●「いやな男のブルース」
いせいしたがために何か言ってやれという気持ちになることは誰でもある。言った後で苦味がじわっと出て来るのは、心優しい、つまりまだ人生の修行が足りず柔過ぎるためか。



先日は最近ブログの投稿にコメントとトラックバックが出来ない設定にしているが、それ以前の投稿は面倒なのでそのままにしている。そして、そういうコメント可能な投稿に、「上から目線の頭が悪い人」と、笑いを少しも誘わない書き方をされた。IPアドレスを調べると新潟からの書き込みであった。新潟には行ったことがないし、知り合いもいないので、知人ではないと思うが、そのコメントは女だと直感した。いやな女というのは、きっと男に愛されたことがないのだろう。それはブスだからというのがだいたいの見方だが、ブスは世間に対する恨みが強く、せいせいするために常に機会をうかがい、そしてネット時代にはそのことが便利になった。さて、ブスというのは顔もだが、心も醜い。顔はブスでも心が美しいのは、世間からもブスとは思われない。内面は外見に出て来るもので、美しい顔立ちでもブスな心を持っているのはわんさかいる。女は顔と言うが、それは美形だけを意味しない。心が悪ければ肝心の美しい顔にもどこか不自然さが宿る。もっとも、男にもブスは大勢いて、そんなことを考えない者もいる。結局、世の中はうまく回っていて、ブスは怨念を募らせ、隙あらば「トリカブトの根(ブス)」で相手をブスッと殺してやろうと思っている。ブスとは毒婦ということだ。そうそう、今日取り上げる曲名を英訳すると、「BLUES FOR TOADS」となるが、「TOAD」はヒキガエルのことで、これはいかにもブスッとしている。で、今日は日本の歌を初めて取り上げる。これは例外だ。今後はもうない。あるとすれば、何年も前から投稿を考えている数曲があるが、書かないかもしれない。筆者は日本の流行歌にほとんど関心がないが、聴く限り、どの曲も甘ったるいと思うからだ。60年代は世界的に見ても名曲が書かれたが、70年代以降の流行歌は全滅と言ってよい。今日取り上げる小林万里子の曲は、最近アルバムを買って知った。そのアルバム『ファースト・アルバム』は1980年6月に発売されたが、すぐに廃盤にされた。その音源が発掘され、ボーナス・トラックを足してCDとなったのは2006年だ。「いやな男のブルース」は81年2月28日、名古屋のライヴハウス「ウィークエンド」でのライヴだ。小林の最も有名な曲「朝起きたら…」は78年12月の発売というが、当時ラジオから盛んに流れ、商店街でも鳴りわたっていた。母が珍しくもその曲を、「面白く、変な曲やな」と言ったことを覚えている。その時の記憶が年々鮮明になる。2,3年おきにその記憶を思い返し、ネット・オークションでそのシングル盤を買おうかと思ったのがもう10年ほど前だ。結局買わず、また2,3年して急に思い出し、その曲を歌った女性は今何をしているのだろうと思いを巡らせた。たった1曲で消えてしまったのはなぜかとも多少考えたが、浮き沈みの激しい芸能界、1曲で消えてしまう人も大勢いるだろう。そうして、また2,3年経って思い出すということを繰り返したが、筆者のパソコンがどうにかYOUTUBEが見られるほどになったのが3年ほど前で、数か月前に「朝起きたら…」を検索すると、ぞろぞろと最近の曲を歌う姿を見ることが出来た。
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 ネットで小林万里子を検索すると、若いタレントなのか、同じ名前で別人の顔が真っ先に出る。それで選別するのは多少骨が折れるが、調べ進むうちにいろんなことがわかって来る。それらをここで繰り返しても仕方がないので書かないが、78年のレコード・デビュー当時以降、10年ほどブランクがあった。人間不信に陥って歌をやめていたようだ。再出発してから、『ファースト・アルバム』がCD化されたと思うが、昭和29年(1954)生まれであるので今62歳だ。『ファースト・アルバム』とはかなり声が太くなっているが、基本は何も変わらず、かえって過激さを増している。神戸生まれで、今は箕面市在住だが、『ファースト・アルバム』からは神戸訛りがよくわかる。箕面は大阪であるから、普段のライヴはもっぱら大阪京都が中心だ。だが、そのライヴについても去年4月以降、事件に遭い、馴染みの場所では演奏しなくなった。ま、そのことを書き始めると長くなるが、「いやな男のブルース」の歌詞そのままの事件で、いかの小林の歌の姿勢がここ40年近く変わっていないかがわかる。これは当然と言えばそうだが、稀有なこととも言える。『ファースト・アルバム』は井上陽水がプロデュースしたが、廃盤になったのは収録曲があまりに過激で、放送が危ぶまれたからだ。だが、廃盤になった時の小林の落胆ぶりはいかほどであったかと思う。ミュージシャンにとってアルバムは大きな勲章だ、それが公にされた途端、即座に撤回とは、その恨みをどこにぶつければいいだろう。だが、時代が変わって目をつける人が出て来て、小林はまた歌うようになった。さて、「いやな男のブルース」だが、小林にとっていやな男は少なくない。そういう連中を俎上に載せて歌い続けているが、年月が経った分、「いやな男のブルース」には収まり切らない政治家やタレントなど、敵とするに不足はない有名人が多くなった。「いやな男のブルース」で揶揄される男は、固有名詞ではない。どこにでもいるような「ええかっこしい」や「甘ったれ」、「調子乗り」たちで、この曲ではブルース・マンが攻撃される。格好をつけただけの、つまり自己愛の強い、自己顕示欲の塊のような男が「なんぼのもんじゃい」と嘲笑されるが、それは男としては少々耳の痛い女の本音でもある。筆者など、ドキリとして、自分がいやな男に見えていないかと、わが身を振り返る。だが、それを毎日したところで、「上から目線の頭の悪い人」と思う者がいるから、結局のところ、「いやな男のブルース」を聴きながら、笑うほかないし、またそれが正しい鑑賞の仕方であろう。「曲は曲、歌詞は単に歌詞で、娯楽だ」との考えだ。だが、小林の歌は普通の娯楽とは違う。楽しくあるべきという娯楽の基本を押さえつつ、小林はそれ以上の主張を盛り込まずにはおれない。
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 その姿勢はザッパにかなり似ている。筆者はここ数か月、YOUTUBEで見られる限りの小林の歌を聴きながら思ったことの最初はそれだ。ザッパはアメリカと分かちがたい存在で、ザッパのような音楽家、特にその歌詞は、日本で同じような考えと諧謔で歌う歌手は筆者は小林以外に知らない。それは筆者があまりにも日本の歌に無関心であるからだと思うが、それでもラジオやTVで流れて来る曲は、どれも無難な、つまりどうでもいいことばかりを歌っていて、聴き手を馬鹿にしているのかと思わせる。『ファースト・アルバム』は放送禁止になった曲を含むが、その放送禁止はそれを狙って書いたというのではなく、自分の思いどおりに書いて歌ったところ、放送出来ないと言われたのであって、では放送出来る曲を書きましょうとは、小林は転向しなかった。その非転向さは、終始一貫しているということだが、そこがすごい。そういう状態でどうして飯を食って行くか。芸能界に憧れ、多少でもそこで顔が売れた者はまずそんなことを考えるだろう。先に書いたように、『「朝起きたら…」のヒットの後、あの歌手はどうなったのか』と筆者が思い続けたのもそこで、「朝起きたら…」ほどの面白い、変な曲を書いたのであるから、その姿勢がそのまま成長し続ければいったいどんなミュージシャンになっているのか、「朝起きたら…」を知っている人なら一度や二度はそう思ったことはあるだろう。ザッパの歌詞はエロがえろう有名だが、政治についての曲もあるし、その他「いやな奴」についての歌詞が目立つ。繰り返すが、小林も全く同じで、またそれがアメリカならいざ知らず、日本では大いに反感も買うであろうし、まずラジオやTVではオンエアされない。そのことを小林はどう思っているのか知らないが、おそらくザッパと同じで、何もラジオやTVから嫌われることを積極的にしているのではなく、自分の思いどおりにしていることが、ただ関心を持たれにくいだけなのだ。転向しないことは、正直ということだ。だが、人はそれを馬鹿とも言うだろう。だが、馬鹿と呼ぶ「いやな奴」には言わせておけばよく、心の正直、自分らしさを売って有名になって、それが「いったいなんぼのもんじゃ」。先に、歌は娯楽と書いた。娯楽であれば、嘘八百を歌ってもいいか。大半の人、大半の歌手にはいいのだろう。だが、そういう娯楽はすぐにめっきが剥がれる。いや、娯楽とはしょせんそんなもんですよと、また大勢の人が言う。それに、いやな奴や政治家に文句があるなら、それを改める宗教家や政治家を目指すべきと、わけのわからん屁理屈を言う手合いも多い。だがね、娯楽であるから、権力をおちょくることは必要なのですよ。その方が、権力者には応えますからね。ザッパは最晩年に大統領選挙に出馬しようとしたが、その伝で言えば、小林はせめて市議になろうとする方がいいかもしれない。いやな政治家をやっつけるには、同じ土俵に立たねば無理だろう。だが、音楽、ブルースで世に出た小林が、相変わらず同じ世界で、さらに幅広く恨み節を面白おかしく歌い続けるのは、身のほどを知りつつ、また批判の精神を忘れない、つまり全くぶれることのない生き方で、これを格好いいと言わずして何と表現すべきか。
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 筆者は知らないが、東京で小林のようなミュージシャンがいるのだろうか。大阪は日本で最も嫌われている街のようで、そこを拠点にする小林の歌がだいたいどういうものかは予想がつくと、東京の人は思うかもしれない。やしきたかじんが東京に背を向けたように小林も東京嫌いかと言えば、ただお呼びの声がかからないから出かけないだけだろう。また、小林の活動を知っている音楽好きの大阪人がどれほどいるかだが、せいぜい数十名でいっぱいという場所で月に2,3回ライヴをするだけで、またそのライヴは半分ほどは馴染みの客のようで、知る人ぞ知ると言ってよい存在であろう。メジャーになるには大ヒット曲が欠かせないが、小林はブルース専門のような形でデビューし、今でもそれを最も得意とするので、日本の歌謡曲の世界ではメジャーになることは無理だろう。それで、ブルースを基調にしつつ、耳馴染むメロディと、風刺度を抑えた歌詞を書いて、もう少しファンの裾野を広げればどうかと筆者は勝手に夢想するが、そうしたメロディに関しては、現在の活動を見る限り、他者の曲のメロディに自作の歌詞を載せて歌う風刺、皮肉ソングが中心で、とにかくみんなを笑わせることに重点が置かれる。その立場はわかるが、笑わせながら、オリジナルのメロディが聴きたいと思う。2011年に2枚目のアルバムとして『朝起きたら…』のCDが発売され、それも筆者は買ったが、『ファースト・アルバム』とは録音は違うが、かなり曲がだぶる。それが少々不満だが、転向というのではなく、特定の個人を揶揄する歌詞ではなく、「いやな男のブルース」のように、時代に関係なく棲息するいやな奴らを叩く歌詞を、新しいメロディに載せて、曲を普遍化するという態度も見たい。ライヴではジャズのスタンダードをカヴァーしたCD-Rを販売しているので、筆者が知らないだけで、2枚のアルバムやライヴで歌われないもっといろんな曲がレパートリーにあるのかもしれない。それはそうと、客数が少ない小さなライヴだけでは収入は全く知れたもので、どのように生活が成り立っているのかと思うが、歌の生活でもトラブルに巻き込まれ、最近はようやくそのことを歌にする心の余裕が出来たようだ。先に少し書いたように、去年4月に小林は福井のライヴハウスで災難に遭った。それは10年ほど続けて来たパフォーマンスの最中での出来事で、小林は「ローハイド」のメロディに載せてSMセックスについての替え歌を歌いながら、鞭で客をしばき回っていたが、初めて共演した年配のブルース・ギタリストにその素振りを示した途端、その男は小林の顔面を殴り、小林の眼鏡が吹っ飛んだ。目に打撲を負い、しかも証拠となる眼鏡はいくら探しても出て来ず、警察に訴えても結局小林が悪いという結果になった。79年の名古屋で収録された「いやな男のブルース」でも、一緒に演奏したブルースマンから、演奏後に怒鳴られ、その声と、それに対して言い訳をする小林の声が収録されているが、去年4月の災難は、「いやな男のブルース」と概念継続している。
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 その暴力を振るわれたことは、小林の生い立ちや、一時期音楽活動を止めていたこととも関係するが、暴力的な男からすれば、そういう暴力を受けるにふさわしいことを小林がしていると理屈をつけるだろう。それは「いやな男のブルース」の最後の男の怒鳴り声でもいみじくも示されていて、小林は誤解されやすいということかもしれない。だが、それは小林のウィットが理解出来ないことと同義で、そういう男が小林からすれば、「いやな男」になる可能性を持っているとも言える。それはともかく、その暴力事件を小林は「オウンゴウルと仲間割れ」という曲にしてライヴで歌うようになった。どういうことかと言えば、去年4月の福井でのライヴの際、それまで小林と一緒にステージに上っていた西成を拠点に音楽活動をするミュージシャンが、小林に暴力を奮った男の行為を見ていたにもかかわらず、だんまりを決め込み、それどころか暴力を奮った側について証言をしたため、小林が悪いとみなされることになった。その後そのふたりの男は仲よくなり、行動をともにしているが、小林が言うには、いつかオウンゴールをして仲間割れを起こすことを期待するとのことだ。「いやな男」同士がつるみ、やがてまた喧嘩するというのはどの世界にもよくある話だ。政治家などは特にそうだろう。それはともかく、体を張って歌い続ける小林万里子だが、今が最も気力と迫力が充実している時ではないだろうか。彼女のライヴを8月6日と21日に見て来た。前者は西院、後者は祇園だ。どちらも最前列に座った。後者は先日YOUTUBEに2曲アップされ、その画面の左端に家内が映っている。筆者はその隣りで、カメラのフレームから欠けた。また後者は数枚写真を撮ったが、今日の最初の写真はピスタチオ小西というミュージシャの機材、2枚目は筆者の目の前に置かれた小林のハーモニカだ。中休みの際、持参した『ファースト・アルバム』のジャケットにサインをしてもらった。その画像も載せる。小林のライヴの楽しさは歌もそうだが、語りがなお面白い。それはアドリブだが、その最中の彼女は天性の才能を見せる。大阪の漫才や漫談の才能と言ってもいいが、やはりザッパの歌の途中の語りを思い出させる。先の歌の途中の鞭のパフォーマンスもザッパは70年代半ばにやったものだが、そう言えば、小林のレパートリーにザッパの有名な曲に日本語の勝手な歌詞をつけるというのはどうだろう。演奏が難しいかもしれないが、単純なコードの曲もある。それはともかく、小林はハーモニカも巧みで、また歌う姿はさすがオーラがあって輝いて見えるが、それは自分のしたいように自己表現をしているからだ。女でも男でもそういう人には簡単に話しかけられない自信が溢れているが、小林の場合、全く傲慢さとは無縁で、むしろ育ちのいい、知的な奥床しさがある。下品なようでいてそうではないところが、凄味であり、魅力でもある。また、小林の歌の魅力を知るにはライヴが一番で、YOUTUBEからは伝わらない迫力が間近で味わえる。筆者の紹介では何の足しにもならないが、彼女はもっと多くの人に知られるべきで、またもっと多くのライヴ、もっと大きな会場でそれをやるようになってほしい。まだまだ書き足りないが、今日はこれまで。
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by uuuzen | 2016-08-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪


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