回るというのにふさわしい今日の午後の岡崎行きで、時計の針とは反対周りに四条河原町から祇園、岡崎、そして三条通りに出てまた四条河原町から電車に乗って帰宅した。歩いたのは5キロほどで、散歩にはちょうどよい。
雨が降るかと思って家内ともども傘を持ったが、帰りの電車の中で雨は降り始めた。そのため、傘を差したのは阪急嵐山駅から自宅までの間だが、傘を持って行ったことは無駄ではなかった。出かけたのは美術館と円山公園の桜を見に行くためで、今日は早速その桜の写真を載せるが、昨日とは違って造花の桜は目に入らなかった。ところで、京都市内のあちこちを見て回るには自転車が便利かもしれないが、きつい坂があることを覚悟しておく必要がある。それで思い出すのは、去年10月下旬から11月上旬にかけて京都市立芸大の図書館に自転車で二度訪れたことだ。きつい上り坂があることを知っているので、そうとうな覚悟を要した。あの坂さえなければもっと身近な存在になるのだが、阪急の桂駅から出ているバスは、市バスではなく、確か片道500円ほどはするだろう。しかも桂駅まで出るのにまたお金がかかるから、芸大図書館でちょっとした調べものをするのに時間も金もかかる。自転車ならば要する時間は同じくらいかもっと短くて済む。芸大の学生はどのように通学しているのかと思うが、近所に住むのでもない限り、自転車で通う者は皆無だろう。不便なところにある芸大は、京都駅から東へすぐの地域に移転が決まり、そのことに学生は大いに歓迎と思うが、筆者もその図書館に行きやすくなる。さて、岡崎の美術館に行くのは明日か明後日でもよかったが、明日は風風の湯に行くし、土曜日は桜が散りかけているかもしれない。それで阪急に乗って出かけた。円山公園の桜を見て青蓮院前に来た時、前方から、つまり平安神宮の大鳥居を背にして西洋人の男女が自転車を前後に連ねて坂を上って来た。かなり急な坂なので、知恩院前までそのまま漕いで行けるのかなと思って、通り過ぎたのを振り返って見つめていると、案の定、青蓮院の大きな楠の前でふたりは自転車から降りて押し始めた。京都市内は自転車で回るのにちょうどよい大きさだが、金閣寺や銀閣寺のある北から南にかけてはかなりの下り坂で、南北に走る場合は注意を要する。それに四条河原町は自転車で走ることを許されないので、どこをどう走り、またどこに自転車を停めるかを知っている必要もある。嵐山や嵯峨はレンタル自転車がよく走っているが、祇園や岡崎ではほとんど見かけないのは、停める場所に困るからだろう。それは車が多いことを意味もしていて、京都は自転車に優しい町とは言えない。車中心の点で、日本の他の都市と変わらない。
岡崎には四条河原町や三条河原町から循環する小型の100円バスが走るようになり、今日もそれを何台も見かけた。あまり人気がないようで、どのバスも客は少ない。宣伝が行き届いていないためかもしれないが、岡崎までなら歩いた方が早いと思っている人が多いからではないか。また、そのバスは窓からの眺めがとても悪く、観光客向きではないと家内は言うが、西洋によくある路面電車にするにはそのルートをどうするか、またそのための道幅が確保出来るかの問題がある。三条京阪から蹴上までは昔は路面電車が走っていた。それを部分的に復活するのもひとつの手とは思うが、三条神宮道で降りてそこから北に美術館まで歩くのであれば、最初から電車に乗らずに歩いた方が金も使わず、要する時間も大差ない。それに三条通りの下には地下鉄が走っているので、路面電車の復活は無駄だと一蹴されるだろう。3、4か月前か、三条京阪駅はがらりと様子が変わり、地上にあった飲食店はすべてなくなり、とても広い駐車場になった。それに隣接する東にあった旅館も取り壊され、さらに広大な空き地となっているが、これからどのように再開発が進むのだろうか。三条京阪の東は同和地域で、観光客はほとんど歩かない殺風景な場所だが、それに隣接する地域が再開発によってどう変わるのかは興味深い。京都市芸大が移転する地域場所も同和地域で、京都市はなるべく同和地域をまとめて面積を小さくしたいのかもしれない。だが、大阪阿倍野の再開発と同じで、ぴかぴかの建物ばかりが建つ地域は歴史を隠すというか、拒否しているようで、筆者のような古い人間には何となく馴染めない。先日家内は風風の湯のサウナ室で福岡から遊びに来た70歳くらいの女性と親しく話したとのことで、京都が大好きな彼女は世界中を探してもこんなに素晴らしい町はないと絶賛していたそうだ。そういう面はあるが、京都市内の隅から隅までを見ての意見ではないし、また京都に住めばそれなりの醜さにも触れる。家や町のたたずまいではなく、住民の心だ。差別意識がことのほか強く、そういう人がきれいな家に住んでいる。ま、それも京都に限らずどこでも一緒だろう。ある人の醜い部分が気になって、その人の全体を否定したくなることはよくあるが、どこからどこまでも純粋であるような人はまた却ってつきあいにくいかもしれない。それで、醜い部分にはなるべく目をつぶり、それ以外の部分と合わせて交際するというのがたいていの大人だろう。
四条河原町から祇園に向けて歩いていく途中、川端通りの信号待ちで、筆者らの目の前に粋にキモノを着こなした若い女性と腕を組んで歩いている60代後半の男性を見かけた。女性のあまりに色っぽさはどう見ても水商売そのもので、どこかのクラブのホステスで、客と一緒に夕方に店に通勤するのだろう。女性の後ろ姿しか見られなかったのが、ふとした拍子に筆者が彼女の前方を歩き、振り返ることがあった。とてもきれいな女性で、家内はまだ20代前半と言ったが、そうだろう。その頃の女性は美しいものだが、美人ならばなおさらで、また桜が満開になっている日はさらにそうだと言える。男性は昔は肉体労働をしていたようながっちりとした体格で、商売に成功して今はホステスを連れて歩くことも出来るようになったという感じで、なかなか好感が持てた。筆者がその男性と同じように金持ちであったとして、そのホステスと一緒に歩くだろうか。そのように自問してその姿を想像してみたが、その途端、その映像がとても滑稽に見えた。筆者にはそういう美しい、また背の高いホステスは似合わない。まず何を話していいかわからない。彼女を退屈させないように堂々と歩くことは難しいだろう。どんな男にも出来ることではない。それで世の中はうまい具合になっていて、そういう女性を引き連れて歩いて様になる男に潤沢な金が回る。彼女とその男性は八坂神社から100メートルほど手前のお土産店のようなところに立ち寄ったので、筆者はもう彼女のことを意識から消して円山公園に向かったが、向こうからやって来るのはインド人かパキスタン人らしき人がとても多く、みな満開になった桜や大勢の人、また並ぶ露店の雰囲気を楽しんでいるようで、曇天であることを覗けば、絶好の花見日和だ。筆者はこのブログの「神社の造形」に八坂神社内の稲荷社のみの写真を以前に投稿したことを思い出し、今日は残りの社、鳥居の写真を撮った。ある場所でキモノを着た若い女性が地面に尻を下ろしていて、しかも両足を広げていたのでびっくりしたが、そばにいた中年男性が中国人のようで、若い彼女はその娘であった。キモノを着て両足広げて中が丸見えというのは、キモノを着る資格がないに等しいが、そのような格好でなければしゃがみにくいのかもしれない。その後、筆者らは円山公園に入って例の大きな枝垂桜を見、その写真を撮った。ここ数年、枝振りがかなり縮小したが、まだどうにか見られる姿を保っている。今日の最初の写真の左下につながるのが2枚目で、人の波と露店だらけだ。撮影した筆者の背後にあるのが3枚目の芽柳で、光の具合で鮮やかな黄緑色が写っていない。3枚目を撮った後、左手からシンセサイザーの音楽が聞こえた。枝垂桜の前で演奏しているのだが、何年か前に演奏していた外国人以来で、本当はそこで演奏すると警官がすっ飛んで来るのだろう。ひとりを許せばほかにも路上ミュージシャンが集まって来るとの考えだ。だが、せっかくの花見にBGMとしてそうしたムード音楽が鳴っているのはなかなかよい。近寄ってみると、尺八を吹いている。伴奏のシンセサイザーの音の方が大きく、また尺八はところどころ音がずれている気がした。侍のような格好で、家内は外国人だと言うが、近寄って見ると、そうではないことがわかったと言った。尺八を腰に差し、武士のようないでたちで外国人は喜ぶだろう。その後知恩院前から青蓮院前を歩き、最初に書いたように急な上り坂を自転車でやって来る西洋人を見かけたが、すれ違うのは外国人の方が多かった。