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●『ボストン美術館 ヴェネツィア展 魅惑の都市の500年』
単位どころか、数十万の数の作品を所蔵するボストン美術館であるから、名古屋にその出張美術館が出来るのは納得が行く。ついでに姉妹都市の関係を結ぶ京都にも設けてほしいと思うが、名古屋はたぶん金をたくさん支払っているのだろう。



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それに東京と京都の間にあって、日本の中央ということを名古屋は宣伝したかもしれない。それはさておき、筆者は4年前の2月に名古屋市博物館で『世界遺産 ヴェネツィア展』を見てこのブログに感想を書いている。去年か2年前にも京都文化博物館でヴェネツィア展があったが、それには行かなかった。今回は滋賀守山の佐川急便が建てた美術館で開催されると知って、筆者がすぐに思い浮かべたのは、同館が水深は浅いが水の中に建っていて、そのことがヴェネツィアを連想させることだ。それで今、同展の会場でもらって来た見開きのチラシを見ていると、表紙はチケットにも使用されたカナレットの「サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂:サン・マルコ沖に望む」で、裏表紙は佐川美術館の写真が使用されているが、今日の最初の写真に示すように水辺と空が同じ色合いになっていて、水平線が一致している。つまり、佐川美術館の特製を活かした展覧会ということで、筆者が最初に思ったことは正しかった。これは夏休みに佐川美術館を訪れると、ヴェネツィアに行った気分に多少はなれますよということで、筆者はそれが面白いと思ったので出かけた。ボストン美術館から借りた作品であることは今知ったほどで、てっきりヴェネツィアの観光局のようなところから、レンタル出来る二、三流の美術品をパックにして借りて来たと思った。二、三流というのは、2年ごとにヴェネツィア展が開催されているからで、そんなに頻繁ではヴェネツィア市は貸与出来る美術品を表にし、世界中からの申し出に対処しているはずと考えるからだが、ボストン美術館となれば、やはり二、三流のしかも三流どころに傾くのではないか。見て来た感想を素直を言えば、名古屋市博物館での展覧会の方が面白かった。まただいたい同じジャンルから出品されていて、日本が求めるヴェネツィアのイメージは固定化しているようであるし、ヴェネツィアの方もこうした展覧会をきっかけとして実際にヴェネツィアに観光で訪れてほしいだろう。またそう考えると、外国におけるたとえば京都展がどれほど開催されているかだ。またその出品作品は誰がどう選定しているのだろう。日本で2年ごとにヴェネツィア展があるならば、ヴェネツィアでも2年ごとに日本を紹介する展覧会がないことには不公平ではないか。また、そうした展覧会に際して、どういう作品が貸し出し出来るかを、文化庁が専任の人材を確保し、日本中の美術館や所蔵家からすぐにでも借りられる「二、三流」の作品目録を作っておくべきと思うが、たぶんそんなことにはなっていない。
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 先日安藤忠雄の最近の業績を紹介するTV番組があって、現在安藤はヴェネツィアのサン・マルコ寺院の2階を美術館に改造するための計画案の依頼を受けていると語っていた。ヴェネツィアには大きな美術館がないのだろう。それがヴェネツィアを代表する有名な寺院の外観はそのままで、内部を美術品が展示出来る廻廊に改造するのはなかなかいい案で、これまでなぜ思いつかなかったのかと思う。また、ヴェネツィアにそうした美術館が出来た時、展示するにふさわしい一級品がたくさんあるかと言えば、あまり期待出来ないだろう。それでも2階からの眺望は素晴らしいはずで、それを売りにすれば新たな観光客を呼ぶことが出来る。またそのためには奇抜なアイデアを持っている建築家がよい。それで安藤忠雄が決まったのではないか。もっと言えば、ヴェネツィア市はもっと日本から観光で来てほしいということで、その期待にある程度応えたのが本展であろう。作品はボストン美術館からの借用で、ほとんどイタリアは関係ないかもしれないが、チラシを見ると、後援としてアメリカ大使館の次にイタリア大使館が上がっている。本展は図録が製作されず、それが少々物足りないが、佐川美術館独自の企画展で、予算のつごうがあったかもしれない。だが、佐川美術館が思い切って本展を開いたのは、金の力もさることながら、これまでにない英断のような気もする。2年前にわが自治会のとある喫茶店に、50代の男性がひとりでコーヒーを飲みにやって来た。嵐山に観光に来たのだが、目の前に壁に自治会住民の大志万さんの大きな絵が飾ってあって、その人はそれについて質問し、やがてその人が佐川美術館の創設に携わったことがわかった。そこで筆者は最近の同館は子ども連れを狙ったような展覧会が目立ち、すっかり関心が失せたと正直な思いを伝えたが、その人は同感と言った。だが、館としてもいろんな展覧会をしてもっと知名度を上げる必要がある。渋い内容ばかりでは、閑古鳥が鳴きっ放しで、経営はなおさら苦しくなる。だが、今回のヴェネツィア展は久しぶりにまともな内容と言えばいいか、筆者は見たいと思った。そして、水の都のヴェネツィアを紹介する内容であるからには、琵琶湖を存分に味わうため、琵琶湖大橋を歩いてわたるのがいいと決めた。何か目的が出来た時、苦しい方法の方が感動が大きい。苦労した甲斐があったと思えるからだ。その点、金持ちは幸福の深い味を知らず、不幸だ。
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 さて、あまり期待しないで出かけた本展で、結果的に最も印象に残った作品はチラシやチケットに印刷された前述のカナレットの作品で、しかもその右端のサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂のファサードだ。定規を使って正確に引かれた細い線と象牙色による陽射しは、写真以上に実物らしく見えた。とても小さな作品で、聖堂全体がはがき大ほどだ。日本では写真のように微細に描く写実主義絵画がここ30年ほどはまた急速に人気を盛り返しているが、それらはたいていは美女か樹木などを画題にする。それらも悪くはないが、見ていて恥ずかしくなる絵が多い。技術的に下手であるからではない。緻密に描く技術はきわめて卓抜だが、絵の内容がない。つまり、技術の浪費で、画家にならなくてもいい器用な人が技術誇示のために描いているという感が強い。カナレットも当時はそう思われたかもしれない。ヴェネツィア派はもっと絵具をざくざくと塗り、間近で画面を見ると表現主義的な場合が多い。そうした典型的なヴェネツィア派にカナレットの絵を対比させると、カナレットは写真がまだない時代に絵はがきのように、つまりヴェネツィアに旅した記念に買ってもらえるような絵を量産したとも考えられる。おそらくそうだろう。だが、本展の最後のコーナーにヴェネツィアを主題にした写真家の作品が数十点紹介されていて、それらはカナレットの絵とは全く異なっていた。観光写真のような写真はカナレットの絵以上には撮影出来ないと最初から諦めていたのかもしれない。もっとも、写真初期の白黒写真ではカナレットの絵に描かれる建物をそのまま撮ったようなものが目立つが、戦後の写真家はもはやそうした写真は撮らない。それでいてヴェネツィアであるという方法を採るのだが、そこにはヴェネツィアに対する特別の愛情はなく、自らの個性の主張のみが目立つ。カナレットはそうではなく、写真が登場してもそれでは不可能な、つまり写真以上の絵画を描こうとした。それはどのような画家にも言える。写真は一瞬を切り取るが、絵画は描くものを決めてそれらを構成するからだ。つまりカナレットの絵は写真のようでいて、写真では不可能な景色となっている。カナレットはあまり重視されない画家だが、職人的過ぎるからだろう。それはわかりやすいということでもあり、それで本展ではチラシやチケットに作品が選ばれたが、最もヴェネツィアらしい画家とも言えるからでもある。
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 本展は第1章「比類なき都市」、2章「描かれた祈り」、3章「ヴェネツィア様式」、4章「芸術家たちを魅了する町」という構成で、2章は有名なティツィアーノやロレンツォ・ロットらの大きな油彩画やまた木版画や銅版画がたくさん並んだ。それらはみな宗教画で、あまり関心のない人にはどれも似て見えるだろう。だが、油彩画はガラスに隔てられずに鑑賞出来、画学生は涼しい展示室でじっくりと描法を確認出来る。日本にはほとんどない絵画であるだけに、たまにはこうしたキリスト教絵画もいい。3章は交易で栄えたヴェネツィアの他のジャンルの絵画や工芸品で、これは4章とともに最も面白かった。チラシにはこれもよく知られるヴェロネーゼによる、ギリシア神話に題を採った一種の春画とも言える解放的な横長の油彩画が3点セットで展示され、当時の富裕層のくつろぎの部屋が想像出来た。そうした金持ちがどういう服装を好んだかの紹介もあって、笑ってしまったのは、高さ15センチほどの底のついたサンダルだ。これはそれだけすらりと背を高く見せるために流行したが、ひとりでは危なくて歩けず、介添え者がいたそうだ。そこまでしてこういう変わった靴が流行ったのは、美への憧れと、平和であったからで、現代でも同じようなファッションがたまに流行り、人間が百年単位の年月では変わらないことがわかる。4章はコローやモネの意外な作品があり、さすがボストン美術館だ。そうそう、ヴェネツィアとボストンは関係が深く、ボストン美術館が出来た19世紀、アメリカにはイタリア美術の愛好家が大勢いて、ある銀行家はヴェネツィアの古い邸宅を購入して修復した。別荘のようなものだ。そこにその銀行家の親類のサージェントやまたホイッスラーが訪れ、サロンが形成された。本展ではホイッスラーのヴェネツィアを描いた作品が数点あったが、それらは白黒写真と日本の墨絵を足して2で割ったような渋い表現で、今さらながらホイッスラーの東洋趣味に驚いた。モネはヴェネツィアに短期滞在し、連作を10数点であったか、描き、そのうちの1点が本展に並んだ。モネらしいタッチで、どこの何を描いてもみな同じ画風になった。珍しいところでは、日本の風景画家の吉田博がヴェネツィアを訪れ、浮世絵風な作品を描いている。そのまま切手の図案になりそうで、またどこか版画家のシュマイサーの作も思わせ、20世紀になると、ヴェネツィアがアジア人も描く国際都市になって行ったことがわかる。その延長上に本展のようなヴェネツィア展が頻繫に開催される。ストラヴィンスキーやザッパも訪れたヴェネツィアに筆者もいつか行ってみたいが、安上がりに琵琶湖大橋を歩いてわたり、佐川美術館で本展を見た。館内はとても冷房がよく効いていて、炎天下を1時間ほど歩いて吹き出した汗がみんな乾いた。今日の2枚目の写真は、佐川美術館北のラヴ・ホテル地域の脇を流れる川面で、菱の葉がたくさん繁茂していたので撮った。実がそろそろ出来ている頃だろう。そばに釣り人がいたが、菱が邪魔をするのではないか。
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by uuuzen | 2016-08-26 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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