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●浅草にて、その5
話目となると、もう書くことがないような気がするが、写真はまだあるので今日と明日は浅草について書く。東京駅から浅草まではまず山手線で神田に出て、そこから東京メトロ銀座線に乗って終点まで行った。



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バスを使う手もあるが、筆者は東京のバスには乗ったことがない。景色が見えるのでバスもいいが、路線がわからない。東京の地下鉄網は大阪の10倍くらいはあろうかという距離とまた複雑さだが、もっぱら利用する線は限られるので、地下鉄と山手線を使えばだいたいどこへでも到達可能な気がしている。また東京には私鉄も多く、それらを使わねば行けない場所もあるが、筆者はほとんど利用したことがない。タクシーを使うと最も手っ取り早いが、運賃が心配だ。家内と初めて東京を歩いた時、夕方4時半頃か、ブリジストン美術館を訪れた。家内は帰りの新幹線の切符は前もって買っていたので、それに間に合うように東京駅に戻る必要があったが、方向や距離がわからない。それでタクシーをつかまえて東京駅と言うと、「お客さん、大阪の人だね」と言われ、また「東京駅はすぐそこだよ」とも教えてもらった。だが、そのまま走ってもらった。本当に乗ってすぐに降りた感じだが、新幹線には間に合った。家内を見送って筆者は友人宅に行ったが、家内はひとりで東京に来て、慌しく都内を周り、そしてまたひとりで帰って行くことを電車の中でどう思ったであろう。それはそうと、ブリジストン美術館のことを思い出し、今回は夕暮れに東京駅に出た時、同館まで歩いて往復した。話を浅草に戻すと、地下鉄の浅草駅は壁面の飾りにレトロ感があった。地上に出るまで雷門の位置はわからなかったが、どうにか迷わずに雷門が面する大通りに出て、門の正面まで着いたのは、観光客が同じ方角を目指していたからだ。それに筆者は昔ひとりで同駅に降りたこともある。その時は雷門には向かわず、隅田川に近い、とある中古レコード屋に行ったが、その店はもうないだろう。強い西日が差し込む中、アナログのシングル盤を調べた。何も買わなかったが、埃っぽい古ぼけた店で、その周辺の店に馴染んだたたずまいがあった。今回、東京に行く前に地図を何枚か印刷し、浅草から上野へは西に1キロほどであることを知った。これなら歩いてもいいかと思ったが、当日は雨で、なるべく徒歩は控えなければならなかった。それに、浅草から上野の間はあまり見るべきものがなさそうな感じだ。それなら歩くのはほかの場所にしようと考え、実際にそうした。浅草橋駅は雷門から南西に1キロ少々で、これも散歩に足りないほどの距離だが、今回は浅草橋駅には行かなかった。
●浅草にて、その5_d0053294_02063820.jpg 浅草がTVで紹介される時は必ず雷門とその奥の仲見世の通りが選ばれる。そこを通った突き当たりに寺があるので、商店が集まるその参道を歩くことは避けられないが、東側にも商店が並ぶ道があることを今回知った。そこも多少縦横に歩いたが、大阪で言えば千日前の法善寺界隈、京都ならば新京極の錦天満宮辺りといった雰囲気で、すぐに親しみが湧く。銀座は洒落た店ばかりが並ぶのだろうが、筆者はそういうところはあまり好きではない。家内は銀座を歩きたいと行ったが、その時間もまた気持ちもなく、長年心残りであった浅草と、そして第一の目的である若冲展だけをこなせばそれで充分であった。その若冲展が京都や大阪に巡回する予定があれば、筆者は東京には行かなかった。どうしても見ておかねばならないと思ったので、重い腰を上げた格好だが、本心を言えば若冲展はひどい混み具合が確実で、展覧会に訪れたという自覚だけでよかった。それで、こうして書いていると、展覧会の記憶より、雨の中をあちこちうろついたことの方が鮮明だ。そして、今回の東京行きで、東京都内の各地がどのように存在しているのか、だいたいの方向が把握出来た。まだ行ったことのない場所は多いが、あそことあそこの間、あるはあそこをどの方向にどのくらいといった地図的な感覚が以前に増してわかるようになった。それでもっと東京のことを知りたいかと言えば、その気はない。何か行かねばならないことがあれば行くだけで、暇と金が出来たので東京にでも行くかという気にはなれない。また、筆者は展覧会を訪れるのが10代からの趣味であるので、東京でしか開催されず、しかもぜひ見たいものがあれば、行く可能性は高いが、そういう展覧会はめったにない。一方、東京の人は大阪には無関心でも京都についてはそうではないだろう。京都にしかない眺めや空気はあって、さすが歴史の重みが違うとばかりに、京都への憧れが強いと想像する。それで京都に住む筆者は東京に憧れなくても充分満足しているところがあるが、それは京都にしかないものを誇るためではない。家内もそうだが、住むのは京都でなければならないという思いはない。だが、今の家を処分してどこか別のところというのはかなり面倒で、そのまま住んでいるに過ぎないところがある。そのようなことを昔、屏風の表具をよく頼んでいた嵯峨の表装屋に話すと、その人は今さら転居してまた新たな近隣のつきあいをするのはごめんで、今の住居がいいと言った。それもそうかと思うが、筆者も家内も大阪から梅津に住み、そして嵐山に引っ越して来たよそ者で、京都に40年近く住んでいても何となく居心地の悪さを感じている。そのように思わせるところが、京都の古い家が残る地域にはある。筆者が浅草のレトロ感が楽しいと思うのは、すぐにそこに溶け込めるような気がするからだが、実際はそれは大いなる錯覚で、浅草もよそ者を一種疎外する風潮がなきにもあらずだ。
●浅草にて、その5_d0053294_02071504.jpg
 さて、また雷門の前に戻った後、吾妻橋まで行き、そこからスカイツリーに向かう駅のある縦に細長い建物に入り、店内を一周した後、また浅草寺に向かい、商店街を少し歩いた後、境内の東北にある浅草神社に行った。あちこちうろうろしたので記憶が多少曖昧だが、ひょっとすれば宝蔵門からすぐにその神社に行ったかもしれない。浅草神社の写真は「神社の造形」にいつか使うが、このブログのことを考えて、浅草神社付近の別の神社に足を伸ばす計画を立てていた。それでさらに北上し、左手に浅草警察署が見える通りを横切ってすぐの浅草浅間神社まで行って、また浅草神社に戻った。ほかにも神社があることを調べて知っていたが、傘を差してあまり遠くまで歩くのはしんどい。家内はかなり遅れて着いて来る。それで浅草警察署辺りで引き返したが、その道を夜に歩いてみたいと思ったことは先日書いた。浅草神社から北に歩を進めてすぐ、ある民家の庭先に今日の4枚目のウルトラマンの小さな石像を見た。こういうものが売られていることは京都の墓石屋の店頭からもわかるが、実際に置かれているのを見ることは珍しい。普通なら石灯籠だが、今では何でもありだ。それはともかく、浅草寺の境内から北に歩いたのは初めてで、往復1キロほどのわずかな距離ではあったが、初めて歩く道は長く感じるもので、それだけ注意深く各建物を確認しながら歩く。雨天、しかも夜に開く店が並ぶので、筆者らが往復した間、ほとんど人に出会わなかった。それがまた夢のような感覚を誘った。夜に開くそうした店は筆者にはほとんど無縁だが、灯りに混じってどういう声や音が聞こえて来るのか、それを味わいたい。浅草浅間神社からの帰りは途中で道を変え、浅草寺境内北の病院の北側にある大きな通りに来た時、左手角に老舗らしき和菓子屋があった。また右手には大衆演劇場があって、江戸情緒が感じられた。緩やかに右手に曲がっている大通りのすぐ向こうが隅田川であることはわかったが、そこには吾妻橋よりひとつ北の橋が架かっている。その橋は見ていないが、何となく方向感覚がわかるのは楽しい。
●浅草にて、その5_d0053294_02081305.jpg

by uuuzen | 2016-06-13 23:59 | ●新・嵐山だより
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