情報を得る手段がもっぱらネットになっているが、このブログに関しては歩いている最中に得る場合も少なくない。もう1か月ほど前のことになる。

6月10日の金曜日、堂本印象美術館で『堂本元次展』を家内と見た帰り、大丸百貨店の四条通りに面したウィンドウに今日の3枚の写真の若冲の屏風の複製が展示されているのを見かけた。正しく言えば、最初の2枚がそうで、3枚目は店内の1階の展示だ。写真にあるように、カメラ・メーカーのキャノンが大型スキャナーとプリンターで複製したもので、筆者は2010年にこれを静岡の『若冲アナザー・ワールド展』で見た。同じものが持って来られたのかどうか知らないが、数点は製作されたのではないだろうか。3枚目はアメリカのジョー・プライス・コレクションの屏風で、氏にその複製を贈呈する必要はあるだろう。またデーターがある限り、いつでも製作出来るが、最後の工程は表具師がやらねばならず、パソコンで印刷するように安価では出来ない。若冲の複製画はボストン美術館にある「旭日鳳凰図」が10万円以上で販売されていて、六曲一双屏風なら100万以上で、おそらく200万円ほどと思うが、表具代にどれだけかけるかで価格は大きく変わる。200万円程度の価格であれば、ほしがる人はかなりいるのではないか。ホテルや大きな旅館では調度品とするのにちょうどよく、本物を飾って盗難に遭うか汚されることを思うと、複製は気が楽だ。大丸百貨店が若冲生誕300年を記念し、こうした複製屏風を飾るのは、会社として購入したからではあるまい。キャノンの宣伝であり、展示はキャノン側が持ちかけたのだろう。京都の大丸は若冲の生家にとても近いところにあり、若冲を率先して顕彰してもいいと筆者は思っているが、若冲展を開催せず、また若冲の絵を所蔵する話も聞いたことがない。孔雀がシンボルの百貨店であるので、若冲の孔雀の絵を購入すればいいのに、そういう考えを持つ社員がいないのだろう。すぐ近くの錦通りでは若冲の絵を印刷した垂れ幕をたくさん掲げるなど、若冲を前面に押し出して観光客の関心を買おうとしているが、それは当然あるべき姿であろう。錦通りがやらなければ他にどこがやるかという感じがしていたが、それは生誕300年を迎えてようやくのことで、これまでは割合というか、全く冷淡であったように思う。その冷淡さは大丸も同じだが、さすが生誕300年のブームに何らかの反応を示すべきと考えたのか、複製のカラフルな屏風を1階のウィンドウとそのすぐ奥の商品売り場に飾ることにした。ただし、期間はごく短い。売り物にならないものをいつまでも飾るわけには行かないからでもある。また、道行く人でこの屏風の展示に関心を示して立ち止まる人は、筆者の見たところ、100人にひとりかそれより少ない。これほどに若冲の名がマスコミに喧伝されても、その絵や名前を知らない人の方が圧倒的に多い。モナ・リザは美術の教科書に載って誰でも知るが、若冲の絵は筆者の世代では知る人は稀だ。ここ10年ほどの間に教科書で今日の3枚目の写真の屏風が表紙に採り上げられるなど、若冲の名前はようやく子どもに教えられるようになったが、どの美術の教科書もというわけではないだろう。第一、学校の先生が若冲のことをよく知らないかもしれない。

3枚目の写真には屏風の手前に反物が写っている。これも生誕300年記念に関しての催しで、6階の呉服売り場の一画で、プライス・コレクションが所蔵する若冲画を元にして染めた手描き友禅染めの着物がたくさん展示されていた。そのキモノ販売会にあわせる形で、若冲の2点の枡目絵の六曲一双の屏風のうち、プライス・コレクション所蔵の作品は反物と一緒に展示されたが、これは一方では2点の屏風のうち、どちらが重要であるかをほのめかしている。それはともかく、呉服売り場での特別販売会のパンフレットが3枚目の写真の左下隅に置かれていて、それを一部もらって6階に上がった。展示されていたキモノは若冲の絵をかなり忠実に友禅で再現するという立場ではなく、キモノにするための制約から、若冲画の部分をあちこちから抽出して組み合わせたものだ。作家の作品ではなく、職人が合同で製作したもので、またそのディレクターとなったいわゆる社長は50歳くらいの若い男性で、彼がプライス・コレクションから許可を得たようだ。完全な模写ではないので、原画を所有するプライスさんの許可を得る必要はないはずだが、キモノを売るとなれば、また大丸百貨店で特設の売り場を確保してもらうとなれば、権威のお墨つきの必要がある。つまり、プライスさんの生と顔を出した方が商売にはいい。そのディレクターの名前はほとんど誰も知らないが、プライスさんはTVによく出て若冲を知る者なら誰でも知っているからだ。そして、キモノにはすべてプライスさんのサインがシルク・スクリーンで染められ、本物のお墨つきとなっている。これはどれほどのロイヤリティをプライスさんに支払うのか、昔から呉服の販売価格はあってないようなものということを思い出してしまう。大丸百貨店で販売するとなると、大丸は価格の数分の1は取るから、100万円のキモノでも職人にわたる金額は日当程度だろう。また、それでも仕事があるだけましで、ましてや大丸百貨店で特別に展示販売されるとなると、職人も気分がよい。友禅のキモノは手間のかけ具合でいわば無限に近く高価な商品になるが、前述のように、あまりに高価なものはほとんどが過剰に盛っているだけで、高価を謳うほどに買いたがる見る目のない大金持ち目当てと言ってよい。高価なキモノが売れなくなって来たのはそれが一番の原因だろう。今回展示されたキモノのうち、最も高価なものは450万円ほどであったと思うが、各工程の職人への支払い、ディレクターの取り分、大丸の取り分を考えると、妥当な価格であろう。そして、そういうキモノが飛ぶように売れることはまずないから、在庫で抱える損失も見込む必要がある。筆者も友禅染めを職業とするので、なかなか友禅キモノの手間のかかり具合と販売価格の相関については言いにくいことがあるが、今回の展示作品は若冲に想を借りたものであって、特別に卓抜な技術によるものではなく、むしろ3,40年前の技術の方がもっと高かった。若冲という強い個性をキモノに染めるには、同じように強い個性の持ち主に任せるのがよい。今回のキモノはどれもその点ではかなり田舎じみて見えた。無名の職人による仕事であるからだろう。だが、キモノはそれでこそよいとの考えもある。着る者が主役であるから、作り手の個性が強く出たものは本末転倒と言えるかもしれない。皇族が着用するキモノはどれも没個性的で、遠めには色無地に見えるほどに文様が小さく、また色は淡い。それは上品さを狙ってのことで、若冲の世界からは遠い。だが、若冲が上品でないとは全く言えない。