緊張をほぐすのに風呂に入るのはよい。それが、挨拶を交わさねばならないような人がいれば、家の風呂に入った方がよいと考える人がある。その気持ちはわからないでもない。
顔を知り、近所ということでどうしても義理で挨拶をするか、多少は話さなければならないような、どちらかと言えば馬の合わない相手と温泉で顔を合わす可能性があることを考えるだけでも緊張するのだろう。筆者はしゃべったことがない顔見知りに風風の湯のサウナ室で会っても基本的には話しかけない。そういう仲が何かの拍子でお互いよく話すようになることもあるが、そうなればまたその人と話すことは楽しい。風風の湯にはわが自治会の住民はほとんど利用していないが、その最大の理由は、家で風呂に入った方が安いためだが、自治会の顔見知りと会って話すことが面倒であるからだ。その話を何代にもわたって地元に住む古老から聞いた。典型的な京都人と言ってよい。同じ自治会の住民であるので道で出会えば挨拶はするが、それ以上にはほとんど踏み込まない。これは前に書いたことがあるが、筆者が自治会長をした最初の年、30代後半か、若い主婦が総会の席で筆者に挨拶をしに駆け寄って来て、満面の笑顔で自己紹介された。その女性の家族は、1,2年後にわが自治会から南に隣接する別の自治会内に転居した。家の前の道は筆者は郵便局や小学校、また梅津に行く時には必ず通る。そのため、前庭に水をやるその主婦をよく見かける。また、顔を合わすこともある。だが、筆者が存在しないかのような素振りだ。つまり、同じ自治会に住んでいた時は、筆者が新しい会長というので、それなりに自分の存在を知っていてもらおうとしたのだろうが、自治会から抜けると、もう筆者とは関係がない。おそらくそういう考えだ。地元に何代にわたって住む住民とはだいたいそのようなもので、筆者が京都人を好きになれないのはそういうところだ。大阪人よりも冷たい。同じ思いは上田秋成も感じた。京都は変わっていない。何代にもわたって同じ家に住むわが自治会の住民は、みな昔は農民で、筆者の見たところ、大阪など別の地域から引っ越して来た住民の方が知性を要する仕事に就いている。そのためもあって、筆者が親しくする自治会の住民は、みな筆者のようによそ者だ。そして、筆者のその例からわかるように、これは以前に何度も書いたが、何代にもわたる住民といわば新住民の間には壁のようなものがある。その様子は、日本が外国人労働者をなかなか受け入れないことと根は同じで、京都に存在することが日本の縮図と思うことがままある。昨日はホテルでの会食から帰宅した時、かなり衝撃的な文書が投函されていた。そのことの話をここには書かないが、いつか小説にしたいと思っている。何代にもわたって住む京都の貧農の末裔が、自惚れると無学で人望のなさをどうさらすかの最適な見本で、筆者はそのトラブルに巻き込まれたのだが、相手にするのはあまりにアホらしいので、さっさと遁走するに限る。京都に来て以来、京都人の超醜悪な実相を見た思いがしているが、相手にするとこちらが同じレベルの人間と思われるので無視しておくに限る。
今日の午後は久しぶりに自治会のFさんと2時間ほど話したが、正午頃から降り始めた雨は勢いを増す一方で、これを書く午後11時半、台風並みの暴風雨で、窓ガラスが大きな音を立て、また強い雨音が聞こえる。午後5時頃は小雨で、スタンプを3個捺してくれる日でもあったので、風風の湯に家内と行った。露天風呂の桜は葉がかなり目立っているが、まだ花びらはついている、散った花は露天風呂の湯船の中、また水風呂やサウナ室の中にもたくさん浮かんでいる。それを手ですくおうとすると、5回に4回はするりと湯とともに逃げる。どうすれば手の甲や爪に花びらを載せることが出来るかと何度も試しながら、ようやくこつがつかめたと思った瞬間、またするりと逃げる。そんな遊びは緊張をほぐしてくれているのかどうか。桜の開花時期はごく短いので、筆者が露天風呂で花見が出来るのは、とても贅沢な時間だ。それで自治会の面白くない住民が来ていれば、挨拶くらいはせねばならず、やはり自治会からはほとんど誰もやって来ないことは、緊張せずに済み、せっかくの温泉に入るにはとてもいいことだ。4月に入ってからは、露天風呂の気温が高くなって、大浴場と露天風呂を隔てる大ガラスは湯気でほとんど曇らなくなった。そのため、筆者はそこに大きな円を描くことは出来ない。これから半年はそういう状態が続く。つまり、1年の半分は大浴場の大ガラスから露天風呂は湯気で曇らないので丸見えとなる。それは桜を愛でるにはよさそうだが、露天風呂の淵にこちら向きに座っている人顔を合わせることとなって、見知らぬ人とはいえ、多少は気まずい思いをする。さて、今日は風風の湯のスタンプ・カードの20個目を捺してもらった。つまり今日は無料で入った。また今日は今月では唯一のスタンプ3個デーであったが、筆者のスタンプ・カードは、5個目と15個目の半額、10個目の無料の枡目をなるべく使わずにいたので、本来なら1か月半ほど前に満印になっているはずのカードは、ようやく今日そうなった。そうなったと言うより、あえてそうした。というのは、手元に半額割引券が何枚かあり、それを使用してもよかったのだが、そうなれば今日はカードの20個目を捺してもらわず、青い付箋に3個のスタンプを捺してもらうことになった。写真からはわかりにくいが、付箋は2枚あって、1枚は10個のスタンプ、もう1枚は今日半額券を使えば5個となり、2枚合わせて15個で、次回訪れた時にまた半額券を使うと付箋のスタンプだけで次の新しいカードの5,10、15、20個目を除く全部を捺してもらうことになる。それはぎりぎり許されるが、今日の写真のカードの20個目を使わないまま、半額券や半額デーを利用すると、今日の20個を使った日には新しいカードが2枚となる。そのような使い方をした人はまだいないだろう。それで今日は20個目を使い、帰り際にもらった新しいカードには、付箋のスタンプの数として14個が捺してあった。そのため、その新しいカードは残りが6個で、満印になるまでに日数をあまり要さない。だが、また5,10、15目を使わずに付箋に捺してもらうかもしれず、「温泉の満印スタンプ・カード、その9」の投稿がいつになるかわからない。ちなみに、
「その7」は2月14日に投稿した。今日の2枚目は4月5日に家内と嵯峨に買物に行った帰りに撮った。桜の枝ぶりが今日の満印カードの桜と同じだが、カードにはよく見えている6号堰が撤去されて見えない。3枚目は2枚目とつながるが、6号堰の撤去工事の様子を示すために撮影した。