爆発するように一斉に花が咲く季節となった。今日は久しぶりに家内と梅津のスーパーに行った。自転車は1台が2か月ほど前にパンクしたままで、まだ修理していない。家の外での作業が寒いからだ。
自転車1台では家内がそれに乗り、筆者は徒歩でということになる。そのようにして買物に行くこともあるが、通勤をやめた家内は歩くことがほとんどなくなり、運動不足になっている。それで自転車はあってもなるべく乗らないようにして歩く。先週は雨の中を筆者はひとりで西京図書館まで調べもので往復したが、傘を差しての片手運転ではかなり危ない道なので、歩いた。傘があってもずぶ濡れ同然となったほどの雨であったが、寒くはなかった。それほどの春になったのだが、今年は彼岸が過ぎても寒さが続き、真冬並みの布団で寝ている。寒さのために桜はほとんど蕾のままだが、10日ほど前か、市バスに乗って母の家に向かう途中、梅津段町の手前の天神川のほとりの桜が満開になっていた。早咲きの品種なのだろうが、母の家の近くの鴨川やそのほかの場所ではまだ全く開花していなかった。だが、今日はかなりの陽気で、わが家の近所の桜も3分咲きくらいにはなった。これで気温が上がると一気に満開になるだろう。さて、買物は嵯峨か梅津のどちらにしようかということになり、観光客でごった返しているはずの嵯峨を避けて梅津にした。松尾橋から上流を向いて写真を撮るためにカメラを持って出かけ、思いのとおりに撮影した後、松尾橋北端を過ぎてすぐの市バスの松尾橋停留所に来た時、道路際の白いスミレが目に入った。早速撮ったのが今日の最初の写真だ。最も手前に白い小さな花が見えるが、その奥に連なっているのは大半が雑草だ。 毎年筆者はこの白スミレの開花を楽しみにし、重文級の価値があると以前に書いたことがある。春になってたくさん花が咲くようにと、雑草が最も多くなる春から夏にかけて、梅津に買物に行く時には、気が向けばその雑草を引き抜くことをして来た。家内は犬の小便がかかっているはずで、素手でそんなことをするなとうるさいが、雑草が目立つより、可憐な白い花をたくさん見る方が気分がいい。だが、雑草は抜いても抜いてもまた生えて来る。筆者の姿を誰かが見たのか、半年ほど前、スミレも何もかも、きれいに緑が刈り取られていた。市の清掃局の人がやったのかもしれない。彼らにすればスミレの葉も雑草で、コンクリートであるべき箇所に緑が覗いていると、それは除く対象になる。あるいは市の清掃局員ではなく、筆者のように雑草が気になる人がやったのかもしれない。というのは、半年以上前だが、しゃがんで雑草を抜いていると。背後から中年女性が「ごくろうさま」と声をかけた。その人は筆者がスミレの葉を残してその他の雑草を抜いていることが気づいたであろうか。その時の雰囲気、筆者の直感ではそれはなく、緑を全部抜いていると思ったはずだ。ともかく、せっかく筆者が残して来たスミレは、すっかり姿を消し、もうこれでは来年は花を咲かせないだろうと思った。スミレはもちろん晩秋から冬にかけては葉をなくすが、自然にそうなるのとは違い、雑草と一緒にきれいに一斉に刈り取られた場合は、スミレが撒いたはずの種子もその場から消え去ったはずで、次の開花は困難だろう。ところが、今日はわずかにそれが咲いていた。以前の20分の1か30分の1程度の少なさだが、過酷な人為をくぐり抜けて生き延びたのだ。これが来年は倍、再来年はまた倍に増えれば、以前のように重文級の貫禄を見せるだろう。だがそれにはまた雑草を抜いておかねばならない。それで家内がスーパーに向かったのをかまわず、雑草を順に抜いて行った。その字間は5分ほどだが、鋏がないと抜けない雑草があるのは以前と同じで、手は土まみれになった。まとめた雑草はバス乗り場の待合室の裏手にまとめて捨て置いたが、そこは以前同じように白スミレが咲いていたのに、今は全く見かけない。やはり清掃局員が徹底して雑草を刈り取ったのだろう。家内の後を追ってムーギョに向かうと、その手前50メートルほどの道路際に、ぽつんと1か所のみ、白スミレが咲いているのを見つけた。初めて見るもので、松尾橋バス停の白スミレの種子が風で飛んで来たのだろう。白スミレは大量虐殺に出会い、これでは絶滅すると思って、子孫を同じような条件の別の場所に残そうと思ったに違いない。植物はそのように、ある場所で生きられなくなると、もうその頃には付近のほかの場所で育ち始めている。逞しいのだ。筆者はわが家の近くの小川沿いに咲いていた紫色のスミレの種子を大事に持って帰り、植木鉢に撒いたことがあるが、発芽しなかった。野の花で、人間が育てるのは難しいのだろう。派手なパンジーとは違うのだ。奥ゆかしい小さなスミレは、過酷な条件の意外な場所で開花しているのを見つけることが楽しい。買物を済ませた帰り、家内と一緒にわが家から200メートルほどのところに来た時、家内は小川沿いに紫色のスミレを見つけた。それがスミレとは知らなかったようで、「これ、スミレ?」と訊くので、そうだと返事したが、スミレもいろいろで、ただの「スミレ」と名づけられる種はない。そのことを家内に説明しようかと思ったが、面倒なのでやめた。その代わりに言ったことは、前述のそのスミレの種子を持ち帰って植木鉢に撒いたが発芽しなかった経験だ。ま、筆者がそのスミレを別の場所で育てなくても、逞しいので姿をすっかり消してしまうことはないだろう。