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●『京都モダン観光の誕生~嵯峨・嵐山の近代』
イビーとメタルを足した音楽がメタルの熱烈なファンからは邪道とみなされていることに対し、メタルの大御所はそんなことを言う連中はメタルをわかっておらず、日本のベイビー・メタルこそ、真のメタルであると意見したというニュースが先日ネットに載った。



●『京都モダン観光の誕生~嵯峨・嵐山の近代』_d0053294_18457.jpg日本は昔から外来文化を咀嚼して独自のものにすることが得意だが、ベイビー・メタルも日本ならでは折衷主義で、その異質のものを混ぜるところに新鮮さがある。では何でも混ぜればそうかと言えば、たぶんそうだが、新鮮すなわち歓迎されるとは限らない。カクテルがどんな酒をどのように混ぜてもおいしいかと言えば、そうならない場合もあって、混ぜることに意外性があって、またそれが面白くなければならない。京都は古都であるので、特に寺社仏閣はたくさんあって、それが観光に大きな役割を担っているが、古いものが今でもあることは、古いままである一方で、古さが新しいと捉えられる側面もある。だがそれは、特に若者が知識や経験が乏しいだけで、初めて見るものであれば何でも新鮮と思うことによる。つまり、古いままの寺社仏閣であっても、毎年新しい世代が湧いて来るから、そういう人たちには新鮮に映るだけのことで、寺社仏閣がしいて目新しいことをする必要はなく、古いものをそのまま保存するだけでよい。ただし、それはなかなか難しいことでもある。風化を避けるために定期的な修理は欠かせず、その費用をどう捻出するかの大問題がある。そのため、寺社仏閣は古いが常に新しい状態を保つ必要のあるもので、若い世代だけではなく、老人たちにも関心を持ってもらう必要がある。またそれには何らかの宣伝めいたことが欠かせないから、長い伝統のある寺社仏閣もその伝統だけでは経営が難しい。とはいえ、ベイビーとメタルを合体させるような目新しいことは出来ないから、いろいろと知恵を絞るのだが、つい先日見たTV番では、大阪のどこの寺か忘れたが、本堂脇の鉄筋コンクリートの建物でバーを開き、カクテルその他の酒を住職がバーテンダーとなって振る舞ったり、また本堂内部をディスコにして若者に思う存分飛び跳ねてもらったりするなど、仏教とはほとんど関係のないと言えるような、檀家その他の娯楽施設として使っている。そこまで寺がする必要があるかと思うが、浄土真宗ではそういうことも許されるのだろう。ともかく、背に腹は代えられないという言葉を思い出し、世知辛い世の中であることを痛感する。京都の寺はそこまでやらないかと言えば、そうでもなく、似たことをしている寺はある。結局は金で、それをいかにして集め、経営に活用するかだ。
●『京都モダン観光の誕生~嵯峨・嵐山の近代』_d0053294_1841984.jpg

 さて、今日は去年8月15日に見た展覧会について書く。とはいえ、ほとんど見るべきもののない内容で、さして書くことはない。そのために先のようなどうでもいい話を書いた。天龍寺の南に、任天堂が寄附した施設の時雨殿がある。ここはなかなか立派だが、常設展示がメインで、特別展は面白いものがない。というより、規模が小さい。特別展用の展示スペースが狭くて、申し訳程度の資料しか展示出来ない。何もやらないよりはやった方がましとの考えなのだろうが、常設展だけではリピーター客が望めず、企画展を併設することでまた来てもらおうとの考えだ。これはどの美術館や博物館でもやっていることで、時雨殿もいちおうそういう展示施設と同じと言える。わが家からは歩いて往復出来るところにある施設の割りに、おそらくわが自治会ではこの建物を訪れたことのある人は数人程度だろう。ということは、地元住民よりも観光客相手の建物だ。小倉山の麓にあるので、小倉百人一首に関する資料を展示しようということで建ったのだが、任天堂らしく、それらの和歌をハイテクのゲーム感覚で楽しめるようにしてある。つまり、和歌は古い人間向きで、若者にはほとんど関心が持たれないから、ゲームを通じて百人一首に馴染んでもらおうとの考えだ。それがどこまで成功しているかは、はだはだ疑問で、先日から始まったポケモンGOと違って、時雨殿の内部でのみごくささやかにその世界に触れてもらうに過ぎない。和歌で言っていることは今の人間にも当然そのまま理解出来るが、言葉がほとんどわかりにくくなっていて、若者にとっては英語より難しいだろう。その傾向は今後拍車がかかることは間違いがなく、英会話はそれなりに出来てもさっぱり平安朝の文学に関心がないという日本人ばかりにいずれなる。その時、この時雨殿はどうなっているかと言えば、ホテルか旅館にでも転用しているだろう。話を戻して、今日この展覧会について書こうとしたのは、ヤフーのマイボックスで写真を見つけたからで、先日投稿した愛宕山の千日詣りの写真とほとんど同じ名前で保存していた。そして去年この展覧会に行ったのは、企画展が面白そうだと思ったことと、千日詣りに行ったばかりで、愛宕山について多少関心があったからだ。もうひとつ理由を書くと、西京極の骨董業者と去年7月に話をした時、筆者はこの展覧会の話題を出した。そして、展示される資料は阪大教授のHだと言うと、その業者は昔からHをよく知っていて、たくさんの資料をこれまで売って来たと教えてくれた。つまり、今回の展示資料の幾分かは、その骨董業者が発掘して来たものだが、どれも印刷で、骨董的価値は乏しい。古書店を地道に回れば今でも比較的安価で買える。ただし、Hは万単位の数の収集を誇るから、一夕一朝では無理だ。その万単位の数の中から、今回は嵯峨嵐山に因んだ絵はがきや地図、施設のパンフレットなどの資料を並べたが、嵯峨嵐山の戦前のことに興味がある人には楽しいものであった。だが、どれも地味なもので、またたまに古書店で同じようなものをよく見かけるので、美術品を見るような楽しさはない。レトロなグラフィック・デザインに関心のあるデザイナーなら多少参考になることもあるだろうが、商品のポスターやチラシではないため、美的なことを重視したデザインはない。つまり、嵯峨嵐山はただの田舎で、見るべきものがさしてなかったことがわかる。それは、言い換えれば、今でも嵯峨嵐山は何も変わっておらず、渡月橋や竹林があるだけということだ。
●『京都モダン観光の誕生~嵯峨・嵐山の近代』_d0053294_1843592.jpg

 今日の最初の写真は展示室前にあった撮影用のパネルで、渡月橋の前にたたずむふたりの和装と洋装の女性を描いた絵はがきか何かの印刷物を拡大複製している。戦前のものであることはイラストのタッチからわかるが、背景の紅葉の嵐山と渡月橋は写真で、手前のイラストと合成したのだろう。これの元ネタが展示されていたが、和装の女性の顔を刳り抜いたのは、そっちの方が美人度が低いからではない。筆者の記憶では洋装の女性の方が見ていられない。だが、嵐山や嵯峨でキモノに着替えて散策することが流行している現在、こうしたパネルでは和装が珍しく、その首に自分の顔を嵌め込んで撮影することの方が歓迎される。この元ネタが印刷された時代はまだそうではなく、和洋が拮抗していた。それが今ではすっかり勝敗がつき、和装はごくたまに試してみるだけのものとなった。和装と洋装を合体させた独自の服飾文化が今後生まれるかとなると、もうそれは無理だろう。和が洋に近づき、またその逆もあったが、衣服の形はすっかりTシャツ文化に敗退し、和の存在は模様にしかほとんど残っていない。筆者らが訪れた時、他の来場者は2,3人で、時期にもよったのだろうが、時雨殿自体がどのように経営が成り立っているのかと首をかしげるほどの閑散とした状態であるのは間違いないだろう。ゲーム感覚で百人一首という目論みは全く外れたであろう。ポケモンGOのように、百人一首を現代の新しいキャラクターと遊び方に結びつければ若者に対する認知度も高まるだろうが、そこまでして和歌を復活させる必要もない。もともと庶民からは多少離れたところにあるのが和歌で、時雨殿も入場者の少なさを最初から予想していたのではないか。2枚目は愛宕山にあったケーブル・カーの写真の絵はがきだ。愛宕山には戦前ホテルや遊園地があった。それが戦時中の鉄の供出のために線路が剥がされ、ホテルも遊園地も廃業した。今からそれを復活させられないかと思ったりもするが、遊園地は無理だろう。八瀬にあったそれもなくなったし、もう小さな遊園地は経営が成り立たない。ではホテルはどうか。愛宕山からの京都市内の眺めは今日の4枚目の写真からもわかるようになかなかよい。この夜景は去年の千日詣りに撮ったもので、8時半頃だ。ホテルがあった正確な位置は知らないが、おそらくこのような夜景が見えた。ただし、戦前ははるかに灯の数は少なく、また戦時中はほとんど真っ暗であった。愛宕山のケーブル・カーやホテルについては当時の絵はがきやパンフレットなどで伝わるが、今でもホテル跡はあって、そこに立てば往時を偲ぶことが出来るようだ。ケーブル・カーやホテルがあった頃が愛宕山の全盛期ではないだろうか。戦後も千日詣りは盛んだが、登山好きな人に限られる。渡月橋北詰めから東200メートルほどのところに終点の駅があり、それが清滝まで行く、そこからケーブル・カーにつながって愛宕山を登ることが出来た。つまり、渡月橋からそのまま山の上まで行くことが出来た。それほど愛宕山が身近であったのに、今では歩くほかない。去年の千日詣りで筆者が歩いたルートを地図上に青で記した。ざっと測ると6キロほどで、たいしたことはないが、登山道は数倍しんどい。それはともかく、戦前の嵐山嵯峨の方が、今よりモダンであったことが、2枚目のケーブル・カーの写真からわかる。ということは、今はモダンと思われていることも、半世紀先にはなくなっているかもしれない。古都の京都にはその方がいいのではないか。
●『京都モダン観光の誕生~嵯峨・嵐山の近代』_d0053294_1844649.jpg

by uuuzen | 2016-08-07 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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