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●神社の造形―宗像神社、その1
をたどると言えば探偵のようだが、いつの時代にも過去がどうであったかを研究することが好きな人がいる。筆者はその部類だが、徹底度はそれほどでもないので学者にはなれない。



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研究者ということも憚られる。たとえば筆者はザッパについての本を3冊出したが、筆者以上に詳しい人はいるだろう。ザッパの海賊音源を血眼になって収集している人は世界中にたくさんいて、彼らは筆者が足元に及ばないほどのザッパのライヴ音源に関しては知識を持っている。それでも悔しさ半分ではないが、ザッパの実像は海賊音源を全部集めることだけで明らかになるとは限らない。つまり、どんな研究対象でも、研究者の個性によって新たな意見が生まれ得る。それは論と呼ぶにはおそまつな場合も含むが、過去のことはどれだけ資料を集めても、小さな隙間から研究対象を覗き込むのと同じで、推察に頼る部分が必ずある。それで意見にしろ、論文にしろ、それがどれだけ面白いかが問われもする。研究論文を面白いとは何事かと言われそうだが、研究する動機は真実を知りたいという欲求が前提にあり、それは真実を突き止めようとすることが自分にとって面白いからだ。人生は面白くなければ意味がない。だが、ある人が面白いと思うことが誰にとってもそうかとなると、そんなことは絶対にない。それで、たとえばお笑い芸人が自分の芸が絶対に面白いと自惚れ、またTVなどで絶大な人気を得ても、逆に誰にとっても面白いそのことが、ある人にとってはさっぱり面白くないという場合がある。ただし、そういう声は小さいので、そのお笑い芸人は無視するか侮ることが出来る。そして、そのことが実際にそのお笑い芸人が面白くないことの理由であることを本人は知らない。つまり、みんなが面白いと思うことは全く面白くないと考える自由はあり、かくてあらゆることが研究対象になって、細部がどんどん追求されて行く。
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 筆者はこのカテゴリーに書くために各地の神社をよく訪れるようになったが、神社の歴史に興味があるわけではない。そういう歴史はつぶさに知るとそれなりに面白いことはわかっているが、題名にあるように神社の造形の方に関心がある。では、京阪神から遠く離れた神社の社殿の形がどう違っているのかという、本格的な神社の建築様式に関心があるのかと言えば、それほどでもない。神社建築の学者の卵のような存在になりたいとは全く思わず、ただ神社がたいていは昔のまま保存されているその現実に改めて感心し、そういう場所をたくさん持っている日本はやはり独特と思うだけだ。それで、このカテゴリーは神社についてはド素人の散歩日記に過ぎず、撮って来た写真を使って適当な思い出を埋め草的に連ねるだけだ。また、それほどに神社は無数同然にあり、生きている間に全部巡ることは不可能に等しい。その多さはさらりと跡をたどるにふさわしい条件を提供している。ひとつしかない場所、一度しか開催されない催しに赴いて、その感想を書く場合が筆者のブログでは多いが、神社もある意味ではどの神社もひとつしかなく、また筆者が訪れるのはたいていは一度切りで、いわば展覧会の感想や自分のとっての名曲について綴ることとあまり変わらない。違うのは最近関心を抱いたことで、筆者にとっては新しい興味、つまり面白みだ。だが、何度も繰り返すように、ブログ・ネタがあまりないような時の埋め草であって、神社の造形を注視した文章ではない。その造形に関しては筆者の文章よりも写真が伝えるとの思いがある。それで、境内にあるすべての鳥居と小さな祠を撮影するようになって来たが、大きな神社では写真が多くなり、数回の投稿が必要になる場合がある。これでは訪れた神社を紹介することがどんどん遅れることになり、実際今日紹介する神社は去年11月21日に御所に行ってまとめて撮ったうちのひとつだが、当日はまだ10以上の神社を訪れたので、1日の行動が2週間分の投稿ということになる。そんな状態では記憶は薄れ、また書くことが少なくなるが、半年前のことでも写真を見ればシャッターを押した時のことが蘇り、どうにか書くことも次々と浮かぶ。
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 今日に限らず、このカテゴリーに載せる写真は撮影した順、つまり筆者が歩いた順となっている。京都御苑内はめったに行かないので、神社の位置を確認するために地図をヤフーで印刷して持参し、どのように巡れば最も効率的かを考えた。それで前回の白雲神社を訪れた後、真南に位置ずる宗像神社に向かった。今日の最初の写真は同神社の北端の鳥居だ。間口が狭いが、青い幟旗が参道両側に立てられ、すぐにわかる。参道が狭いのは、この神社が元は公家の邸宅内にあったからだろう。京都人は京都御苑全体を御所と呼ぶことが多いが、実際は御所の範囲は京都御苑内の中央辺りの狭い区域となっていて、それを囲むようにしてあった公家の邸宅は明治天皇の東京移住に伴なって不要となり、京都御苑という誰でも入れる公園になった。だが、神社を壊すわけには行かず、そのまま残された。宗像神社はネット情報によれば、8世紀の終わりに公家が桓武天皇の許しを得て平安京の東西両市の守護神として福岡の宗像神社を勧請したものとある。東西両市とは東西に立った市場のことだが、発掘調査によって西の市は10世紀には廃れたことがわかっている。人々の生活の基盤となる市を守護するという考えは何となく貴族らしくない気がするが、毎月決まった日の市を貴族も楽しみにしていたのであろう。ともかく、邸内にあった神社は京都御苑を管理する京都府の所有となったが、「国史見在社」という、式外社ではあるが、格式の高い神社とされている。そういうことはなかなかわかりにくいが、今日の写真からは、こじんまりとしながらも多くの樹木に囲まれた気持ちのいい雰囲気が伝わるかと思う。
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 今日の最初の写真は拝殿で、梅津の梅宮大社のそれに似ている。この写真の左端は2枚目の右端に続く。つまり、拝殿に向かって左手に3つの祠が小さいもの順に並んでいる。3枚目の写真はそのことをよく示すが、これを撮ったのは、左手の石碑の文字が見えるようにとの思いからだ。2枚目ではそれが遠方でわかりづらい。最初の写真の左端に男性がひとり頭を垂れている様子が写っているが、なかなか信心深いようで、祠の前でしばし立っていた。そのため、筆者はいつ撮影しようかと迷いながら、ついにその日とが左端に移動した時にシャッターを押した。ガイドブックのようなものを持っていて、観光客に見えたが、神社巡りをしているのかもしれない。それぞれが何の神様を祀るかは各祠の右前に建てられている石碑からわかる。後で調べればいいかと思いながら、その石碑に刻まれる名前が読めるような場所から撮った。右端は「少将井社」、中央は「繁栄稲荷社」、左端は「琴平神社」とある。ということは、拝む男性は海運に関係する仕事に携わっているのかもしれない。全国にある「こんぴらさん」を回ってみるという趣味を持っている人はおそらくいるだろう。あるいは、京都に来たならば、東山の安井金比羅宮とは別にこの宗像神社の境内にも訪れようとするのは時間的にさほど難しいこともない。繁栄稲荷社は、この宗像神社が最初に勧請された時の趣旨にかなう。屋根に多くの落ち葉があって、掃き落とせばいいように思うが、社務所は人員不足かもしれない。また、秋が深いために仕方のないところがあり、拝殿の奥が森のようになっていて楠の巨木も立っている。それはともかく、福岡県に筆者は訪れたことがなく、宗像神社についても無知で、いつか福岡に行った時にはどの神社を回ろうかと今から計画を立てておくのがいいかもしれない。そのことで意外にも早く同県を訪れる機会が得られるような気がする。残りの写真は「その2」に投稿する。
●神社の造形―宗像神社、その1_d0053294_23570679.jpg

by uuuzen | 2016-04-29 23:59 | ●神社の造形
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