母にしばらく会っていないので、出かけたついでに立ち寄ろうと思っているが、火と木はデイ・サービスで家におらず、またなかなか母の家の方面に用事がない。電話をければいいようなものの、母は耳が遠く、電話では通じない。

また、ついでに立ち寄ったと言えば母は機嫌が悪い。わざわざ会いに出向くのが子どもではないかとの考えだ。だが、筆者はここしばらくはあまりに多忙で、徹夜することもある。60半ばの年齢になって「貧乏暇なし」を絵に描いたようで、なぜこんなに時間がないのかと自嘲気味になるが、多忙でそれだけ収入でもあればいいが、ただ忙しいだけで金には縁がない。この年齢でそう言っているのであればもう死ぬまで同じことだが、人生の勝ち負けを収入によって捉えることがあたりまえになっている現在、筆者は完敗の人生であったともう過去形で言うべきだ。それで一発逆転を狙って宝くじを懲りずに買う人があるが、筆者はその趣味は皆目ない。あれは当たらないに決まっている。金の無駄だ。それはともかく、今月の4日、配布すべきチラシがあったので自治会のとある住民の家を訪れた。その時、間違って隣家のポストに入れてしまい、その家の奥さんとしばし話している時にご主人が散歩から帰って来られた。そして2時間以上もビールをよばれながら話に花が咲いた。その時、若冲の話題を出したところ、ご主人は川島織物が生誕300年記念の展覧会をしていてそれを見て来たと言う。その時の身振りが、川の向こうという、身近な場所を示す様子で、筆者はおかしいなと思った。川島織物は確かに北方だが、嵐山からは遠い。筆者はまだその川島織物にある展示場には行ったことがないが、100年ほど前に川島織物工場を設立した川島甚兵衛2代目がセントルイス万博に「若冲の間」を出品するために若冲の『動植綵絵』を模写させ、それを元に綴織を制作したことはこれまでさまざまな本などで紹介されて来たし、また4年前に大阪本町のINAXギャラリーでもその作品を中心とした川島織物展があって、そのことについてはこの
ブログで感想を書いた。その後、INAXギャラリーはLIXILギャラリーと舌を噛みそうな名前に変わり、場所も大阪のグランフロントのビルとなった。それからも企画展ごとに筆者に案内はがきが届くが、まだその新しい展示場には行ったことがない。大阪に出てもグランフロントにはなかなか足が向かない。あまり洒落た空間は何となく落ち着かず、筆者は下町のごちゃごちゃしたところが好きだ。本町のINAXギャラリーはまだビルの1階にあったからよかったが、グランフロントでは南館2階Aオフィス入口から9階でエレベーターを乗り換え、12階へとあって、まるで迷路を行くような気分がする。今は11月まで『WASHI』展をやっていて、これには興味があるので見たいが、大阪に出る用事があってもすぐに忘れてしまうだろう。

話を戻して、前述のように自治会に所属はしていないが、ビールを飲みながら2時間話をしたその相手の仕草が妙に気になり、ひょっとすればあおのジェスチャーは時雨殿のことではないかと思って早速調べると、やはりそうであった。それで生誕300年記念の若冲展は全部見るつもりでいるので、早速出かけることにしたが、それがようやく今日になった。家から徒歩20分もかからないので、散歩がてらにちょうどいいが、去年の夏に訪れたし、これまでに数回入ったことがある。常設展示の面積が大きく、企画展用のコーナーはわずかなこともあって、家内は行きたがらない。それで自治会の大志万さんに電話したが、あいにく予定が詰まっていた。それで家内を説得してふたりで嵯峨のスーパーに後で買い物に行くついでに出かけることにした。それほど身近な展示場ということだが、まさか若冲に関する展覧会をしているとは知らなかった。灯台下暗しだが、もともとの施設は各地に企画展のチラシを撒いていないようで、これまで筆者はほとんどそれを見かけたことがない。せっかくの企画展だが、展示面積が小さいので、大きく宣伝することを遠慮しているのだろうか。ともかく、筆者が間違って自治会のチラシを配らなければこの施設で若冲展をしていることは知ることがなかったので、いい縁と機会ではあった。話のついでに書いておくと、そのご主人は美術にも多少は関心があるようで、最近では堂本印象美術館を訪れたらしい。その建物の概観に度胆を抜かれ、中に入ったとのことだ。入ってすぐ突き当り左に小さなステンドグラスの作品があるが、館内の係員と話をしていると、堂本印象が描いた大きなマリア像が大阪のとある教会にあることを知り、早速またそこに出かけ、シスターからその教会が出来た時に作られた堂本印象のその絵の印刷物をもらって来たとのことで、それを筆者に見せてくれた。その教会は筆者は行ったことはないが、どこにあるかは知っている。JRの玉造や森の宮駅から近く、NHKや歴史博物館からは西へ20分ほどだ。そのすぐ近くにはごく稀に出かけることがあるのに、教会と聞くと何となく入りにくい。だが、これもいい話を聞いたので、今度歴史博物館か大阪城に行くことがあれば立ち寄ってみようと思う。これもついでだが、堂本印象美術館は先月だったか、久しぶりに家内と訪れた。その感想を書いていないが、書かずにそのままになっている美術展などがいくつかある。何事も旬があるので、書く機会を失うと、なかなか後で書く気が湧かない。そしてほとんど印象を忘れてしまう。それが鮮明な間に書いておくべきだが、後で読み返しても思い出せないことはどうでもいいことかもしれず、仔細に思い出して書く必要はないとも言える。

さて、本展に話を戻すが、館内は撮影がOKだと思うが、この企画展は撮影禁止のマークがついている作品がいくつかあって、それらは写さなかったが、マークのないものはたぶん撮っても文句は言われないだろうと勝手に解釈した。それで本展については2回分の投稿が出来る写真の枚数がある。今日はその前半を書くが、2枚目の写真はセントルイス万博での「若冲の間」の有名な写真で、これはよく展覧会図録に紹介される。カラーではないが、『動植綵絵』は色目がわかっているので、大半は想像がつく。そしてこの写真や他の資料を元にして作った15分の1の小さな模型が2枚目の大きな写真の前にガラス・ケース入りで展示された。この模型は前述したINAXギャラリーでの川島織物展でも展示された記憶がある。そのため、本展はほとんど見たような内容で、新鮮さはなかったが、本展に合わせて織られた作品などもあって、この4年で川島織物は若冲により接近したようだ。ところで、その川島織物だが、INAXなどと共同してLIXILを設立してからか、川島織物セルコンと会社名が変わった。このセルコンの意味がわからないが、SELKONと表示する。これは英語ではなさそうで、川島織物の造語だろうか。どういう意味か気になるが、会社名に横文字を入れるのは流行りとはいえ、意味不明の言葉では落ち着かない。それであれこれ想像してみると、SELはSELLではないか。そしてKONはCONかもしれない。つまり「一緒に売る」ということだ。INAXは課程の水回りの商品、川島織物はカーテンなどの織物部門担当ということで、会社が集まって一緒に売ろうということで、「セルコン」を思いついたのではないだろうか。だが、もしそうなら、何となく安っぽい印象もあって、筆者はこの「セルコン」という言葉があまり好きではない。漢字の「川島織物」に、外国の言葉かどうかわからない「セルコン」を足すのは、木に竹を接ぐようで、言葉の響きや字面が悪い。つまり、美意識が欠けている。これは大きな問題ではない。それを言えばLIXILもそうで、INAXは呼びやすく、覚えやすかったのに対し、何をする会社か団体かがよくわからない。だが、そう思う筆者はもう時代遅れの人間なのだろう。若者が考えたことに理解が及ばないのはいつの世代の老人も同じことだ。話を戻して、「若冲の間」の模型は、模型にして見せるほどのものではなく、かえって万博でのいかにもショー・ルームめいた殺風景さが露わになっている。それはこの模型の手前側が大きく開けているからで、「間」つまり部屋とは言えない空間であったことを感じさせる。だが、ショー・ルームめいているのは実は全く川島甚兵衛の思惑そのものであって、こうした洋間の実物大のセットによって、日本がいかに室内装飾の技術に長けているかを世界に示したかった。主役は若冲の『動植綵絵』だが、釘隠しや暖炉回りの七宝や建具、欄間職人による木工など、数多くの種類の京都の工芸家が集まって制作した技術の結晶がこの「若冲の間」であった。川島甚兵衛が音頭を取って先斗町のある店で各職人の結集会が開かれた時の記念写真も飾ってあったが、全部で30人ほどが写っていて、彼らは商売を度外視して京都の工芸家の力量を見せようとした。そして、万博への出品まで制作期間は2か月しかなかったと説明にあったが、それは少し信じられない。『動植綵絵』から10点を選んで模写し、それからそれを綴織にするのに、2か月ではとても足りないだろう。なので、甚兵衛以外の工芸職人の作業期間ではないか。綴織は母なる若冲の原画と同じ大きさなのかどうかだが、今年の祇園祭の長刀鉾の見送り用に制作された綴織と同じように、少し拡大したのではないか。そういう説明はなかったが、本展はINAXでの展覧会とは違って図録が制作されず、また説明パネルも少なかった。展示面積が少ないためとも言えるが、その点がせっかくの大きな建物を使っての企画展であるのに、いつもかなり小規模で中途半端な内容に思える。