ほとほと雪に懲りたというほどには京都市内に雪は降らない。毎年1,2日は雪が積もるが、1,2日であれば子どもたちは雪だるまを作って楽しみ、大人も顔をさほどしかめない。
今年も雪が積もったが、筆者の知る限りでは京都に来て以来の大雪であったかもしれない。自転車置き場の新しい屋根の雪下ろしを合計4回行なったが、雪の厚さは次第に少なくなり、もう雪は降らないような気配だ。また、降っても同じ程度であれば、雪下ろしも簡単だ。高さ60センチほどの脚立に乗ると、筆者の首辺りが屋根のてっぺんになる。長い箒で雪を地面に落とすが、屋根全体の雪を下ろすのに、厚さが25センチほどあれば30分はかかるが、5センチならばその半分以下で済む。芦が滑って脚立から落ちてもそうひどい怪我はしないだろう。雪国では毎年必ず屋根からの雪下ろしで死者が出るが、今年もそんなニュースを何度か聞いた。地面にたくさん雪が積もっているので、屋根から落下しても雪の中に落ちるだけで死ぬことはないように思うが、死因は雪で窒息するのではなく、骨折のようで、積もった雪が布団のような役目を果たさず、むしろコンクリートのように硬いのだろう。それで思うのだが、屋根から落下してもそのまま地面に衝突しないように、腰にロープを結わえ、それを屋根のどこかとつないでおけばいいように思うが、そんな命綱の指導を自治体はしていないのだろうか。雪で家が押しつぶされないようにと雪下ろしをするのに、命を落としていては割りに合わない。それはともかく、雪が降り止んだこともあって、買い物に梅津へ家内と出かけた。嵯峨のスーパーにもたまに行くが、距離はほとんど同じで、昔住んだことのある梅津にどうしても足が向かう。以前書いたように、嵐山地区には30年前はスーパーが3軒もあったのに、昨年の秋に最後に残っていたスーパーが経営を辞めた。そのため、わが家からは徒歩で30分のところにしかスーパーがなく、買い物が不便になった。高齢化しているのに、買い物の不便が増大しているのは日本中で生じていることではないだろうか。地元の小さな店が潰れて日本中に名前が知られる大型スーパーばかりとなった。これは金持ちがより貧しい者を駆逐する図で、貧富の差が拡大したことでもある。また地域の特色が消えた。大型スーパーでは食材はすべて工場で大量生産されたもので、そうした物しか食べられなくなった人間が工場製品のように画一化することはあたりまえの話で、世の中がどんどん没個性が歓迎されるようになって来ている。みんなと少しでも違っているといじめの対象になり、日本は世界最先端のロボット的人間の集まりと化して行く。工場で大量生産すると物が安くなるので、昔なら手の届かなかったものが貧困家庭でも入手出来るようになって来たという見方もあるが、その分、その物に味気がなくなり、本当においしい物を知らないという状態になっているとも言える。
それはともかく、雪がところどころに融けずに残っていて、雪だるまが太湖石のように穴が空いていたりして、雪で覆われていた眺めとは違って雪融けは美的には全く感心しない。泥にまみれた雪ほど惨めなものはないという気がするが、一方で不便さが解消して行く眺めでもあって、雪融けにも詩情を感じるのがよい心がけというものだろう。梅津に歩いて買い物に行った帰りは決まって家内と筆者の両手は重い買い物袋を提げていることになるので、手ぶらで出かけるのがいいが、松尾橋の上から河川敷の写真を久しぶりに撮影しようと思ってカメラを持参した。松尾橋に至るまでに残り雪を2枚撮り、松尾橋上からも1枚撮ったが、その3枚を今日は載せる。最初は前述の太湖石のような融けた雪だるまだ。2枚目は松尾橋西詰めから見た松尾大社の背後の山で、ところどころに白く残っている雪を見ながら筆者は家内に鶴が飛んでいるようだと言った。そのように想像すると、本当に丹頂鶴が山辺を飛来しているような気がして来た。今までにも同様の残り雪の状態を見たかと言えば、その記憶がない。雪がわずかに点在するから鶴に見えるのであって、雪融けはさまざまな状態を露呈する。3枚目は左上に愛宕山、中央に五山の送り火の鳥居型を捉えた。普段は鳥居の形に地面の土が見えているが、そこに積もった雪はなかなか融けにくいようだ。ならば大文字山も同様のはずだが、大の字には見えない。大の字を囲った三角形の斜面全体が地面となっているためで、それを思えばこの奥嵯峨の鳥居型は雪が積もればいい雰囲気に見える。渡月橋の上からならば大文字山が遠くに小さく見えるが、松尾橋上からは西方面、つまり梅津方面に位置し、建物が邪魔をして見えない。また見えても白いビキニパンツ状に雪が積もっているだろう。年に1,2日ある京都市内の降雪だが、桂川を東に越えた梅津では2,3度温かいようでその頻度は少なく、松尾橋を東にわたってからは融けた雪の面白い形がなかった。