伏線を知ることがザッパの音楽を聴く楽しみのひとつだが、これはある曲が別の曲の一部を取り込んでいたり、初めてアルバムに収録された曲が実はもっと以前に作曲されていたりすることで、後者はたとえばビートルズにもあるが、前者はビートルズには珍しい。
ザッパの場合、そういった伏線はすべて解明されたのではなく、没後に発売されるアルバムはすべてこれまで知られなかった伏線を明らかにする意図があると言ってよい。さて、アルバム番号109の『LITTLE DOTS』を次に取り上げようと思っていたが、同アルバムとは対になる『IMAGINARY DISEASES』についてまず書いておく。このアルバムは番号76が付され、2005年に発売された。当時はまず通販のみで入手可能となったが、間もなくアマゾンでも買えるようになった。筆者はすぐには入手せず、梅村さんにCD-Rに焼いて送ってもらったが、このブログに感想を書かなかった。それが長年気になりながら、ついに同じ時期のもう1枚のアルバムとしての『LITTLE DOTS』が先日発売されたので、この際にまず前作について書いておこうと思う。筆者がこのアルバムの感想を書かなかったのは、あまりピンと来なかったからでもある。その理由はザッパが全曲を編集してはいたが、アルバムとしてはまとめておらず、ジョー・トラヴァースが選曲したことに起因する、一種のまとまり感のなさだ。それでザッパがアルバムとして編集していればどうなったかを想像したいが、おそらく別の年の録音などを加え、ツアーのライヴ録音のみとはしなかったのではないか。本作は1972年の10月の終わりから12月にかけてのツアーから得られた録音で構成されるが、ザッパを含めて10人編成のジャズ志向のバンドで、ステージは全曲が切れ目なしに演奏されるものではなかった。その点が本作のまとまり感のなさの大きな原因にもなっている。ザッパは新曲をたくさん用意し、それらを試しに演奏してみようと考えたのだろう。そのため、ツアーで得られた録音から出来のいい演奏を、いつでもアルバムに収録出来るように編集しはしたが、結局どの録音もアルバムには使わなかった。それほど当時のザッパは創作意欲が旺盛で、次々と新しい録音をしたからだが、その一方では本作や『LITTLE DOTS』を得たツアー、すなわちプチ・ワズーの演奏は音質がさほどよくなく、新曲もまだこなれていないとの思いが強かったであろう。実際本作の1、7曲目はカセットの音源を使っていて、前者は1分少々のステージ導入部としての小曲なのでまだいいとして、後者は9分という長い曲で、それをカセット音源で聴かされるのは、海賊盤を聴くのと何ら変わりがなく、ザッパがアルバムに収録することはまずなかったであろう。
本作は全体で63分で、LPならば2枚組だ。1,2,3曲目がA面、4曲目がB面、5曲目が2枚目のA面、6,7曲目が2枚目のB面といったところだが、そのようにLPであれば本作の曲順の編集は合点が行くかもしれないが、CDとして全曲を通して聴くと、ザッパの編集ではないことが明らかによくわかって、曲順に不満が残る。LPでもCDでも通して聴くのであれば同じではないかと言われそうだが、本作はCDとしては曲順はよくないように感じる。それは、3曲目にザッパには珍しいブルースの長大な曲があり、その前後にいかにもザッパらしい新曲「ロロ」と「ファーザー・オブリヴィオン」が位置して、3曲目が浮いているように感じられるからだ。1,2,4,3という順序になぜしなかったのかと思うが、それをすれば前述のLPとしての構成が崩れる。ジョーはおそらくLPの発売も視野に入れて選曲、編集したのではないか。それはともかく、3曲目「イ短調のカンザス・シティに行って来た」は、「ロロ」や「ファーザー・オブリヴィオン」と言った意欲的な、言い換えれば前衛的な新曲とは違って、多くのメンバーを揃えたので、彼らにソロを披露させるための手っ取り早い曲と言える。短調のブルースで思い出すのは前年のジョン・レノンとヨーコ・オノとの共演でジョンが歌った「ウェル」だが、その時のフィルモアのライヴ録音をジョンとヨーコが発売したのは本作のツアーより少し前のことで、ザッパは短調のブルースを今度は自分のジャズ・バンドでステージで演奏してみる気になったのではないか。また、カンザス・シティでのステージとなると、こういったブルースが歓迎されることも知ってのことだろう。トニー・デュランのギター・ソロが最初にあって、ザッパのソロは最後に来るが、ザッパが伴奏を刻む音はなかなか聴き物で、またデュランのソロもいかにもブルースらしくてよい。ザッパのソロはブルースを超えたザッパ節と言ってよく、個性と自信がみなぎっている。こうしたブルースのインスト曲は88年のツアーでも演奏され、管楽器セクションを雇えば腕ならし的な意味合いにおいてもブルースを演奏することをこの72年のツアーから決めていたと言ってよい。ザッパにすればこういう曲を演奏することはたやすく、いつでもどこでも録音することが出来たはずだが、そう思えるだけにこの曲は本作の特徴からはかなり浮いていて、収まりが悪い。だが、一旦始まるとこれもザッパであり、その珍しさがなかなかよくて、筆者はふとギル・エヴァンスのオーケストラを思ってしまう。そう言えば、本作をギルは聴くことはなかったが、グラン・ワズーとプチ・ワズーはギルとは別の方法でジャズを前進させようとした試みで、当時のフュージョン音楽から一線を画すものでもあった。フロ・アンド・エディ時代を終えたザッパは病床で次のステップを考え、ジャズ・バンド向きの新曲をいくつも書いた。そしてそれらの曲は70年代前半のザッパを代表するものになったが、それらの曲の特徴を一言すれば、複雑でぎくしゃくした、そして明るいメロディということになる。それを代表するのが、「ロロ」や「ファーザー・オブリヴィオン」だが、この2曲はその後改変され、別の曲に組み込まれたり、変異したりする。その一連の変化ぶりをつぶさに追うだけでも本が1冊書けるかもしれないほどに、ザッパの頭の中は複雑に出来ていた。たとえば「ファーザー・オブリヴィオン」には、後に「グレッガリー・ペッカリー」や「ビバップ・タンゴ」として発表されるパートが組み込まれているが、本作当時のザッパはそれを後年の作品の伏線とは考えなかったであろう。結果的に本作は後年のアルバムの伏線であったことがわかるが、ザッパは本作を発表しなかったから、伏線であることがわかるのはジョーが本作を編集したからだ。ジョーをザッパ・ファンの一代表とすれば、ザッパ・ファンはザッパが意識、無意識のうちに仕組んだ伏線を知ることを大いなる楽しみとしていると言える。そうした伏線を知ることが面倒な人はザッパの音楽を好きにはならないだろう。