山のようにやるべきことがあっても、少しずつこなしていると、山は山でなくなって来る。今日から新年度で、筆者は去年度に担当した少年補導委員から開放され、8年ぶりに自治会の委員として名簿に名を連ねる必要がなくなった。
それでも地蔵盆の時はテント張りなどの力仕事を手伝う必要はある。次に筆者が何かの委員をやらねばならないのは、たぶん5,6年先だ。その頃は70になっていて、今よりも疲れやすくなっているだろうから、自治会のことはなるべく若手がやるべきと思っているが、今では夫婦共働きが普通になって、働き盛りの人に自治会の仕事をしてもらいにくい。隣りの自治会では、ほとんどの家が40年ほど前に建ち、一斉に入居があったので、みな仲がよく、また全体に高齢化世帯となっている。児童のいる家庭が一軒もなく、そのため自治連合会主催の小学校を借りての運動会では、応援する児童がおらず、テントの下はさびしい限りだ。そのうちわが自治会も同じようになるが、隣りの自治会では子どもがいなくてもみなけっこう楽しんでいるように見える。地蔵盆は子どものための行事ではなく、老人が集うものに変わり、仕方がないとはいえ、それはそれでとてもいいことだ。わが自治会ではそのようにやがてなるかと言えば、ま、無理だろう。何代にもわたって住む住民とマンション住民が混じるからだ。筆者は20数年前に少年補導委員を担当したことがあるが、その頃、地蔵盆の打ち上げの会に参加すると、当時の70代の男女がカラオケ店で童謡を盛んに歌い合い、まるで小学生の頃に戻ったかのように渾名で呼び合って楽しそうであった。微笑ましい光景と言えるかもしれないが、その仲間に入って行けない空気が濃厚に漂っていて、筆者は呆気に取られて眺めるだけであった。その頃のそうした老人はみなあの世に行ったが、当時同じ世代の女性から聞いた話が忘れられない。このことは前にも書いたことがあるが、思い出したのでまた書く。その女性は筆者より先に地元に引っ越して来た。そして自治会にあった老人の会に参加したが、そこで見た光景は前述の筆者が経験したことと同じで、全く声もかけられず、親しい地元の幼馴染たちが騒ぐのをただ見つめるだけであったという。それでもう二度と参加しなくなったが、古くからの住民は、新参者と一緒に楽しむという考えがない。自分たちは子どもの頃からの知り合いで、そこにどこからやって来たかもわからないよそ者を参加させようという考えすらない。これは日本中どの田舎に行ってもおそらく同じだろう。同じ会費を支払っても、それを存分に使って楽しむのは古くかの住民で、新参者は彼らを楽しませるための寄付するようなものだ。これでは新しく引っ越して来た人がだんだんと自治会と距離を置くのは当然だろう。そしてそういうことは隣りの自治会ではない。みんなが新しい住民であるからだ。そこにはそこならではの問題もあるだろうが、新旧の住民が同居する自治会よりかはそれはましだろう。
これは綾部出身のある人から聞いた話だが、綾部の田舎に移住する人はほとんどが数年で出て行くそうだ。古いしきたりに納得が行かないからで、よそ者であるという思いを味わうことになる。便利な都会に住んでいた人が広々とした田舎がいいと考え、定年退職後に移住しても、まずは生活が成り立たないらしい。それが40歳くらいならまだどうにかなる。綾部に古くから住む人でも、田畑の仕事は大変で、農機具を買うための田畑を切り売りする。では現金をたくさん持っているか、現金収入が毎月決まってある人はいいかとなると、確かにそうだが、たとえば寺社への寄付などの際、それを渋るかその素振りを見せると、もう住んでいられないほどの非難に遭う。筆者はそういう田舎に住みたいとは思ったことがないので、そういう話を何気なしに聞いているが、嵐山も綾部の田舎と変わらないところがある。古くからの住民がいるところではどこでもそうだろう。昔は地元住民の田畑であった土地に、今では建売住宅やマンションが建っている。古くからの住民にすれば、あそこに住む人の土地は元は自分が所有していたと思うであろうし、そうなればそこかで見下げた、あるいは反対に財産を手放したことに卑屈になる。そんなことを思っていても人生は短いのですぐに高齢者になるが、その子孫がいて、同じ思いは継がれて行く。綾部の田舎はそういうところなのだろう。これは筆者の意見というより、そこで生まれて長年住んでいた人から聞いた話から想像してのことだ。その人は70代で、今でも綾部に住民票を置いているそうだが、もう綾部に戻って住むことは考えていない。冬の寒さが身にしみ、また住民がとても少なくなって、住民が分担する寄付や作業にもう耐えられないようだ。ではそういう人が嵐山で馴染むかと言えば、前述のように古くからの住民はみな仲よしで、その中に招かれることは絶対にないと言ってよい。つまり、その点で筆者と共通するが、世代が違い、また大阪育ちの筆者とは考えが微妙に異なる。そういうややこしい土地だが、観光地として有名なあまり、金儲けしようと考える企業が増加している。それで地元住民が住んでいた土地を買ってマンションを建てるが、いつかは地元住民が住む土地が全部そうした企業のものになるかと言えば、これはわからない。また、そのうち半世紀前にやって来た新しい住民が代を重ねて古い住民となるから、いつまで経っても今の様子とさして変わらないかもしれない。さて、今日の写真は去年3月31日の撮影で、山か壁のように聳える建物の覆いの中央に、黄色い枠で目立つ垂れ幕が貼られた。中央の写真が作業員の腕と安全ベルトのようで、高い足場の作業員に対する注意喚起であろう。竣工が間近に迫って来たので、気の緩みがないようにとの配慮だろうが、ひょっとすれば足場から落ちて怪我した作業員があったのかもしれない。エイプリル・フールにしては悪い冗談か。