生の英語と言えば今では耳にする機会が多いが、筆者が中学校で始めて英語を学んだ頃は、アメリカ人が義務教育の学校で教えることはまだ例がなかったはずで、先生のいささか怪しい発音に触れるしかなかった。
当時はまだカセットテープがなく、またネイティヴのアメリカンが会話を録音したソノシートもほとんど売られていなかったのではあるまいか。それが今では電車やバスの中での放送に流暢な英語が流れる。そう言えば筆者はビートルズを中学生になってすぐに聴いていたので、録音ではあるが、生の英語に普段接していたことになるが、そのビートルズの英語がリヴァプール訛りがあると聞いて、それがどういうところを指しているのかよくわからず、それほどに生の英語を耳にする機会が少なかった。英語が氾濫する現在ではほとんどの子どもが英語を話せても不思議でないと思うが、案外そうでもなく、TVでも英語の塾や個人で学ぶ商品の宣伝が途切れることがない。小学生の女の子がはしゃぎながら英語で「わたしは将来通訳になる」と言うコマーシャルもあるが、通訳がそんなに格好いい職業かと思う。江戸時代でオランダ語の通訳はいたが、彼らの地位は高くはなかった。外国語を話すだけのことで、知識や知恵に欠けると思われたのだが、その考えは今でもある。それに、通訳はいずれ通訳ロボットが代わりをする世の中になるはずで、外国語を話す才能より、豊かな人間性の方が大切だ。それはさておき、筆者が中学校で最初に学んだ英語は、「I Have A Pen.」であったと思う。これは英語の代名詞のようなもので、また英語は全く駄目だが、この文言だけはわかるという笑い話によく使われた。それがわかるのは筆者の世代と思うが、去年後半期に大ヒットしたピコ太郎の1分間ほどの短い曲の歌詞がこの文言を中心に組み立てられていることに筆者は感心した。それはピコ太郎の世代にまでこの文言が及んでいると思ったからで、言い替えればピコ太郎も筆者と同じような英語の教育を学校で受けたであろうと思ったからだ。もっと言えば、ピコ太郎も流暢な英語を話す能力を身につけなかったということだが、その一種のコンプレックスが、「I Have A Pen.」という歌詞を織り込んだところにあるように思えた。だが、そのように思うのはピコ太郎から上の世代であろう。今でも日本では最初の英語として「I Have A Pen.」を教えているのかどうか知らないが、義務教育の英語の教科書にもいろいろあって、筆者の世代でもジャック・アンド・ベティが登場する話を最初に学んだ場合もある。そして、ジャックが1本のバットと2個のボールを持ち、ベティがミットを持つという英語の文言を最初に学んだと何かで読んだことがあるが、男子がバットとボールで女子がミットとは、その話を書いたアメリカ人か日本人かは、セックスを匂わせる文言を通じて英語をより印象深くしようと企んだのかもしれない。だがそれを言えば、「I Have A Pen.」もかなり性的な感じはある。PENはPENISに通じるからで、そこにピコ太郎は着目したのかどうか、縦に切れば女性の性器を思わせる芯が見えるリンゴをもう片方の手に持ち、ペンをそれに突き刺す素振りを見せる。その凹凸の衝突をテーマにした短い歌が全世界で話題になったのは、ジャスティン・ビーバーの目に留まって紹介され、またネット時代ならではのことだが、日本において「I Have A Pen.」という文言に込められている英語教育の歴史を知るのは前述のようにピコ太郎以上の日本の世代で、外国ではおそらくわからない。
1年になるのかどうか、向日市のとある店まで自転車でよく行く。週1回程度と頻繁な時期もあれば、1か月ほどは開く場合もある。半年ほど前か、その店の玄関を入った受付カウンターの片隅に、面白いものを見つけた。それをほしいと思ってネットで調べたが、見当たらない。高価なものではなく、おもちゃの類だが、そのかわいさに感心した。その店で筆者は顔馴染みになり、2,3人は顔を覚えた。10数人はいるが、半分以上はアルバイトだ。それはいいとして、たいていその店にいる若い男性がいつも応対してくれるが、今日は思い切ってカウンターの片隅に置いてある目当てのおもちゃのことを訊ねた。前からほしいと思っているのでどうにかならないかと言うと、持って帰ってもよいとの返事だ。そのおもちゃの周囲にはいつの間にか似たようないわゆるガラクタの小さな置物が増えていて、1個くらいなくなっても店の誰も気づかないだろう。ともかく、図々しくほしいと言ったおかげで、すんなりともらえて筆者は小躍りした。それほどにほしかったのだが、今日はその写真を載せる。まず、それは何かと言えば、ペンだ。そして「I Have A Pen.」を示す写真を撮った。正確に言えばボール・ペンで、ボールを持ったペンとはいかにも男性的でよい。2枚目の写真はサボテンだ。筆者はよく似た形のサボテンを7,8年育てている。毎週水をやる程度で、少しも大きくならないようだが、そのサボテンにとってはわずかな土と水では生きているのが精一杯で、成長など夢物語かもしれない。枯れずにいてくれるのが頼もしいが、かわいさあまってサボテンを撫で撫ですることはない。とげとげの針が全身を覆っていて、触られることを拒否している。そのせいかどうか、2枚目の写真のサボテンの棘はみんな丸みを帯び、却って触ると気持ちがよさそうだ。フォークナーの小説に、棘がいっぱい生えた麦の穂のような雑草を女陰に押し込む描写があって、そんなことをされると膣の中は血まみれになるが、この2枚目の写真のサボテンなら気持ちのいい性具になるかもしれない。筆者が学んだ友禅師は、タクシーに乗った時に運転手が突起がいっぱいついた男根を持ち出しながら、「これを使うと女は喜びまっせ」と自慢気に言った話をしてくれたそうで、その突起はイボイボ状ではなく、ほとんどプロペラのような羽がいくつもついていたらしい。膣の内部は男根の摩擦によって鍛え上げられ、そのくらいの大きな突起でなければ、やがて感じないようになって行くのかとその時は思ったものだ。生々しい話はともかく、イボイボの男根状のサボテンの根っこにボールペンがくっついていて、そのボールペンを受けるのが植木鉢だ。これを最初に受付のカウンターで見かけた時、筆者はすぐにサボテンを鉢から引き抜いたが、先にボールペンがあることに驚いた。なるほど、それで受付のカウンターに置いてあるのかと思ったが、100円ショップのような店で売っているノベルティ・グッズで、こうしたものをほしがるのはせいぜい10代であろう。家に持ち帰って家内に見せると、何が面白いのかという顔をされたが、筆者はようやく手元にやって来たこのサボテンペンを見ながら、「I Have A Pen. I Have A Saboten. A-Ha!! I Have A Sabotenpen. Sabottehenden-Independen-Iindependen!!」と内心歌っている。