市場に毎日買い物に行っていたのは、まだ冷蔵庫がほとんど普及していなかったからだろう。昭和20年代末期から30年代初頭、筆者は母と一緒に歩いて5分ほどのところにあった市場に毎日のように出かけた。
どういう店がどういう順序で並んでいたかを今も鮮明に記憶するが、筆者が小学5,6年生の頃、その市場の前にあった酒屋がスーパー・マーケットなるものに商売変えした。今から思えばまだ商品はあまり揃っておらず、スーパー・マーケットと呼べるほどのものではなかったが、アメリカ生まれのスーパー・マーケットがいよいよ日本に上陸し、その言葉の斬新さから、やがて別の場所にもっと大きな本格的なスーパー・マーケットが出来た。そし人々はそこが安いというので一気に押し寄せ、これまであたりまえのように利用していた市場にはもう足をあまり向けなくなった。だが、筆者がよく思い出すのはその市場の建物の内部だ。裸電球に灯されて豊富な野菜や果物、乾物、魚介や肉、煮豆屋や豆腐屋など、何でも揃っていて、スーパー・マーケットとほとんど何も変わらなかったというより、むしろもっと豊かな光景がそこにはあった。スーパー・マーケットは加工食品が主という感じがしたものだが、それは今でも同じで、冷蔵庫が普及したためでもある。食品は生鮮というのがあたりまえであったのが、冷凍食品や缶詰、瓶詰など、保存を前提とした商品が幅を利かせ、その便利さと引き換えに人々は旬の味覚を失った。筆者は煮豆が好きだが、幼少時に母と通った市場では大きな鍋に毎日数種類の豆を艶やかに似て、どの大きな鍋からも湯気が上がっていた。それが今では袋入りの保存が利くものがスーパーで売られているが、あれは全く買う気になれない。それで自分で豆を買って来て煮豆を作ろうかと思うほどで、便利な世の中にはなったが、手間をかけることを忘れた悲しさを一方で思う。便利とは味気ないことと同義で、それもあってか、筆者はコンビニで食べ物を1年に一度も買わない。だが、何でも便利になったことで面白くなくなったかと言えばそうではない。その便利なもののひとつがネット・オークションだ。あるいはネットでも買い物で、クリックひとつで、数日後には商品が手元に届く。これほど便利なことはないが、便利過ぎてたとえば運動不足になり、辻褄は合っているのだろうと思う。つまり、便利過ぎると後で大きなつけを支払わせられるということだ。
筆者がネット・オークションで最もよく買うのは本と絵画だ。本は「日本の古本屋」はアマゾンでも買えるが、ネット・オークションで珍しくてしかもほしいものを見つけると、まず「日本の古本屋」をチェックしてもっと安い店がないかと探す。これは数年前のことだが、ほしい本が「日本の古本屋」で1万円ほどで売られていた。戦前のとても珍しい本で、図書館には置いていない。国会図書館にもない。ならば1万円でも買うべきだが、実はそのようにほしい本が筆者にはとてもたくさんある。それに、1万円とはいえ、厚さは5ミリ程度の薄い冊子だ。ただ珍しさだけでそのような高値になっている。ほしいと思いながら地道にネットで探すと、「日本の古本屋」には出ていないが、京都の古本屋のホームページにその本がやはり1万円で売られていることを知った。店に行って実物をまず確認しようかと思いつつ、訪れたことのない店で、しかも上京区の不便なところにある。そうこうしているうちに1年ほど経ったある日、そのほしい本がネット・オークションに出品された。1000円スタートで、これはぜひとも落札したい。1万円にはおそらくならないはずだ。出品したのはJRのいわき駅前の古本屋で、そのすぐ目の前のバス・ターミナルから筆者はバスに乗ってTさんに会いに行ったことがあるので、よけいにその商品を落札しようという気になった。結果は5000円ほどになった。ほとんど手垢のつかない状態で、いわき市内の古い家の蔵に長年入ったままになっていたのだろう。1万円が5000円で入手出来たので、待った甲斐があった。だが、喜んでいると、その出品者はすぐに同じ商品をまた出品した。どうやら2冊持っていたようで、まずは1冊を出したのだ。筆者は2冊は不要で、その2冊目の出品には入札しなかったが、何と1000円を少し超えた額で落札された。長い間待っていた本にようやく出会えたのであるから、5000円で落札出来たことは喜ぶべきだが、長い間探していたものは、案外立て続けに出て来るもので、何が何でもほしいと思う気持ちをいくらかは抑制する気持ちの余裕のようなものが今は持てるようになった。だが、一方で考えるのは自分の年齢だ。今筆者は入札しようかどうか迷っている版画があるが、5万円スタートのその商品を逃せば、次に出会えるのはおそらく10年後かあるいは死ぬまで出会えない可能性が大きいように思う。ならば5万が10万になっても買うべきだが、先に書いたようにほしい商品は毎日のように出て来る。そうは思いながら、その5万円の版画は30年ほど前に刷られた当時は20万円ほどで売られたもので、5万円は明らかに安い。同じ版画がまたネット・オークションに出ても同じ値段とは限らず、10万円スタートになるかもしれない。そう思うとやはりほしくなるが、ほしくなるのは病気のようなもので、その5万でほかの本やまた絵を買うべきかと思い悩む。
さて、もう10年近く昔になるが、このブログに「恐怖のネット・オークション」と題して投稿した。今日はその続編のような題名にしたが、内容は全く違って、ネット・オークションの別の恐怖について書く。今年の7月下旬にある絵画に入札した。出品者は山口県の業者で、絵画専門ではなさそうで、その絵画についての知識はおそらく乏しく、箱書きにしたがって出品時の題名をつけ、しかもその作者についての説明などは一切なかった。つまり、出品者はその絵画の値打ちを知らないといった雰囲気だ。だが、これはそのように装っているだけかもしれない。またその出品は最後の5分間に入札があれば自動的に延長されるのではなく、出品者が決めた時刻で終了する。そういう出品をする人は珍しいが、その方が高値を期待出来る場合もある。つまり、最後の10秒まで1000円であっても、残り10秒の間に5万とか10万とか、他人を出し抜くために高値で入札する人がある。それで、今日の最初の画像を見てほしいが、筆者は黄色の塗りつぶした価格25002円を入札した。それと同じ時刻に25502円で入札している人(q*7*q**)があって、筆者の手には入らなかったが、q*7*q**はもっと高値を入れたのだろう。筆者が3万円を入札しても買えなかったような気がする。駄目なものはすぐに忘れるに限る。毎日のようにほしいものは出品される。そこで2枚目の画像だが、筆者が次点で落札出来なかった同じ絵画が、2か月後に岐阜の骨董業者が出品した。出品画像は新たに撮影し直し、また画家についての説明もあった。q*7*q**が手に取って気に入らないのでまた出品したと考えることが出来るが、入札で競っている間に筆者は気づいた。q*7*q**がまた最高価格をつけている。同じ人物が同じ絵を二度買うことはり得ない。ということは、山口県の出品者と岐阜の出品者は同一人物か、仲間であろう。しかも商品を高く釣り上げるために、q*7*q**に入札させている。そのことがわかったので競ることをやめた。出品者はおそらく3万や5万以上で売りつけたいのだが、予想に反して高値にはならない。それでおそらくまた出品するだろうと踏んでいると、想像どおりに先日出品され、昨夜終了した。今度は大阪の業者で、筆者が昔からよく落札する出品者だ。その大阪の業者と山口、岐阜の業者は仲間かということになるが、そうとは限らない。というのは次のようなことがあるからだ。10数年前、筆者は弘法さんや天神さんの縁日で伏見人形を買い漁っていた。もう良品は出尽くした感があって、まためったに伏見人形は並べられないのだが、ある日、筆者が所有するのとよく似た商品を顔見知りの業者が出した。同じようなものならば買いたくないので、見過ごしたが、その商品は1か月後に新参者の業者がまた並べた。これはどういうことかと言えば、売れない商品を業者専門の市に出し、別の業者が買ったためだ。
そういうことはよくある。そのため、先のネット・オークションでq*7*q**が二度落札した絵画は、業者が手放し、それが京都や大阪の競り市に出て、大阪の古美術業者が落札し、そしてネット・オークションに出したのだろう。だが、本当のところはわからない。3万円程度ならほしかったが、今度は入札しなかった。3枚目の画像にあるように、今度は3万3222円で落札された。それに消費税と送料を含めると36000円ほどか。それなら買ってもよかったと思わないでもないが、筆者がその価格を入れても、もっと高値になったかもしれない。京都にある業者専門の競り市では、ほとんどの業者が顔見知りだ。意外な人が意外な人と懇意であることを筆者は最近そういう業者と話をして知った。絵画を扱う古美術業者の世界は案外狭い。また、そうした業者はほとんどネット・オークションで商品をさばくが、ひとりで数個のIDを持っていることは常識で、しかも仲間を動員して値を釣り上げる。そのようにして1000円で仕入れたものが10万や20万に化けるが、買った方はまさか自分以外の入札者がサクラだとは気づかない。筆者はもう10年以上も入札し続けて来ているので、そういうからくりには敏感になっていて、何となく臭いでわかる。この話についてはもう一回投稿しなければならないほど、筆者は恐ろしいネット・オークションの実例を経験しているが、ヤフーに違反報告をしても聞き入れてもらったことがない。ネット・オークションは落札者に不利な仕組みで、もっと改善の余地がある。特に同じ人物が複数のIDを持って別人を装いながら値を操作するなど、詐欺同然のことであって、ヤフーがその気になればすぐにそういう業者を出品させられなく出来るはずなのに、改める気配がない。騙される方が悪いという世の中なのだ。同じ絵画がヤフーの画面保存期間の3か月の間、三度も別の業者から出品されるという現実を、ネット・オークションで絵画を買っている人のために今回は報告しておく。