●『魲万里絵 遠くて近い私の風景』
合どの時代のどのような画家も知っているつもりであっても、それはほとんど超有名な画家に限る。つまり、古典だ。そうではない存命中の画家となると、自分で個展を開く人はごく限られ、ごく狭い範囲の人にしか知られない。



d0053294_2118255.jpg99パーセントの画家は無名と言ってよく、かくて彼らの作品が古典として100年後にほとんどの美術愛好家が名前と作品を知るということにはならない。それでもこの瞬間も新たな画家が生まれて来るのは、描きたい、有名になりたいという欲求があるからで、それは人間の本能だ。有名になることは他者が関係するので有名になるという望みを獲得することは無理としても、描きたいとの思いは個人に属することで、時間と金があればどうにかなって行く。また、描きたいとの思いはすでに有名な画家であっても最初に必要なことだが、どのように描きたいかということで絵に違いが出て来る。その場合、学習期にある巨匠の画風に感化されて、それを追従するか反発するかといった立場から、ほとんど他者の絵に関心を払わずに描く方法まであるが、前者は美大芸大を出た人が普通にたどる道で、それが正統とされている。これはアカデミックな学習と言ってもよく、それは特に描くことと同じほどに絵画の歴史について学んで来た人が保持する立場だが、あらゆることが試されて来た絵画において、生きている間に認められ、それが大きな潮流とみなされる画風を確立ことは宝くじを当てるほどに難しいと言ってよい。芸術は人間の自由を表現するものであるのに、過去の巨匠、現代の流行などを横目に睨みながら、なかなか自由になれないのが、美大芸大を出た人たちではないだろうか。簡単に言えばしがらみにがんじがらめになって、身動きが取れなくなっている。書道の世界ではそれがもっと極端かもしれない。師の教えを守らねばならないという不文律があるからで、アカデミックな場所で学んだ人はよりそれに束縛される。これは前に書いたことがあるかもしれないが、数学がとても好きな人が、学校の先生から大学に進んで数学者になることを勧められた。ところがそれが許さない生徒で、就職しながら数学を独学し、数年経った頃に、自分が発見した面白い数学の考え方を先生に報告しに行く。だが、それは大学生が学ぶもので、目新しいことではなかった。このエピソードは、アカデミックな教育の重要性をよく示しているが、さて美術において以上の話が通用するだろうか。絵画は個人の表現であり、数学のように時代とともにわからなかったことが明らかにされて行くというものではない。つまり、アカデミックな教育期間は、これまでの美術の歴史や方法を教えてくれるだけであって、そうしたことをすべて学んだからといって、斬新なことが出来るとは限らない。それどころか、あらゆることはなされていると、落胆する場合が多い。何が言いたいかと言えば、美大芸大に行かなくても、自分の絵画は描けるということだ。これも前に書いたが、筆者は友禅染めをひとりで全工程をこなして作品制作が出来るが、友禅は美大芸大で教える先生がおらず、したがって型染めやローケツ染めに比べて芸術性がないといった見方がされる。自分が出来ない技術に対してのそうした蔑視は、美術の世界だけに留まらず、あらゆるところに蔓延している。また、それなりに努力して獲得した技術による表現というものが、同じように努力した人から批判されるのはまだわかるが、自己表現を真剣に考えたことのないアホがネットでそのアホさ加減を晒すという害毒を巻き散らせる時代で、表現ということの神聖さをつくづく考えさせる。描きたい欲求というのは、自己の中にかすかにしろ、聖なるものを感じ取っていて、それをどうにかして吐き出す行為と言える。そこがわかっている限り、作品はアカデミックな勉強をして来たかどうかは全く関係がない。それどころか、勉強して来た者に限って、自惚れが強くなって他者を侮ってろくな作品を描かない。だが、謙虚であればあるほどいいのかと言えば、そうでもない。芸術にはこうしなければならないという不文律はない。ゆえに美大芸大を出る必要もない。芸術はそういうアカデミックな機関だけが独占するほど小さなものではない。
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 さて、ボーダレス・アートミュージアムに行こうという気になったのは、企画展のチラシのデザインが目を引いたからだ。これまでは不思議とそういうことがなかったが、今回のチラシはデザインがなかなかよい。それは元の絵がいいということでもあるから、どのような画家で、また他の作品はどうなのかを確認したくなった。チラシの作品で目を引いたのは赤地に細い白の線が波上に密に描かれる様子で、それが戦前までの女性用のキモノの鹿の子絞りの列のようだ。そのことで女性の作品であると思ったが、中央に大きく書かれる「魲万里絵」の「魲(すずき)」が読めず、「鏝絵」の技術を用いた知的障害者の作品かと思った。会場の受付の女性に訊くと、知的障害者ではないとのことで、作者の魲万里絵という女性がフランスで作品が展示された際にインタヴューを受けたようで、小さなTVモニターに映っていたが、その顔を見ると、30代のごく普通の女性に見えた。今調べると、群馬出身で今年39歳だ。ほかに仕事を持っていて、描き始めて10年ほど経つ。絵だけでは食べて行けないということになるのだろうが、今回の展示はNO-MAのコレクションで、それに新作を加えたもので、NO-MAには買ってもらえている。そうなればほかにもほしいという人が当然出て来るので、そのうち絵だけで食べて行けるだろ。美大芸大で学んだのかどうかは知らないが、人物を正確にデッサンしたようなところを感じさせず、特別に学校で絵を学んではいないだろう。家内は受付の女性相手に、「草間彌生に似ている」と言ったが、誰しもそう思うだろう。ということは、このまま描き続けると、魲は第2の草間彌生となって世界的に有名になる可能性がある。またそうなってほしいものだ。草間は統合失調症を幼い頃に発症したとされるが、魲は高校生の時にそうなったという。そのために両者の作品に似通ったところがあるとも考えられるが、それを簡単に言えば、単純な模様を密に画面を埋め尽くす行為で、気が遠くなるほどの根気のいる作業だ。ただし、その密度さは魲の方が草間の数倍高い。手を抜くという思いがないことは両人ともでも、草間は国際的有名人になり、また年齢もあって描ける間に量産しておきたいという意識があるようで、近作を見ると、1点に費やす時間はかなり短い。それはいかにも自由自在の描き方で、解放感があって楽しい画面になっているが、魲の現在の絵は黒が基調になっていて、暗い印象が強い。ただし、それは黒人芸術の強さにも通じ、黒に対抗するだけの原色を氾濫させ、全体としてアフリカの黒人が着る衣装の生地のように見える。インドネシアの現代のバティックが魲に図案を描かせれば、それは派手な色が似合う黒人の服地として大歓迎されるのではないか。ぜひそのようなアプローチをしてほしい。また、そのことで魲の絵の価値が下がることはない。草間でも例の水玉模様をどんなものにも適用して表現している。その点に関しては魲の方が上手で、水玉以外にそれに相当する文様を無限に紡ぐ才能を持っているように見える。つまり、筆者が最初にチラシを見て感じた鹿の子絞りのような絵という思いは、そう的外れではなく、魲は文様の発明家と言ってよい。それは細部へのこだわりということでもあるが、そのことだけで魲を見るのは間違いでもある。
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 魲の絵がNO-MAに収蔵されるようになった経緯は知らないが、ネット時代であり、特異な表現をしているとそれなりに人の目にはつく。つまり、美大芸大出であるかどうか関係なく、まずは作品だ。だが、魲の絵が美大芸大出のそれと同じ土俵で並べられ、論じられるかと言えば、今の日本ではまずない。美大芸大の連中がそれを許さない。アカデミックな教育を受けた者とそうでない者を同列に置くなと激怒される。そういうことをNO-MAの人たちは知っていて、あえてこれまで注目されなかった「アウトサイダー」的な作品を収集しているのだろう。野間清六が専門とした美術の分野は知らないが、古代芸術に関心はあったと思う。そういう人なら、現代のアカデミックな芸術機関で生み出される芸術のみを評価したとは思えない。美大芸大が閉塞的となって来ているとは思わないが、そうしたところのみが芸術の主流を保持し続けるという自惚れを抱く限り、ろくな才能は生まれない。そして、そういうところにこれまで注目されなかった人たちの驚嘆すべき作品が美術館に収蔵され、外国とも手を結んで大きな展覧会を開くということは、ようやくまともで真に自由な芸術の時代が到来したと言えるのではないか。先に筆者は魲の描く人体が、正確なデッサンをしようとしたものではないことを書いたが、もともと魲にはそういう意識がなく、またそれは謗られるべきことではない。正確であろうが歪んでいようが、表現されたものはそれ自体で存在し、また存在感を主張する。それに意義を唱えたいのであれば、自分でまた自由に描けばいいだけのことで、魲の絵にアカデミックな見方を適用してあれこれ言うのは目が曇っている。絵というものは、わずかひとりでも気分よくなればそれで目的は果たしている。そのひとりは作者だが、他者がひとりでもいいと思うのであれば、存在価値はあるのであって、他者がとやく言うことはない。魲がどのような思いで大作をどんどん描き続けるのか知らないが、どの絵も0.1ミリ単位の粒に思いを込めている。あるいは無心で描いている。それは内面をさらけ出そうという、そしてどの絵も隅々まで等価値に時間を費やすという強迫観念とがない混ぜになったもので、前者と後者の思いが離反していないところが魲の作品の強みになっている。
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 スケッチブックから画用紙を剥がし、そのルーズリーフの穴が並ぶ部分まできっちりと同じ密度で描いてある几帳面さに筆者は驚いたが、もっと余白を多くした構図があっていいのに、そういう作品が1点もないところに、無骨さと言えばいいか、どれほど時間がかかろうと関係ないといった達観さが感じされる。これが絵で飯を食うとなれば、号いくらと評定され、画家本人も必ず手をいかに抜くかを考える。時は金であるからだ。そして有名になればその時は普通の人の何百何千倍になるが、画家はそれを当然と思う。なぜなら有名とはそういうことであるからだ。無駄に時間を使わず、効率よく使ってしかも最良の絵を描く。そういうことを美大芸大は教え、またそういう絵が描けることを知的ともてはやす。なぜなら、何も考えずにただ手を動かすことは誰にでも出来ることであるが、余白を考慮した洒落た画面を構成するためには、描くことと同じほど考え込む時間が必要であるからだ。確かにそういう絵が美術の歴史を作って来たが、そうではない自由が芸術にはあるはずだ。こうあるべきと言った時、もう芸術は形骸化している。だが、魲の絵が形骸化していないかとなれば、正直な話、筆者はわずか15分で1階と2階の作品を見たに過ぎないが、年代的な画風の変遷はわからなかった。まだ10年ほどしか描いていないのでそれは当然かもしれない。また、どれも黒を基調にカラフルなマジック・ペンで描いたもので、そのマジック・ペンの色合いに画風は多くを負っている。なぜマジック・ペンで筆と絵具を使わないのかは愚問であろう。マジック・ペンは0.1ミリの点描を可能にし、そういう緻密な作業が魲は最も気性に合っているに違いない。また、絵具ならが乾燥を待ったり、色合わせをしたり、即席という点では不便だ。勤めを持っている身であれば、いつでも作業を中断し、また始められる画材がよい。ただし、マジック・インクは今は質がよくなっていると思うが、褪色の程度はどうなのだろう。さて、魲の描く画題は、チラシによれば、乳房、性器、鋏と書かれているが、精液や汚物などのイメージも強い。そのグロテスクさがふてぶてしさのようなものにつながり、絵画を強いものにしている。人体は、みな太っていて、それは魲の自画像でもあるかもしれないが、太った体はがりがりに痩せたそれよりもユーモアがある。そのため、グロテスクさと快活さが魲の絵の持ち味となっている。大きな作品では数曲の屏風があるようだが、その製作時間を思うと誰しも気が遠くなる。金や時間を考えねば生きて行けない現代人からすればあまりに浮世離れした絵画だが、人生の大部分の時間を費やすという覚悟があれば、それなりに人を打つ、あるいは驚かせるに足る作品を生むことが出来る。どんな絵を描いても非難する人は必ずいる。何も出来ない者にアホに限って他者を貶めることに喜びを見出す。そうそう、5時に1階から出ようとした時、会場を訪れた人たちが自由に描くことが出来る、魲の下絵を用いた塗り絵の展示コーナーに気づいた。30枚か40枚ほど展示してあって、その中に魲の絵が1点だけ紛れ込んでいるとのことであった。受付を呼んでそれがどれかを問うと、筆者が指し示したものであった。その時受付は「さすが」と言ったが、筆者のことを知るわけのない者の言葉としては不適切だろう。だが、彼女は筆者がそれなりに表現に携わっている人物と思ったのかもしれない。それはともかく、数十枚の中から、魲の絵を見つけることは簡単であった。それほどに特徴的で、また他人が真似の出来ない雰囲気がある。今日の4枚目の写真の中央がそれだが、時間がなかったのか、緻密な文様を埋めるべき箇所にすべて赤で5と書かれていた。そういう未完成の絵は会場ではそれ1点で、それがまた面白かった。
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by uuuzen | 2016-08-28 21:18 | ●展覧会SOON評SO ON


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