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●『生誕300年記念 若冲展』
新記録というのは切りがないと思うが、雨の中で3時間待ちというのは人生でそう何度も経験しないのではないだろうか。筆者は長蛇の列に並ぶことが嫌だが、どうしても見ておきたいとなればやむを得ない。



●『生誕300年記念 若冲展』_d0053294_21414909.jpg2時間ほどならこれまで並んだことが何度かあったと思う。急に思い出したので書いておくと、記念切手を発売日に買うために長い列に並んだことがある。その切手は「世界飢餓救済運動」で、ネットで調べると1963年3月21日の発行だ。木曜日の祝日で、学校は休みだ。当時筆者は11歳で、この10円の記念切手を大阪の東成郵便局に朝早く買いに行った。するともうたくさんの人で、200人はいたような気がする。切手販売窓口が開くのは朝8時で、筆者はたぶん6時半頃に郵便局に着いたと思う。高齢者から子どもまでいて、みんな黙っている。列が長いので、最後の人は買えない不安を抱いたかもしれない。筆者は近所の2,3年下の不良っぽい男と一緒に行ったが、その男は長い列を見てとても待てないと思い、列の前方に歩いて行って年下のか弱そうな子どもに睨みを利かし、その前に割り込むことを承知させた。そして筆者のところに戻って来て、「こーちゃん、もっと前に入れるからこっちおいで」と言いながら筆者を数十人前方に連れて行き、そこに押し込んだ。その子どもの前後に大人もいたが、注意する度振りも見せず、知らん顔をしていた。よほど筆者のその年下の連れの態度が堂々としていて、割り込ませた子どもの知り合いとでも思ったのだろう。その時に買った記念切手は今も持っているが、買ったのは10枚だったと思う。当時は異様な記念切手ブームで、何年かすると何倍かの値打ちが出ると思っていたのだろう。だが、当時の10円切手で封書を送ることが出来たのに、今ではその切手を8枚貼っても送ることは出来ない。それに当時の切手は額面でも売れない。つまり、早朝から郵便局前で並んだ大勢の人たちはみな損をした。世の中とはそういうものだ。それでも経済的なことだけで損得は測れない。並んで買った切手はそれなりに大事にし続けるもので、当時のいろんな記憶がまとわりついている。
 さて、東京でも若冲生誕300年記念展が開催されるというので、早い段階から見に行く必要を思っていた。図録だけ郵送で購入してもいいかと思いながら、やはり訪れておくべきとの思いが勝り、家内と17日に出かけた。大平さんが招待券を用意出来るかもしれないとのことで、JR上野駅で待ち合わせをし、チケットを2枚いただいた。予定では一緒に見ることになっていたが、大平さんは仕事があり、夕方に別の場所で落ち合うことにした。TVで若冲展の人気が凄まじいことは知っていたが、どのような展覧会でも会期の終盤にはさらに大勢の人が押しかける。それを知っていながら、筆者は会期終了の1週間前に訪れた。上野駅の雨のかからない場所でしかも公園を見下ろす位置に立っていると、次々と傘を差した人たちが横断歩道をわたって美術館方面に向かう。全員が若冲展目当てとは限らないが、半分ほどはそうだろう。午後1時過ぎにチケットを受け取って東京都美術館に向かうと、遠めにすぐに長い列が見えた。その最後尾に着くと、すぐ近くにプラカードを掲げた若い男性がいて、そこには「180分待ち」と書いてあった。3時間も風雨が強い中で待つのは最悪だが、待ち始めると筆者らの後にどんどん人が連なる。3時間待ちでは美術館が閉まる午後5時までには1時間もない。どうせそのようなことになるだろうと想像はしていた。大部分の作品は見たことがあるので、今回は初めて見る作品がどれだけあるかを確認するのが目的だ。それなら30分もあればよい。また、その初公開される作品は大半は筆者は10年以上前から知っていた。今回は『動植綵絵』30幅の展示が東京で初めて行なわれることで評判を呼んでいるが、筆者の目当てはTVで新発見と紹介された絹本著色の「孔雀・鳳凰図」の対幅だ。これは戦前の本に精細な図版が紹介されているが、どういう色合いかはわからなかった。また戦前に展示され以降、どこにあるのか存在がわからなかった。それを入手したのが箱根に新しく出来た岡田美術館で、ユニヴァーサル・エンタテイメントという会社が設立した。ネットによればパチスロなどのゲーム機器を製造しているとのことだ。またユニヴァーサル・ミュージックとは資本が別のようだが、ユニヴァーサルというだけに規模の大きな会社で、美術館を持つことでイメージ・アップを図りたいのかもしれない。また、箱根という観光地に若冲の逸品を所有する美術館が出来ると、箱根全体の観光客誘致にはよい。京阪神でそういう場所があるかとなれば、有馬くらいしか思い浮かばないが、有馬に日本美術の清華を見せる美術館が出来る可能性は少ないだろう。京都や奈良が近いからだ。そう考えると、箱根に日本美術の美術館が出来たのは地元の要望も長らくあったからかもしれない。
 今回の展覧会はその岡田美術館が所蔵する若冲画を全部展示したようで、まるで岡田美術館の宣伝に一役買ったような雰囲気もあるが、その美術館が珍しい若冲画をまとめて持っているからには協力を得ることで、京都での展覧会とは一味違うものを意図したのだろう。ま、関東の特色を出したということだ。そうでなければ筆者のようにわざわざ京都から赴く人は少ない。また、岡田美術館は今回の展覧会が終わった後は、当然若冲画を目玉として展示するが、入館料は3000円ほどになるようで、通常の倍ほどの料金設定となっている。それに箱根となれば筆者は東京よりも訪れにくい。ならばこの機会にその美術館が所有する若冲画をまとめて見られることはとても便利でありがたい。さて、長い列は少しずつ前進する。そのことで待つことが出来る。それに筆者は退屈するのが嫌いで、筆者のすぐ前にいた筆者より2,3歳年長らしき夫婦に声をかけて、入館するまでの間、若冲について話し合った。埼玉からと言っていたが、TVで何度も紹介されるので、これは見ておかねばと思ったらしい。みんなそうだろう。話題となっていて、また同じ機会は今後はないかもしれないとなると、多少の美術好きなら見ておきたいと思う。そのご夫婦とは美術館中庭の大きな銀色に輝く球体のオブジェが見え始めた頃には話をやめ、また入館してからは大混雑に巻き込まれ、お互い注意する暇もなく、そのまま別れた形になった。館内に入ったのは閉館の40分ほど前で、また列に並んでいた時の整然さは皆無で、カオスという表現そのものの人間の渦に巻き込まれた。『動植綵絵』が半円形に並べられている大きな部屋に入った時、筆者はそれらを1幅ずつ鑑賞することを諦めていた。家内は初めて見るが、画集で何度も見ているもので、興味を示さなかった。それでほとんど一瞥することもなく、次の部屋に移動し、岡田美術館が所蔵する作品のみをよく観察することにした。それも人にもみくちゃにされながらで、絵の前に1分も立っていなかった。初めて見る作品としては六曲一双の「三十六歌仙図屏風」があった。これはアメリカにもあるが、若冲が描いた年度が違う。また絵もわずかに違い、最晩年の若冲の仕事の研究に欠かせない。潤沢な資金があるようで、今後めぼしい若冲画は率先して購入すると思われるが、若冲画は世界的に有名な巨匠に比べるとまだまだ格安の価格であり、また作品の多さからコレクターは増えるだろう。岡田美術館はその中で今後も最前線の位置を保つと思われるが、美術館の入場料や関連グッズ販売などから、損をすることはないのではないか。
 結果的には初めて知る若冲画はなかったが、これは予想したとおりだ。戦前の図録や目録で紹介されて以降、存在が知られなかった作品は「孔雀・鳳凰図」以外にもう1点あったが、すでにそのカラー印刷は最近の出版で先に紹介されていて、驚きはなかった。そのため、この展覧会は東京で初公開される「象鯨図屏風」などを含めた若冲の代表作を見せることが第一の目的で、珍しい図柄の絵を積極的に展示するものではなかった。また、そういう若冲画はきわめて少なく、展覧会のために集めることは難しい。それに、そういう作品を喜ぶのは若冲の大ファンか研究家くらいなものだ。約1か月の会期で44万人ほどが入ったそうだが、これは東京都美術館としては記録を更新した。1974年の「モナ・リザ展」も家内と見たが、その時は会期は倍近く、150万人を越えたから、今回の若冲展は妥当な動員数に思える。その理由のひとつは、若冲展の開催が多いことだ。展示を30分未満で見たと思うが、図録やグッズ売り場は閉館間際もあってか、大混雑していて、筆者は別の離れた場所に置いてあった図録の見本を手に取った。その装丁は安っぽく、また印刷も今ひとつの感じで、買わなかった。44万人の半分くらいは買ったと思うが、そうなれば古本で出るのも早いだろう。大きな若冲展は秋に京都でふたつが予定されていて、細見美術館でもやる。生誕300年という区切りのいい年であるから、来年にはぱたりと若冲の話題が途絶えると思う。美術館は数年前から新たなブームを作るためにどの画家を発掘しようかと考えているだろうが、それを見つけることは容易ではない。ある人と、なぜ若冲人気がこれほどまでに高まったかと話したところ、その日とは若冲が流派に属さず、遠慮する師がいなかったために思う存分の仕事が出来たと言った。つまり、独創的であり得た。流派に属せば、どうしてもその画風をある程度は守りながら斬新さを出さねばならない。それでは現代の目から見て、面白いと思える絵にはならない。そして、若冲のように独創的であった江戸時代の画家は少ないから、そこから若冲ブームと同じようなことを仕掛けることは無理ではないか。そうなると、しばらくは江戸時代の絵画の人気は下火になるかもしれず、美術館はまた印象派やゴッホの作品を外国から持って来て手堅い入場者数を維持しようとするだろう。そう言えば、大平さんからはカラヴァッジョ展の招待券もいただいた。若冲展を見た後に時間があればと期待したが、列の最後尾についた時に180分待ちの看板を見て諦めた。また、カラヴァッジョ展は数年前に開催されたのではないだろうか。日本でそれほど人気があるとなれば、数年後にまた作品を借りて展示するだろう。若冲に関しては次は没後220年展か。それは4年先で、ちょうどいいように思う。
by uuuzen | 2016-05-20 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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