り上げられ、若冲のめったに市場に出ない名品を購入していて、経済力と館としての使命感の差を思うが、岡田美術館は所蔵品の間口が広く、まだまだ名品を購入し続ける意欲があるように見える。会社には伸び盛りの時代があり、その頃に一挙に美術品の購入を充実させなければ、なかなか同じような勢いのいい時はやって来ないだろう。その意味で細見美術館は一種守りに入っているところが本展から伝わる。美術館の入場料だけでは運営が難しいのはどこでも同じはずで、所蔵する琳派と若冲の絵画がひととおり日本各地で知られると、美術館としては次に自前のコレクションの展示だけではなく、他のコレクションを借りて展示することを増やす必要がある。細見美術館はもうそれを盛んにしているが、それには学芸員を抱え、時流を見定めた企画が常に求められる。いつまでも若冲と琳派では飽きられるという思いが、本展には微妙に反映しているようにも感じられるが、若冲の絵の実物を見たことのない人、名前も知らない人は京都にまだまだ大勢いて、そういう人たちを啓蒙する意味でも若冲や琳派を別の切り口で見せたり、また別の画家と組み合わせたりするなど、若冲に関しては生誕300年の区切りを過ぎてから新たな展示の方法が考えられるだろう。