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●浅草にて、その1
で感じる東京となれば、実際に行くしかないが、筆者はこれまで何度も東京に行きながら、これが東京だという気があまりしたことがない。都会は大阪や京都でもどこでも同じと思っているからだ。



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確かに東京は大きいが、そのことによって却って東京のこれだといった印象が希薄になっている。また、筆者は訪れていない東京の地域の方が圧倒的に多く、さらに東京のイメージを把握しかねている。それは今後も変わらないと思う。それはさておき、生誕300年記念の若冲展が東京都立美術館で開催されるとあって、期間中に出かけようと思っていた。それで5月17日に家内と同展を見たが、ほかにも気になっていた場所を訪れ、たくさん写真を撮って来た。それらを順に今日から紹介する。5か月ぶりの東京で、神社も訪れたが、その写真についてはいずれ「神社の造形」のカテゴリーに投稿する。今回東京でまず訪れたかったのは、長年気になっていた浅草だ。筆者は昔訪れたことがあるが、家内は初めてだ。しかも苦い思い出がある。大昔のことになるが、モナリザ展を見るために筆者は東京に行った。家内は翌日やって来て、東京駅で待ち合わせをした。その頃は交際中で、まだ家内ではなかったので、筆者の友人は家内と待ち合わせすることを冷やかしたが、それは筆者の東京を訪れる目的がモナリザを見るためだけではなく、家内とデートすることも含まれていると思ったからだ。その頃友人はもう結婚していたので、筆者を冷やかす必要はなかったはずだが、皮肉のひとつでも言いたかったのだろう。それはさておき、家内は日帰りであったので、東京での滞在は数時間しかない。それでモナリザを見た後はどこへ行こうかということになり、浅草にと決まった。筆者がそうしたのか、家内がリクエストしたのか忘れたが、筆者はその頃、東京が初めてではなかったと思うが、浅草には行ったことがなく、どのようにして行けばいいのかわからなかった。それで山手線に乗って浅草橋という駅で降り立ったが、そこからどう行くのかがわからない。誰かに訊けばいいようなものの、訊いていいような人が見つからず、また訊いてもよくわからなかったと思う。地図を持っておらず、簡単に行けるかと思ったのが間違いであった。それで浅草橋の駅からどこをどう歩いたのか忘れたが、大阪の環状線の高架沿いと全く同じ眺めの殺風景な道をしばし歩いた。しかも暑い頃であった。
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 結局浅草にはたどり着けず、どこかの大きな交差点の角のビルの2階の喫茶店に入って休憩したが、家内はとても腹を立てていた。せっかく新幹線代を使って初めて訪れた東京であるのに、モナリザを見たには20秒ほどで、しかもその後は暑い中をうろうろと歩かされ、肝心の浅草はどこにあるかわからない。その後、家内は筆者を振ってもよかったはずなのに、どういうわけか一緒になって今も暮らしている。時々筆者は浅草橋の駅を降りて歩いた道を思い出す。まだそのままあると思うが、一度その道をまた歩き、そこからどのように行けば本当の浅草に行けるのかを確認したい。そう思いながら、今回もそんなことはしなかった。時間が限られていることと、浅草橋には何も見るべきものがなかったという思いがあるからだ。今なら若者はスマホを持ち、道に迷うことはほとんどないはずだが、70年代の昔は地図もそんなに多くなく、またそれを広げて歩くという無粋をするほど筆者はまだ老いていなかった。そうそう、東京が東京らしいと思うのは、道が大阪や京都のように碁盤の目のように縦横が整然としていないことだ。これは大阪京都に慣れた者からすればかなり面食らう。ヨーロッパの町と似ていると言えばいいが、道が斜めに交わっていると、距離感と方向感覚がうまく働かない。そうでなくても筆者は方向音痴なので、東京ではますます道がわからない。浅草橋で降りて途方に暮れたのはそういう理由による。家内と一緒でなければ何が何でも自力で浅草にたどり着こうとしたが、帰りの新幹線の時間が決まっているからには無駄に時間を費やすことは出来ない。その焦りもなおさら道がわからなくなった理由であった。ともかく、そのような記憶が浅草にはあり、家内と一緒に東京を歩く時は、今度こそ浅草にすんなり行くことを思った。そしてヤフーで地図を印刷し、それを持参したが、もちろん浅草橋では降りずに浅草という駅を目指した。
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 浅草橋も浅草のうちと思うが、浅草寺のある、つまり東京見物に誰しも訪れる浅草は、山手線の駅で降りると、そこからかなり歩く必要がある。筆者は歩くのが好きで、それも旅の醍醐味と思っているが、家内は歩くのは疲れるので効率よく回りたいと思っている。これはほとんどの人がそうだろう。だが、後々記憶に残るのは、歩いて見かけた何気ない場所の雰囲気だ。筆者はモナリザよりも浅草橋で降りて高架沿いの道を歩いた時のことをよく覚えているほどで、それが癪に障るということもない。どんな経験でも後になればそれなりに面白いものだ。大阪の環状線沿いと同じ眺めが東京にあることは、東京を特別視することにならず、むしろ親近感が湧くことでもある。それがいいのであって、名所だけ効率よく周っても、ほとんど記憶は残らない。何気ないところを歩くためにわざわざ時間と金を使うのはアホらしいと思う人は、いつもは面白くない時を過ごしているのだろう。それはともかく、有名な浅草を家内に一度は見せておかねばならないと長年思い続けて来て、今回はその望みがかなったが、家内にすれば「何だ、こんなものか」という様子で、TVで見たのと同じでさして楽しくもなかったようだ。それはあたりまえのことで、名所というのはだいたいどこでもそうだ。それに当日は大変な雨で、午後に若冲展を見る時も傘を差して長蛇の列に並んだ。ひどい天候に見舞われ、さんざんな1日であったと言っていいかもしれないが、傘を差してあちこち歩くのはそれはそれで楽しかった。筆者は見知らぬところを歩くのが好きなのだ。それは名所でなくても全くかまわない。人間が生活する場所ならどこでもいい。そのため、人のいない山歩きや、人の少ない田舎には興味がほとんどない。家内も町育ちなので、筆者とその点は同じようだ。それで、今回の東京行きは家内は行きたいとは言わなかったが、筆者は浅草について前述の苦い思い出があるので、それを晴らすためにも家内を連れて行く必要があった。とはいえ、また新たな気がかりが出来るというのが人生で、次回家内と東京に行けば訪れたい場所が出来た。それについては後日書くとして、明日から浅草の思い出を綴る。写真が多いので、書くことを多く絞り出す必要があるが、さてどうなるか。今日の4枚の写真はもちろん雨の浅草寺だ。寺の堂内に入って外を見ると、土砂降りになっていた。それでもさすが観光客は多い。外国人が目立つが、彼らは浅草をどう思っているのだろう。
●浅草にて、その1_d0053294_00340690.jpg

by uuuzen | 2016-06-09 23:59 | ●新・嵐山だより
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