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●アレクサンドロス大王の末裔の東方遠征
しくなって来れば風風の湯に行く頻度が増すが、最近は雨の日が多く、足元が悪いので近くであっても億劫になる。だが、あえて雨の日に行くと客が少ないはずで、午後6時頃に小雨なら行くことにする。



それに最近は猛烈に忙しく、そのちょっとした区切りが出来ると疲れを除く意味でも行きたくなる。それで今日もほとんど終日雨であったが、傘を差して家内と出かけた。木曜日なので、本来はひとり1000円だが、スタンプ・カードの半額割り引きの桝目を使うことにした。明日の金曜日は毎週シルヴァー・デイで60歳以上は半額なので、明日行けばいいようなものの、先に書いたように今日は仕事の区切りがいいので迷った挙句、出かけた。予想どおりに客は少なめであったが、シルヴァー・デイに比べて2,3割少ないだけで、雨でも客入りにそう関係がない。さて、受付で支払いを済ませて脱衣場の鍵を受け取ると、男湯、女湯に向かう畳敷きの廊下の途中に血圧計があるので、それでまず測るのが恒例になっている。それまで筆者は、あるいは今でもだが、血圧に関心がない。それで血圧が高め、低めというのがさほどよくわからないでいるが、家内の上の数値が筆者の下の数値より低いことがままあり、筆者の血圧はそうとう高い部類に入る。そうなったのは1年ほど前からだ。生活環境の激変があったかと言えば、それはないので、年齢的なものと思う。母も高いので、その血だろう。血圧計は2台あって、最初はどちらも計測した数値が出ていたが、すぐに片方だけとなった。プリントの用紙がもったいないからだ。そして、用紙の出る片方の器機もよく用紙切れになっていて、そのたびに筆者は受付にそのことを言う。血圧が高い人はサウナにはあまり入らないのがよいというが、せっかくなので、つまりもったいないという意識が働いて、筆者は毎回水風呂と併せて1時間ほどサウナに費やす。裸になって風呂場に入り、すぐに体全体、また下半身を桶の湯で何度も流してからサウナ室に向かう。この「かかり湯」は銭湯に子どもの頃から行っている人は常識として身についているが、筆者が見かけたところでは、衣服を脱いだまま入って来て、そのまま湯船に浸かる人がたまにある。わが自治会の住民にもそういう人があり、そんな姿を見るとげっそりするが、自宅の湯船ではないのに、尻の穴やチ○ポを湯で洗わずに入るというのは、公共道徳が欠如していて、普段会ってもあまり話をしたいとは思わない。女でもそういうのがいるかと家内に訊くと、まさかとの返事で、家内が見る限りでは女はみんな下半身をざっと洗ってから湯船に入るようだ。だが、サウナ室の隣りにある水風呂では頭からすっぽりと水中に浸かる女性がいるらしく、家内はまだ一度もその水風呂に入ったことがないという。そう言えば、その水風呂に浸かるにも、サウナ室でかいた汗を流してから入るのが礼儀だが、毎日やって来る常連のおっさんは一度もそうしたことがない。お互い顔見知りにはなっているが、筆者は話したいと思わず、相手もそのようだ。小さな会社の経営者という雰囲気の小柄で小太りな60歳くらいの男だが、顔を見ればどの程度の知能かはわかる。毎日来ているので、自分の風呂と錯覚しているのかもしれないが、汗まみれのまま水にざぶんと浸かるから、水風呂の水しぶきがたまに口の中に入ると、食塩水のようにしょっぱい。それはみな汗で、汗まみれの水風呂であるから、家内が入りたくないというのももっともだ。とにかく公共道徳がさっぱり駄目な大人はよくいて、世界は自分のものと勘違いしている。
 そのおっさんがやって来る時間帯は決まっているが、筆者はいつも20分から30分早い。それでサウナ室でよく出会うが、筆者がもう終わりかけの頃にやって来るので、同室する時間はさほど長くない。筆者は最近はサウナに9分入り、その後水風呂に2分ほどという決まりを作り、それを4回繰り返す。以前は12分を3回にしていたが、時計が9分を過ぎて残り3分になった後がとても苦しく、そんな我慢をするのは血圧の高さもあって体によくないと思うことにした。9分なら余裕で入っていられるので、サウナ室に入っている合計時間数は同じようにして、9分を4回繰り返すことにした。それで今日はまずその最初の回が終わって水風呂に入っていると、素っ裸の毛むくじゃらの西洋人の長身男がやって来て、筆者の隣りの穴に入り込もうとした。水風呂は同時にふたりしか利用出来ず、体がすっぽりと入る穴が2個隣り合っている。筆者はいつもサウナ室に近い方を利用する。そこからならガラス扉の向こうの12分時計がよく見え、2、3分の時間がよくわかる。水に浸かって1分ほど経った頃か、その長身の男性が水風呂に入ろうとし、3段ほどある石段を上って片足を水の中に突っ込んですぐに引っ込めた。その様子がとてもコミカルで、明らかに筆者に向けて『こんな冷たいところによく入っていられるな』と訴えているようであった。それで筆者は隣りのサウナを示しながら、サウナに入った後なら気持ちいいと言った。半分英語交じりだが、それを彼は理解し、筆者が入るのについて来て、サウナ室でふたり切りになった。なかなかフレンドリーな男で、にこにこしている。数か月前、フランス人の30代前半の男とも話したことがあったが、今日はサウナ室に筆者らだけしかおらず、話が弾んだ。どこから来たのかと訊くと、ギリシアだと言う。イギリス人に見えたが、ギリシアとは意外だ。髭もじゃで、顔は細く、なかなかの男前だ。30歳くらいだろうか。とにかくよく話す男で、自分のことをいろいろと聞かせてくれた。姉が最近結婚したが、妹ふたりは未婚で、母と一緒にドイツに在住とのことだ。名前を訊くのを忘れたが、本人は7か月ほど前に福岡に着き、その後各地を転々としている。今は備前市にいると言っていたが、広島や大阪、東京、北海道など、かなり日本の各地を旅している。日本語を学んでいるとのことだが、全く話さなかった。しかも英語もあまりうまくはない。その調子ならドイツ語も駄目だろう。マケドニアの言葉はイタリア語に似ていると思うが、結局はラテン系で、陽気なのはそのせいでもあるだろう。嵐山駅前のホテルに泊まっているのかと訊くと、京都駅前から来たとのことで、嵐山観光のついでに温泉と考えたようだ。嵐山は4月と11月がシーズンで、今は景色があまりよくなく、台風も多いと言うと、そのことはよくわかっていたようだ。中国や韓国、タイにも多少住んだことがあるが、安全の点では日本が一番で、そこらで野宿していても大丈夫と言っていた。食べ物も人間も景色もいいので、日本の女性と結婚したいと思っているとも言っていたが、優しそうで陽気なので、すぐに彼女は出来るだろう。だが、日本はいいことが多いのに、決定的に駄目なところがあると言った。それは働き過ぎで、職場と家を往復するだけの人生と言った。旅行好きの彼からは確かにそう見えるし、またその意見は当たっている。日本は経済大国と言われるが、それは働き過ぎてのことであって、実際は貧しいと言わねばならない。
 人生は何のためにあるか。それは人それぞれで考えが違うが、伝書鳩のように働き詰めで、経済的に困らない老後を迎えるためと考えている人は、老後という人生が自分に確実にあると思っている点で、えらく呑気と言ってよい。これは前にも書いたことがあるが、ある独身女性が郵便局に勤務してかなりの金を貯めた。なかなか良縁がなく、40歳近くになったが、ようやく知り合った男は金目当てで、長年貯めたお金をごっそりと持ち逃げした。それで男不信になりながら、相変わらず郵便局勤めを続けたが、もうとっくに定年を迎えたはずで、あるいはもう死んでいるかもしれない。今まで何を楽しみに生きて来たかとなると、その女性なりの楽しみはあったはずだが、それにしても慎まし過ぎて哀れさを感じさせる。石橋を叩いてわたるのは賢いことかもしれないが、叩くばかりで結局わたらなかったという人生では、生まれて来た甲斐があるだろうか。それはさておき、サウナのギリシア人の話に戻ると、ギリシアは筆者は古代の美術でしか関心や知識がないが、そのことを言うと、自分はアレクサンドロスの故郷のマケドニアの出身だと返事があった。マケドニアがどの辺りにあるのか知識がないので、それ以上は訊かなかったが、それを察したのか、今度はアテネの話を始めた。姉の結婚式でギリシアに帰り、アテネに下りると、中国人観光客だらけで閉口したと言う。それは京都でも同じだと言うと笑ってうなづいていたが、中国人になぜ閉口するかと言えば、簡単に言えば「郷に入れば郷にしたがえ」ではなく、世界中どこへ行っても中国流で押し通すことだと言った。なるほどで、それは中華思想ゆえのことだが、それを西洋人もよくわかっている。話が弾んでいると、前述のおっさんがついにやって来て、サウナ室の下の段に陣取った。上段には筆者とギリシア人で、しかも英語で話し合っている。下にはそのおっさんが咳払いなどしながら、存在感を示し、またギリシア人はサウナの暑さにギブアップと言いながら、外に出て、またふたりで水風呂に使った。そしてまた入り、数分話したが、海や食べ物など、あれこれ話したので、ここには書き切れない。感心したのは、最後に、自分は友人を待たせているので、もう出なければならないが、いつか金を儲ければ筆者のキモノを買いたいと言いながら握手を求めて来たことだ。それはお世辞だろうが、自分の父親ほどの年齢の筆者にとても朗らかに接し、次々と話を継いで行くのは、よほど人慣れし、また人間好きな証拠だ。5人入れば身動き出来ない狭いサウナ室で、ふたり切りで話したことは、とても楽しい経験であった。お互い名前を訊かず、もう二度と会うことはないが、筆者はふと考えた。彼はアレクサンドロス大王の末裔で、東方遠征への思いの遺伝子を継いでいるのかもしれない。とすれば、狭いサウナ室でのふたり切りの話は、宇宙空間での得難い火花のような経験であったとも言え、そういう場を設けてくれた風風の湯に感謝すべきかもしれない。後で家内に訊くと、女湯には西洋人の若いアメリカ人の美女がふたり入っていて、家内は声をかけたそうだ。ギリシア人が待たせていると言った友人はそのふたりの女性だ。わが家がもう少し整理整頓され、客を招くことが出来るほどならば、彼らを一泊させてもよかったのに、ああ、ほとんど隣家も物で溢れ、蟹のように横歩きしてもつまずくほどになっている。
by uuuzen | 2016-10-06 23:59 | ●新・嵐山だより
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