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●神社の造形―白雲神社
接な関係の代表は夫婦だろうか。親子だろうか。親は血がつながっているが、配偶者はそうではないので、密接を言えば親子の方が強いかもしれない。そんなことを夫婦喧嘩の時に口走ると離婚の原因になる。



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筆者と家内は仲がよいと周囲から言われるが、ふたりともあまりそうは思っていない。お互いそばにいるからいるだけといった存在で、気づけば30数年も一緒に暮らしている。そのほかに密接な関係と言えば親子や兄弟姉妹、親類、友人と広がって行くが、人間はある程度は生まれながらにして密接な関係を持つ社会が決まっている。身分社会であった頃は特にそうだ。士農工商の身分がなくなったとはいえ、明治時代に「新平民」とされた人たちへの目に見えない差別はあるし、一方では筆者が大嫌いな大阪のある政治評論家は、宮家を江戸時代のように復活させ、それなりの生活の面倒を見るべきと発言する。つまり、身分社会があると言うか、それへの憧れが根強い。そのためかどうか、若い女性は結婚相手に医者を望む場合が多く、社会的地位も金もある者に対する羨望は永遠のものと言ってよい。誰が好んで貧乏人と結婚するだろう。女は器量がよければ貧乏であっても金持ちに嫁ぐことが出来ると思っているので、男として生まれると、女を得るためにはある程度は立身出世の夢を抱かねばならない。だが、生まれ落ちた貧しい家柄を跳ね返して大成するには、それこそ億単位の精子からただ一匹が卵子に到達するのと同じほどの確率だ。それを知りながらもその他大勢の精子が卵子目がけて突進するのと同じように、男の人生というものは最初から敗北が決まっているように悲しいものだ。そのため、その敗北の中に真の充実を見ようとし、またそれが格好いいことであると理屈をつける。そのことがまた悲しいのだが、そんなことを言えば男が当たらない、つまりあまってしまった女も同じだろう。今はそんなことを思わずに独身を謳歌する風潮が強いが、それも若い間で、50、60になるともう取り返しがつかない。いや、女の場合はもっと早い。さて、前置きが全然関係ない話になった。全然でもないか。今日取り上げる神社は昨日に続いて同じ日に見たが、予め御所の内部にどういう神社がどこにあるかをヤフーの地図で調べて印刷した。もちろん御所の神社というのは、山崎の郷土玩具収集家のMさんから聞いた女の生首を描いた絵馬がかつてあった神社で、それがどこかはわからない。筆者は京都生まれではないので知らないだけで、京都人にとって「御所の神社」と言えば、即座にそれがどこかを思い浮かべるのかもしれない。そのこともわからないまま、とにかく順に回って見ることにした。
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 京都では御所と呼ぶが、正式には京都御苑だ。家内と結婚する前、京都でデートをしたことがあり、その時に御所の中の芝生のようなところでくつろいだことがある。昼間であったが、ほかにも同じようなカップルがいて、みんな気にしていなかったと思うが、今ならスマホで盗撮されるなどしかねず、そんなところでしばらく座っているカップルはいないかもしれない。それはともかく、御所に入って誰もが驚くと思うが、紫宸殿のある区域は土塀が巡らされ、当然その内部は入ることは出来ない。春と秋の特別公開の日のみ、門が開かれ、中に入ることが出来るが、それでも紫宸殿を外から眺めるだけで、御所は敷居が高い。それに反してと言えばいいか、土塀の外は砂利が敷き詰められ、またその中に一本の細い自転車専用の道筋が出来ている。そして、その砂利の幅広い道と言えばいいか広場と言えばいいか、その区画のところどころに芝生や植木その他、いろんなものがあって公園のようになっている。御苑と呼ぶのはそのためだろう。御所はもともとそのように公園になっていたはずはない。土塀の外側は宮家や公家の邸宅が建っていた。その数が200ほどというが、今はすっかりそれらの建物はなくなって公園になっている。そうなったのは明治だ。明治天皇が東京に移住したことに伴なって、ほとんどの宮家や公家は一緒に東京に引っ越した。和菓子屋の有名なとらやもそうだが、とらやは今でも京都に店を持っている。だが、宮家や公家は天皇のいない京都に住んでも仕方がなかったのだろう。また京都に住み続けるほどの経済力もなかったのかもしれない。新たな身分として華族が設けられたが、それも戦後は廃された。それに没落して行った華族は多く、そういう家の娘は新興の成金に嫁いだりしたが、いい家柄を持たない成り上がりは金で身分のよさを買うというのはいつの時代、どの国でも同じだ。それで、成金も三代目となれば、それなりに教養も身につき、いい育ちを自慢するようになるが、人柄というのは、たとえばTVの画面を見るだけでも感得出来るものであって、何を考え、どう生きているかで結局は人の密接なつながりは出来て行くのではないか。また脱線した。
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 江戸時代の御所がどのようであったかを想像することは難しい。御苑として広大な土地をそのまま公園のようにして残したのは、天皇が京都に戻ることがあるかもしれないと、当時の政治家が考えたからでもあるだろう。東京に遷都したので、もう京都に住むことはないが、行幸して京都に立ち寄ることはあるはずで、その際にまさか民間のホテルに宿泊するわけには行かない。それで御所はそのまま残され、また宮家や公家の邸宅は撤去されて空地とされたが、それは御所の外で火事が起こっても類が及びにくいとの考えでもあった。さて、邸宅が200ほども並んでいたのであるから、神社がいくつかあるのは当然であろう。神社まで東京に引っ越すべきという考えもあって、一旦東京に遷し、その後また京都に帰って来た神社が別の場所にはある。神社はけっこう引っ越しは出来るもので、ある特定の場所から絶対に移動出来ないという場合の方が少ないのではないか。御所内の神社はまず白雲神社を訪れたが、樹木が生い茂り、陰鬱な感じがした。また、社務所に相当する建物が民家の風情があり、70代とおぼしき男性がずっと外に出て、参拝に訪れる人を無言で睨んでいて、その点も陰気臭かったが、御所内の神社ということで、過激派の襲撃を受けるかもしれないとの達しが警察や公安などからあるのかもしれない。筆者は何の前知識もなしに、手当り次第に神社を訪れているだけで、写真を撮ればもう用はなく、後はこうして文章を書く時に、多少ネットで調べるだけだ。そのことで初めて知る事柄が多いが、白雲神社もそうだ。前知識を仕入れてから出かけた方が、見るべきものをしっかりと見られるが、筆者は展覧会でも映画でも、ほとんどあえて前知識を拒否して鑑賞する。その方が新鮮でよく記憶出来ると思うからだ。それでこの白雲神社だが、第一印象はまず陰鬱で、またなぜこのような神社が御所の中にあるのかという謎であった。この神社は公家の西園寺家の邸宅跡にあって、西園寺家の移転に伴って神社が移転しなかったのは、京都との密接なつながりの歴史があったからであろう。西園寺と言えば公望が創立した立命館だが、最初に塾を開いたのはこの神社の地とされる。そういう経緯があればなおさらこの神社を東京に遷すことは出来ない。
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 さて、今日の3枚目の写真はこの神社にあった絵馬だが、最も多いのは琵琶を弾く弁財天だ。その次が琵琶で、そのほか、白の犬やウサギ、猪が見えるが、これらは干支のもので、毎年順番に売られるのだろう。弁財天に混じって女の生首というのはあまりふさわしくないから、山崎のMさんの知り合いの絵馬収集家はこの神社でそれを見かけたのではないだろう。だが、弁財天は女の神で、また音楽を司るから、女性音楽家を怨んだ人物が女の生首の絵馬を奉納したかもしれない。また、奉納とはいえ、神社に黙って絵馬をぶら下げたのであろう。それを見た宮司はそれを勝手に外すことは出来ず、月日が経って燃やそうと思っていた矢先、絵馬収集家が持ち去ったというのが実情と思う。干支がみな白で描かれるのは、伏見稲荷の白狐もそうだが、霊は透明で、色で描くのであれば白となるからで、また白雲にかけているかもしれない。なぜ弁財天かと言えば、ネットによれば仏教の弁財天を祀るからで、これは日本の水の神の市杵島姫命(いちきしまひめ)と習合している。西園寺家は琵琶を家業とし、それで琵琶を弾く妙音弁財天を祭神とするに至った。そして、13世紀の初め頃に現在の金閣寺のあった場所に妙音堂を建てたが、その後西園寺家の盛衰に伴なって経変遷し、紫明通りの南にあった赤八幡京極寺に鎮座、18世紀半ばに現在の白雲神社の地に妙音堂が再興された。そして、絵馬に描かれる妙音弁財天は重文に指定され、また琵琶を持つ姿の日本最初のものだと言われる。琵琶はギターと同じ弦楽器であるので、ギタリストやヴァイオリニストが絵馬を奉納すれば技術上達の御利益があるだろう。弁財天はまた白蛇を眷属としていて、白雲神社でも白蛇を描いた絵馬もあるが、毎月巳の日にお祭りがある。そうそう、この神社と家内は密接な関係にあるかもしれない。家内が生まれる前、家内の母は弁財天の夢を見たそうだ。それで音楽の道に進むのが本当はよかったが、小学生の頃にピアノとヴァイオリンを習っただけで、音大に進む経済力、また親の理解がなかった。家内はまた巳年でもあり、この白雲神社には一度お詣りしておいた方がいいような気がする。今日の4枚目は摂社か末社だが、脇に赤い鳥居があるので、稲荷系か。5枚目は本殿奥にあったが、祭神はわからない。
●神社の造形―白雲神社_d0053294_23434194.jpg

by uuuzen | 2016-04-27 23:59 | ●神社の造形
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