烏を松尾橋上でよく見かけるが、どちらかと言えば大きな鳥は怖い。昨日は市バスに乗って残り戎に出かけ、四条大橋上に10数羽の鳶が舞っているのを見た。
欄干すれすれに飛ぶのもいて、おそらく誰かがパンやスナック菓子を与えるので人慣れしているのであろう。数年前は2,3羽だったように記憶するが、それが数倍に増えたのは、熊が市街地に出没するのとは違って、人間が餌を与えるからであろう。あるいは残飯が多く、食べるのに困らないからだ。人間も同じで、子どもの数が多いのは家計が豊かであるからで、甥っ子は先頃4人目をもうけたが、30代で月収100万をもらっていると言っていたので、それもうなずける。わが家は息子ひとりで、子宝という言葉を持ち出せば、わずかひとりという宝で、経済事情が察せられるだろう。それでも最近は結婚したくても出来ない若者が増えているらしく、その最大の理由は経済力のなさのようだ。昔はひとりでは食えなくても、夫婦ならどうにかなると、理由になっていないような理由があたりまえのように言われた。だが、それは正しい面もある。ひとりで住むのもふたりで住むのも家賃は同じで、食品代も2倍にはならない。ひとりはとにかく不経済だ。男ひとりではなかなか貯金も出来ず、わが息子は32歳か3になるが、たぶん貯金ゼロで、結婚は夢のまた夢だ。それどころか、酒好きがますます昂じて毎晩ウィスキー1瓶くらいは飲んでいるのではないか。酒に強いのは筆者似だが、若い間はどうってことなくても、後々身体はそのつけを支払うようになる。だが、そういうことを注意しても耳を貸さない。健康な時はみんな自分がまさか病気になるとは思わないからだ。それはさておき、話を戻して、今日家内は思い出したように、最近近所に野良猫をあまり見かけないと言った。そう言えば全くそのとおりで、見かけなくなった理由は、誰も餌を与えなくなったからだ。それで猫は腹を空かしてどこかで餓死したと見える。食べる物が亡くなれば命もなくなるということで、四条大橋上に鳶がたくさん飛び交うのは、食べるものが豊富であるからで、これが何らかの理由でそうでなくなれば、すぐに姿を消すだろう。そう言えば三条大橋の畔でもだが、路上ミュージシャンがよく演奏している。人通りが多い場所では、投げ銭が多く、その収入が音楽活動をそれなりに支える。つまり、橋の上の鳶と路上ミュージシャは似た者同士だ。それを言えば四条大橋の真ん中で野菜を売るおばさんがいる。家内が通勤している時は毎日彼女を見かけた。その彼女が昨日は四条通りの高島屋と大丸の中間で店開きしようとしていた。だが、それは違法だろう。すぐ目の前に店舗が並んでいるうえ、歩行者の邪魔にもなる。なぜそんな目新しい場所で露店をひらくのだろうと家内に訊くと、四条大橋の上では寒いからでしょとの答えであった。確かにそうだが、まだ橋の上の方が誰かの商売の邪魔をせずに済む。逞しいと言えばそうだが、露店はそれなりに許可が必要だろう。だがそれを言えば路上ミュージシャンはどうなるという話も出る。また、筆者が思うに、その野菜売りのおばさんが売り場を変えたのは、鳶が頭上を待っているからではないか。隙あれば鳶はその売り物目指して急降下するだろう。だが、鳶も生きるのに必死だ。生まれて来たからには生きる。そのためには人間が手に持っている物でも横取りする。そんなことを思いつつ、筆者は鳶にコンビニで買ったおにぎりを食べさせたいと思った。強く、またとても冷たい風が吹く鴨川上を、いつ餌にありつけるかわからないのに、鳶は舞い続けている。その姿は路上ミュージシャン並みに格好がいい。
昨日は繁華街の空気を吸って満足した後、また市バスに乗ってわが家を目指したが、途中梅津のバス停で下車してスーパーに立ち寄った。そしてまた市バスを待っている間に撮ったのが今日の最初の写真だ。満月の1日前だが、見た目にはもう満月に見える。たぶん明日も満月であるので、撮る必要はないかと思いつつ、せっかくその気になったので、また市バスを待つ退屈しのぎに2,3枚撮った。で、今夜はまた終日家に籠り切って仕事をしたので、外は晴れているとわかっていながら、満月を確認しなかった。そうしていつものように深夜2時になってもうそろそろ寝ようかと思った時、満月のことを思い出した。終日厚いカーテンで部屋を遮っているので、月が出てもわからない。雨や風は音でわかるが、晴れているのか曇っているのかもわからず、時間は目の前の壁時計で知る。その壁時計は3,4年は電池がもつが、先日針が止まったままとなり、早速電池を買った。また年賀状を書く時に使う黒インクもちょうどなくなったが、それは昨日大丸百貨店の万年筆売り場で買った。きれいな若い女性ばかりで、なかなか楽しい売り場で、また先日ネットで知ったパイロットの豊富な色のインクの陳列も確認出来て面白かった。そのインクは壺の形が違って横長で安定感があり、また50CCと普通のインクの倍ほどが入っているが、20色ほどもある。その中で筆者が使いたいと思ったのはセピア色をもっと暗くした褐色で、いつかそのインクを買って年賀状を書くことに使用かと思う。他の色は思っていたほど魅力的ではないように見えたが、実際に使ってみるとまた感じが違うのだろう。話が脱線したが、インク色の夜は満月が出ている時は色が浅く感じられる。深夜2時にさてどこで満月の写真を撮ろうかと思いながら、ベランダに出るのはやめて、1階の裏庭に出た。すると、驚いたことにあまりの明るさで庭木や鉢植えが見える。それで合歓木の向こうに満月が見えるような角度を選んだ。今日の2,3枚目に少しその枝が写っている。頭上の満月がこれほどの明るさをもたらすとはなかなか面白い。もちろん2時であるので、人の気配はなく、静かに撮影してすぐに部屋に戻ったが、予想どおりの高さに着きは上がっていて、その月の光に照らされた筆者の姿を想像した。ムンクの絵にそういうのがあって、「月光」と題されていたはずだが、そこに描かれるのはムンクではなく、若い女性の立ち姿で、その背後に影が描かれている。月の光と言えば若い女性というのは想像力が多少貧困と思うが、若者なら夜に外で異性と抱き合うことはよくあるだろう。だが、深夜2時ともなれば鳶も路上ミュージシャも帰宅して眠っている。起きているのは盛りのついた野良猫と筆者くらいで、夜更かしの悪い癖を今年は少しは改めた方がいいかと思っている。