Wムーンと書いてダブル・ムーンと読ませたいが、月がふたつとはどういうことかと思われそうだ。それはともかく、ダブルというのはいい。何かひとつでは生きて行きにくい世の中になっているからだ。
その道一筋で半世紀というのもいいが、半世紀も経つと大きく時代が変わり、何やらのひとつ覚えで時代遅れになる。日本を代表する人間国宝のような専門家ならそれもまた話は別だが、たいていは淘汰され、仕事を失う。あれこれと気の多い筆者は昔からそんなことを考えて友禅とは何の関係もないザッパの音楽についてあれこれ書いて来たのではないが、何かの専門を強固にするには、一見何の関係もないようなジャンルや事柄に関心を抱く方がよい。あるいは抱くべきだ。昨日は京都国立近代美術館で展覧会を見た後、岡崎のとある画廊で開催されている染色5人展を見に行った。頭にその場所は入れて行ったはずなのに、曲がるべき角を忘れて数百メートル歩き、それで気づいて戻った。去年オープンした画廊で、作品を展示している作家は、筆者に案内はがきを送ってくれた大津のKさんを含めて誰もらず、拍子抜けしたが、奥から画廊主の年配の女性が出て来たので、あれこれ話をしながら30分近く過ごした。いつまで経っても話が終わりそうにないので、家内はそっと筆者を催促し、それでようやく外に出た。初対面でもそのようによく話すのが筆者で、そこが家内には信じられないらしい。自分でもそう思うが、誰とでもというわけではなく、相手が話し好きな場合に限る。それは当然だ。それに画廊を経営するという人は誰でも社交性が豊かなはずで、いろんな人からいろんな話を聞くのは好きだろう。そう思ったので、筆者は話題を次々と提供したところもある。で、その画廊の面積や賃料などを印刷したリーフレットを昨夜は黒い手提げの紙袋の中に入れたままそれを紛失したので、確認出来ないが、1週間借りるのに12万円であったと思う。これは相場であろうか。10万のところや15万のところもあるが、近年は京都市内でも多くの画廊がオープンし、また早々と閉鎖になっているところもある。筆者はもう10年以上も個展をしていないが、また創作の生活に入りたいと思って最近は作品のことをあれこれ考えることが多い。だが、製作に入るのは年内は無理かもしれない。場所を貸してくれるというところが2,3あるにもかかわらず、新作がない。これでは作家失格だが、ま、筆者はダブル主義で、あれこれとやることが多い。専門が何かと言われそうだが、人生は限りがあるので、本当にやりたいことに絞るべきで、それが筆者の場合、ひとつに絞りにくい。それに本職の染色ではなかなか今では注文はない。もっとも、筆者は全く営業をしないので、それも当然だ。昨日見た染色5人展にしても、5人とも別に職業があって、染色だけで生活が出来ている人は日本では数人ではないか。キモノは別と言われるし、そのキモノに筆者は携わっているが、会社に属すか、問屋か小売屋の得意先を持たねば生活は無理だ。そうそう、画廊主の女性は、どこかの会社に属している若い女性キモノ染色家が、会社の好意で毎年1回はどこかの画廊で個展を開催してもらえると言っていた。会社にしても宣伝になるからだろう。そんな若い才能があることを筆者は知らなかったが、それほどに筆者は染色から遠ざかっている。 さて、画廊に入ってすぐ、芳名帖があったので、筆者は自分の名前を記した。その5分ほど後、筆者は画廊主と話していたが、男女が入って来た。その女性が筆者の方を見ながら声をかけて来た。「大山さんですね。覚えていますか?」「???」「吉田です」「ああ……」「名前を見てわかりました」。銅版画家の吉田佐和子だ。彼女とは20代の終わり頃に知り合った。今はない京都市美術館敷地内に会った市民アトリエの建物内の講座で何か月か同席した。いつから会っていないのか記憶にないほど年月が経っているが、顔を見ればわかる。お互いに老けるからだ。不思議なものだ。これが片方のみ老いるとわからない。「まだ銅版画やってるの?」「リトも」。銅版画だけでも道具や薬品類が大変なのに、そこにリトグラフもとなると、アトリエがどのような状態になっているのか想像が出来ない。彼女は筆者の家から2キロほど離れたところに今も住んでいて、30数年前に一度お邪魔したことがある。それで先ほどネットで調べると、作風は昔のままで、またかなり華やかになっている。彼女のおそらく最初期作を知っているが、その頃と今とではほとんど変化がないというのは、それだけ個性が強いからで、それは彼女の人格にも表われている。ネットでは妖怪と書いてあったが、これには笑ってしまう。確かにそういうところがある。彼女曰く、多少自閉症気味で育ったそうだが、本当の自閉症ではそんなことは言わない。ただし、やはりかなり無口な方で、芸術家にありがちなタイプだ。その点、誰とでもよくしゃべる筆者は営業に向くと言われるほど、つまり芸術家風ではないのだろう。だが、どういうわけか昔から金には縁がなく、その点だけは芸術家風とは言える。彼女と最後に会ったのは筆者の前回の個展と家内が言ってくれた。それがいつのことかにわかにわからないが、今自分のホームページを調べると、1999年であるから、18年ぶりだ。それだけ経てば募る話はたくさんありそうだが、やはり彼女らしく、先に書いた会話程度で彼女と連れの男性は出て行った。その後、筆者は彼女のことを画廊主に話し、画廊で個展を開くことがあるかもしれないと言っておいた。それにしても彼女がどこでどう作品を展示しているかは知らず、これまた先ほどネット検索すると、あちこちでファンが多いらしく、作品も売れているようだ。明るい画風なので、人気は出る。その明るい画風は彼女自身が本当は明るいからだと思うが、人間の好悪が激しいのか、彼女がはしゃいでいる姿を見たことがない。だが、筆者の1999年の個展には、知部真千という、やはり銅版画の市民アトリエで学んだ女性陶芸家と一緒に来てもらい、その知部さんに対して筆者は畏敬の念を持っていたので、吉田佐和子も人柄を見抜くことにかけては長けているし、また好きな人には積極的に接近するタイプだ。知部さんは九州の禅寺の娘さんで、独身を通して陶芸を生業としていた。毎年届いていた年賀状が来なくなったので、10年ほど前に亡くなったはずだが、最も親しかったのは吉田佐和子ではないだろうか。そう言えばそんな話もしたかったが、風のように来て風のように去って行った。次にいつ会うかとなると、筆者が個展でもしてはがきを出した時か。ま、元気に創作を続けているのは何よりで、またリトグラフもこなしてダブルの技を身につけたのは逞しい。彼女の作品を載せたいが、ネットで「吉田佐和子 版画」と検索するとたくさん画像が出て来る。小さな作品がほとんどで、1点10万円程度で買えると思うが、価格はネットには出ていない。