叡智を結集して淀川が今の姿としてある。大阪の中心部で氾濫すれば困るから、堤防を強固にし、大雨の時には速やかに大阪湾に流れ出てくれるようにいろいろと工事が必要だ。
最も大がかりであったのは明治になって外国人技師を招いて現在の姿にしたことだが、そのため若冲や蕪村が川を下った頃とは流域は多少変わり、毛馬にあった蕪村の生家が新しい淀川の流れの中に取り込まれて姿を消した。明治時代の蕪村の評価が低かったからではない。だが、ひょっとすればもっと重要な人物の生家があれば、それが水没するような設計はなされなかったかもしれない。淀川の手移動が決壊して住民が困る確率は、市中では数百年に一回という少なさになっていると思うが、一方では南海トラフの地震によって大阪湾の押し寄せる津波が淀川を遡上し、上町台地以外の大阪市内の大半を飲み込んでしまうというコンピュータ・グラフィックスの映像が作られてTVで何度も放映されていて、洪水以外の心配は消えない。さて、筆者は淀川の堤をほとんど歩いたことがなく、阪急電車の車窓から淀川を見ることがもっぱらだ。そのため
去年の秋の彼岸に蕪村の生家があった場所を見下ろせる淀川の堤防に行った時は、蕪村の生家近くにようやく来たという思いと、まともに淀川の土手を少しでも歩くという感慨があった。その1か月ほど前、これも長らく気になっていた上田秋成が近くに住んでいた香具波志神社に行ったが、それは淀川を北に越えた十三から東北2キロほどで、神崎川沿いにある。その付近は筆者は淀川流域以上に馴染みがない。おそらく今後もそうで、訪れることはないだろう。それはさておき、家内を一度連れて行こうと何年も前から思いつつ、その機会がなかった城北公園に今月の4日に訪れた。これは淀川左岸にあって、蕪村の生家より2キロほど遡ったところだ。そう言えば蕪村の生家があった場所を見下ろせる大きな石碑は土手の片隅に建てられているが、上流から自転車に乗ってやって来る人があった。その土手の道はとても見通しがよく、城北公園まで自転車で走れば気持ちがいいだろう。毛馬の閘門を越えて大阪湾まで自転車で走ることが出来そうで、隅田川のそのようになっているのかどうか、これは調べてみる価値がありそうだ。
城北公園は20年ほど前に行って数時間写生をした。その正確な日は調べればわかるが、このまま書く。市バスに乗って出かけ、帰りは公園の頭上にまたがっている菅原城北大橋の歩道を歩き、淀川を越えて東淀川区に入った。友人が阪急の淡路駅近くに事務所をかまえて仕事をしていて、そこまで2・5キロほどで、バスや電車に乗って行くよりも歩いた方が早いと考えた。写生したのは公園内にある菖蒲園の菖蒲の花だ。別の年だったと思うが、高槻の山奥にある菖蒲園にも写生に行った。この花は植物園にあっても規模は大きくない。また自宅で育てるには特殊で、水を張る大きな鉢が必要だ。そのため、民家の庭先に咲いているのをめったに見かけない。だが、わが家から1キロほど南、松尾橋近く畑の道路際には数十坪ほどに菖蒲が毎年咲く。品種も多く、20近いのではないだろうか。畑の落ち主は換金するのが目的ではなく、趣味で植えているようだが、最も立派に咲いたのは3年前か一昨年で、去年はかなり花が少なかった。もう手入れをしておらず、一昨年の花がそのまま今年も小さく、少なく咲いたという感じだ。今年はなおさらで、その様子がさびしく、また哀れで、一緒に梅津のスーパーに買物に行く途中でも家内は気づかない。それで筆者は城北公園の菖蒲園を見せてやろうと思った。写生するのではなく、花だけを見に行く。一昨年も去年も誘ったが、花の時期は短く、また予定した日が雨になるなど、つごうがつかなかった。それに家内は行ったことのない城北公園に関心を示さなかった。もう少しその菖蒲畑について書いておくと、なぜ菖蒲がみすぼらしくなったかだが、それが植えられていた場所から20メートル先の畑が去年の5月に土が運び込まれ、宅地となった。そしてアパートが1棟建った。土地の持ち主はしんどい畑仕事をするよりアパート経営の方が楽だと考えたのだ。松尾駅から徒歩7,8分なので、すぐに人は入ったようで、窓に洗濯物がぶら下がるようになった。そのアパート建設のための土地は畑全体の数分の1で、畑仕事はそれなりに続けられているように見えるが、菖蒲、また秋のコスモスももはや手入れがされず、放置状態のようだ。アパート1棟は仕方がないかと思っていると、1年後にそのアパートの南方に同じデザインでもう1棟建設が始まり、目下工事中だ。こうなると、いずれ畑全部に家が建つかもしれない。きっとそうだろう。その畑はわが自治連合会区域では最も大きかったが、同じほどの規模のものは山沿いに少し残るだけだ。梅津に行くときは必ずその畑の際を歩き、筆者はとても気に入っていたが、去年からがらりと事情が変わった。そして菖蒲もほとんど姿を消した。この調子では来年は全く咲かないだろう。菖蒲の育て方は知らないが、放置したままでまた来年も同じように咲くものではないだろう。そうそう、梅津の梅宮大社の庭にも菖蒲は咲くが、あまり規模は大きくない。
梅雨時に咲く花はアジサイが一番有名だが、それはわが家にある。これは放置しても毎年勢いよく花をたくさん咲かせる。そのため、あまりありがたみがない。菖蒲や杜若は刀のような尖った葉が潔く、その緑色に花の紫がとても似合う。それに光琳に有名な屏風があり、昔から日本ではアジサイ以上に好まれて来たことがわかる。それは姿がよいこともあるが、育て方がアジサイより手間がかかるからだろう。手間のかかるものはあまり育てられないから、珍しくなる。そうなると、それを専門に育てようとする人が出て来る。そのため、各地に菖蒲園があり、また有料で見せる。家内に城北公園の菖蒲園に行こうと言うと、交通費や入園料がかかることに文句を言う。だが、わずかな機会を逃せば、また来年となる。来年はどうなるかわからないので、思いが強い間に腰を上げるのがよい。家内を誘ってどこかに行くのは必ず筆者が言い始める。家内はひとりで行って来いということが多いが、無理やり連れ出すと、たいていはいい経験であったと満足する。5月中旬に東京に行った時もそうで、その流れの延長もあって、筆者は20年か前にひとりで訪れた菖蒲園を見せたいと考えた。また、それだけの用事では出かけるのがもったいないので、ほかに立ち寄る計画も立てた。そして計画どおりにすべて事が運び、菖蒲園で撮って来た写真を今日から3回に分けて投稿する。菖蒲の写真を10数枚別に撮ったが、それも載せると5、6回の投稿となって、それほどには書くことがない。菖蒲園の説明は明日からするとして、今日は菖蒲園内の写真を4枚掲げておく。天気がよく、たくさんの人が来ていたが、20年前に筆者が写生に訪れた時はもっと少なかった。たまたまであろうし、また筆者はほかの人が花を観賞するのになるべく邪魔にならないように心がけた。写生は迷惑行為として禁止するところが近年は増えているようで、平等院の有名な藤も今は写生禁止となっている。写生せずに、写真を撮り、それを見て描けばいいとの考えだろう。迷惑行為は確かにまずいが、時間や場所を考え、ほかの人の迷惑にならなければいいと思うのだが、どこかの写生教室の連中が集団で押し寄せる場合もあるということだろう。