染料は持っているので、いつかしなければと思っていることがある。夏場によく被る綿の帽子だが、派手なオレンジ色で、汗がよく浸透するツバ回りが洗濯のたびに色褪せがひどくなって来た。
綿用のオレンジ色の染料を焚き、そこに帽子をそのまま10分ほど浸せば、元どおりの派手な色になるはずだが、染料を探し、湯を沸かし、そこに帽子を浸してむらなく染め、そして水洗いして日陰干しするという一連の作業を思い浮かべると、季節がよくなってからという気がする。筆者は秋からこっち、風風の湯に出かけるのにオレンジ色の薄いコートを着る。それでは風邪を引くと家内はうるさいが、5分とかからない距離だ。それにマフラーをする。そのマフラーもオレンジ色で、そこに先のオレンジ色の帽子を被ると、まるで変なおじさんの代表のような目立つ格好になるが、どうせ目立つなら、靴もオレンジ色にしようかと思うが、これは赤で、やはり目立っているだろう。それはともかく、柿はオレンジ色の実をつけることで、鳥に対して目立つように考えている。あるいは動物と言い代えてもいいが、柿の実がたくさん出来ている光景は遠目にもよく目立ち、また秋の眺めとしてなかなか心温まる。それは鳥も同じだろう。去年11月19日に、一昨年と同じようにネットで買った渋柿が一箱届いた。どういう品種か忘れたが、愛宕柿と呼ばれるとても大きいもので、筆者の掌の長さを同じほどある。10キロで40数個はあったと思うが、送料込みで1700円で、去年とほとんど同じ価格であった。同じ柿が梅津のスーパーでは4個で400円か500円程度していて、ネットで買えばいかに安いかがわかる。だが、柿が届いた11月19日は家内と茨木の万博公園に展覧会を見に行き、その帰りに阪急茨木市駅前商店街の果物屋の店先に、10キロの渋柿が1700円で売られていて、筆者が買ったのはそう安いとも言えないことを知った。だが、家まで届けてもらっただけまだ得したと言わねばならない。干し柿作りは去年で三度目であったか、もう手慣れたものだ。50近い柿をひとりで全部皮を剥き、ロープに取りつけ、そして熱湯に20秒ほど漬けて3階のベランダに吊るした。雨に濡れると黴が生えるので、その心配なる時は部屋の中に吊るす。それを三度ほど行なって2週間で完成した。実際はもう数日干せばよかったが、試しにひとつ食べるとそこそこ甘かったので、それで納得した。去年の経験からもわかっているが、どういうわけかいくら干しても白い粉が吹かず、そのまま小さく萎み、固くなるだけだ。ならば、中身が多少柔らかい、ゆで卵で言えば半熟程度の仕上がりがよい。1個ずつロープから外してラップで覆い、そのまま冷蔵庫に保存した。そして毎日1個ずつ食べたが、正月に母に10個ほど持って行った。市販品のようにおいしくないので、喜んだかどうかわからないが、息子の手作りの品であり、土産のひとつにはいいだろう。3年目となると、どのようにすれば市販品のように白い粉まみれのおいしいものが出来るのかが気になるが、確か去年ネットで調べると、藁の菌を付着させて醗酵させるとあった。藁は手元になく、またあったとしてもそれをどのように使えばいいかわからない。そこは干し柿業者の企業秘密で、ネットにも載っていないのでないか。藁と言えば納豆に藁で包んだものがあるので、それを買って使い回しすればいいかもしれないが、納豆菌が付着しているので、それが干し柿と反応してどのようなことになるのか想像がつかない。ともかく、わが家のベランダでは藁の菌は付着せず、菌がつくと言えば雑菌だ。干した後、1週間ほどして柿を揉んで柔らかくするが、その際に手を洗っても雑菌が付着しやすい。今年は2,3個に黴が生えた。それがどう見ても市販品のおいしそうな白い粉とは違って、明らかに黴で、良好な醗酵の難しさを知った。
ベランダに吊るす前、あるいは吊るして間もない写真を今回は撮らなかった。派手なオレンジがなかなか楽しいが、去年と同じような写真になって面白くない。そう思っている間にオレンジ色はどんどん褐色に変化し、次にどす黒く鳴り始めた。それに、皮を剥いた時に比べて体積は半分かそれ以下だ。あれほど大きな柿がこんなに萎むのかという感じで、干し柿にする柿はやはり愛宕柿のように超巨大であるのがよい。そう言えば去年は大江に三度自転車で訪れ、柿を買って帰った。筆者が買うのは200円で数個という、熟し過ぎて柔らかくなったものだ。そういう柿はほとんど商品にならず、格安で売っているのだ。だが、固い柿よりそういうジュースのように柔らかいのが筆者の好みだ。これは歯がよくないためではない。熟した方が甘いからだ。野鳥もそのことをよく知っていて、ちょうど今頃になると、近所にある柿の木に目白や雀が集まって来て、実をついばんでいる姿をよく見かける。食べ物が少ない冬場にそれは命を支える御馳走でもあり、その家の人が柿を収穫しないことに感謝する。毎年その木はたくさん実らせるが、どうも毎年同じように無数というほどではなく、隔年ごとによく出来たりそうでなかったりする。枝の剪定はたぶんしていないと思うが、放置状態では実の数は1年ごとに多くなったり少なくなったりするのだろうか。多い時は1000個ほどあるのではないかと思うほどその木は遠目にもオレンジ色に染まる。その色は年が明けると次第に深くなり、今は赤と呼ぶ方がいいが、数は半減し、皮だけになったものが目立つ。目白たちがきれいに食べるからだ。柿の方はそのように食べてほしい。種子がそうして露出することが目的で、柿は鳥に来て食べてもらわねば困る。筆者の干し柿にも種子は入っているが、それを口から吐き出して地中に埋めれば、数年先には高さ1メートルほどの木にはなるかと想像するが、同じ実が出来るまでに筆者は70歳を越える。それまで待っていられないという気がするし、また毎年渋柿を買えば手っ取り早いかと思う。そう言えば裏庭の向こうの小川沿いに植えた紅梅白梅は早くも蕾を膨らませ、幾分か開花している。白梅は6月になれば実をつけるが、去年はそれを収穫して梅酒を漬けた。そうすることが筆者の望みだったが、案外その夢は早く実現した。何でも思えば即座に行動すべきということだろう。それで干し柿の話に戻ると、どのようにすれば白い粉が生じるか、今年は試してみたい。今日の写真は最後の1個になった自作の干し柿で、あまりおいしそうではないが、実際そのとおりで、甘さがとても少なく、中には何を食べているかわからないものもあった。市販品はさすがそのあたりのことはよく心得、どうすれば甘くなるかを熟知している。3年の経験ではそれは無理だ。