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●水禍防止パトロール
が子どもの行動をしっかりと見ていればいいが、なかなかそうも行かない場合がある。夫婦がパチンコに夢中になっている間に幼い子が誰かに連れ去られたという事件が昔あった。



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先日は2歳の子を車の後部座席に置いたまま朝9時から午後の5時まで気づかずに死なせてしまったニュースがあり、ちょっとした油断で子どもが犠牲になることはこれからもなくならない。子育ては手間のかかることで、またその手間をかけることが楽しいと親がどこかで思わねば、子育ては出来ないだろう。ところで、家内は紙おむつが大嫌いなようで、30数年前に息子が生まれた時も布製のおむつに固執した。紙おむつが嫌いな理由は、子どもが糞尿を垂れてもさほど違和感を覚えずにそのままになることで、特に親にはなかなかつごうのよいものだが、物が言えない赤ちゃんは内心どう感じているかわからないからだ。夫婦共働きがあたりまえの世の中になって、母親は幼い子どもを1歳から預けることも珍しくなくなっているが、そういう風潮も家内は気に入らない。もっとも、わが家では筆者が在宅で、家内が外に働きに出ていたから、子どもを無理して保育園に預ける必要もなく、4歳になってから地元の保育園に預け、筆者が毎日迎えに行った。だが、息子は保育園の記憶が人生最悪のようで、全く楽しくない場所であったらしい。その点も親は心に留めるべきで、同じような子どもが大勢いる保育園に入る方が、子どもが楽しい毎日を過ごせると思っているが、実はまだ意見が言えない子どもに親の勝手さを押しつけている。これは理想かどうかわからないが、子どもは生まれて小学生になるまでずっと親が毎日面倒を見られることがよい。ほかの子どもと遊ばせるなと言いたいのではなく、子どもにとって大人になってから大事になって来ることを、親の手間暇をかけてしっかりと身につけさせることが理想だ。具体的にどういうことかと言えば、まず思い浮かぶのは、親の目の届くところで勝手に遊ばせることだ。終日ぼやっとしていても全くかまわない。親はつかず離れずでその様子を見ているべきだが、それは自営業者にしか無理であろう。子どものひとり遊びの時間は大きな意味があると筆者は思っている。その次に大事なことは、本や音楽、図画など、大人向きのものを早い段階で馴染ませることだ。これは以前に何度か書いたが、ユルスナールは学校に行かず、父の蔵書に囲まれて育ったという。それで世界的な小説家になった。日本の定型化した幼児教育からはそんな破格の人物は生まれようがない。偉そうなことを書いているが、息子は親の思うとおりに育たず、むしろ親の反対ばかりをやり続けているが、それで息子が納得した人生を過ごせるのであれば、親としては文句はない。話を戻して、日本ではユルスナールのような子がいれば、まずいじめに遭い、また才能が認められないだろう。それで、どの親も芸術や文芸といったことは、ちょっとした趣味で、ないよりはあった方がよいとの位置づけとして考える。それよりも大事なことは、子どもの学校の成績で、医者にでもなってくれれば世間に自慢も出来、自分も認められたような気になる。そうそう、群馬の医大で同じ医者に手術を受けた人が相次いで死んだというニュースがあったが、医者は殺人罪に絶対に問われず、必ずみんなから感謝されるという自惚れを抱きやすいのではないか。そして、時にどうしようもない傲慢でまた技術のない医者が現われ、同じ失敗を繰り返す。そういう医者に遭遇するのも運命と思って患者は諦めるしかないのだろうが、筆者は命にかかわる仕事に携わらなかったことを幸運と思っている。健康は確かに何よりも大事だが、心の健康が肉体のそれよりも大事で、それには学校の成績だけではどうにもならない。無駄に見える文芸その他の芸術が、人を頑丈に支えることもある。
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 医者でなくても命にかかわる事態に遭遇することはある。学生時代に友人が、溺れている人を見かけると、何も考えずにまずは飛び込むと言った。筆者は泳げないため、そのように即座に意志を表明する自信はない。そこで筆者は誰かを呼びに行くと言ったが、それでは溺れている人は死んでしまう可能性が大きいから、筆者の考えは人間的な温かみに欠けるといったことを言われた。だが、溺れているわが子を助けようとした親が死ぬ事件は毎年必ず複数あり、泳げる人が溺れる人を助けることは思うほど簡単ではないようだ。そういう現実を持ち出すことで、筆者は溺れている人を見かけても自分では飛び込まないことを正当化しようというのではない。ただ、そういう緊迫した状態に遭遇した時、何が何でもまず自分が動いて助けるという自信があると問われると、正直な話、ないに近い。だが、それはそういう現場に遭遇しないことには誰にもわからない。必ず助けに行くと言っている人が、実際にはそんな行動を起こさない場合もあるだろう。そうそう、これは大昔の話だが、人命にかかわる緊迫した状態を眼の当たりにしたことがある。筆者に小説を書く才能があれば、いつか題材にしたいと思っている出来事と、それに関係する人物がいるが、ま、その人をHとしておこう。Hの年齢は当時40代前半だ。Hの家はかなり大きく、どういう事情か、筆者は小学校に入る前の年齢頃の1,2年間、Hの家の一室に母と妹ふたりとで間借りをしていたことがある。明後日が小学校の入学式という4月上旬、その家から出火した。筆者ら4人は玄関を入ってすぐの6畳間に寝起きしていたが、「火事やー」という大きな声で目覚めた。深夜の3時頃ではなかったか。はっきり覚えているのは、窓の向こうがメラメラと赤が動いていて、走り回る人影がいくつかそこに映っていた。すぐに母に表に連れ出され、真向いの家の玄関前に立ちすくんだところ、Hがどこからともなく現われた。そして、筆者の下の妹がどこに行ったかと訊く。母は火事で気が動転していて、筆者と上の妹は手をつないでそばに立たせていたのに、まだ1歳の下の妹がどこにいるのかわからない。慌てた母は燃え盛る目の前の家の中に置き忘れたかと勘違いした。すると、血相を変えたHはその家に走って戻った。その時はもう玄関の扉からもくもくと煙が吹き出ていて、とても中には入れない状態に見えた。Hはしばらく出て来なかった。待っている間の数十秒は長かった。ひょっとすればHは煙に巻かれて死んでしまったのではないかとさえ思った。Hが出て来た時は諦め顔に見えたが、もうその時には下の妹は向かい側の家のおばさんが抱いていることがわかり、Hは安堵した。なぜHは自分の子でもないのに、燃え盛る家に飛び込んだのか。それは、目の前で死のうとしている命は危険を顧みずに助けようという本能だが、実際はそれだけではなかったことを筆者は大人になって知った。ではHに打算があったかと言えば、そうではない。ここからは小説に書きたいことだが、Hはまことに罪深い人物で、筆者の後年にも何度か姿を現わす。Hは長生きして、嵐山のわが家にも二度やって来て家内とも面会したが、筆者にとっては恩人と言っていいかもしれないほどであるのに、筆者はついに好きになれなかった。むしろ、嫌悪し、恐かった。
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 さて、今日の本題だ。筆者は全く泳げないのに、少年補導委員の年一回の務めとして、松尾橋付近の水禍防止パトロールの役を3日前の日曜日に果たした。前にも書いたように、筆者は息子が数歳の頃に少年補導委員を1年だけ務めた。その時のメンバーはみな高齢になり、また本部役員となって毎年務めているが、筆者は今回も今年限りだ。少年補導委員は本部役員と、筆者のように1年限りの委員とで40人ほどいる。その役割は四半世紀前と全く同じで、月一度の夜回りパトロールと、夏休み期間中の週一回の夜回り、そして水禍パトロールに半日を費やす。そのほかにも地元小学校で開催される夏まつりに屋台を運営する役割もあるが、その夏まつりとその後片づけは7月31日の夜10時に終わった。つまり、その翌日の午前中に水禍パトロールがあって、連日少年補導委員として動いたことにるが、四半世紀前と違って、今年は月日の経つことが5倍くらい早いように感じる。それだけ筆者も老いたのだ。老いるほどに歳月の過ぎ去りを早く感じるというが全くそのとおりで、筆者は少年補導委員を5年くらい続けられるかと思うほどだ。水禍パトロールは桂川右岸つまり西京区にテントを張るが、右京区側ではパトロールはしないようだ。その代わりかどうか、昨日Fさんから聞いたが、嵯峨芸術大学前の広い河川敷で、200人ほどの嵯峨学区の児童がタイヤのチューブを浮き輪代わりにし、また救命胴着をつけて川中で遊んだそうだ。それを半ばうらやましそうにFさんは語ったが、西京区側でそうした川遊びをする場所は松尾橋付近しかなく、またそこは主に若者のバーベキューの場になっている。水禍パトロールの場所は、昔は松尾橋西詰めの上流側であったが、2年ほどから下流側の目立たない場所に移動した。上流側はフェンスで囲まれ、中に入れないようになったからだ。そのフェンスはこのブログの「駅前の変化」のカテゴリーの投稿しているように、河川の堆積土砂の浚渫をするために仮設の道路を河川敷内に設けたことによる。浚渫は今後何年か続く気配で、そのたびに重機が出入りする場所を確保し直すのは大変で、いわば常設の形でその重機進入に必要な面積がフェンスで囲まれて確保され続けている。そのため、川岸に下りてバーベキューする人たちはそのフェンスを越える必要があるが、淀川河川管理事務所はそういう人の行為を黙認している。1日は午後12時半頃にその事務所の人が3人挨拶にやって来た。少年補導委員たちと遠くにバーベキューをする人たちを見つめながら、「バーベキューはやってもらってもいいが、後の始末はしっかりやってもらいたい」と、半ば愚痴を言っていたが、バーベキュー客たちが散らかすゴミは水禍パトロールをする少年補導委員のひとつの役目でもあり、筆者は午前11時頃から小1時間、ゴム袋片手に煙草の吸殻やガラスの破片、プラスティックの破片、ビニール袋、花火の燃えかすなど、さまざまなゴミを集めた。あまりの炎天で、家に戻ると家内は筆者の首筋が真っ赤に腫れ上がっていることに驚いた。ゴミ拾いは孤独な作業で誰とも喋らないが、それが終わってテント下に戻った後、これまで夜間の簿パトロールでしか顔を合わさず、ろくに顔を知らなかった委員たちとじっくり話をすることが出来た。だが、それもその日のみで、また夜間パトロールでも本年度はもう数回顔を合わせるだけで、どこの誰かも知らないまま、少年補導委員としての役目は終わる。テントからは遠くにバーべキューをしたり、また子どもでも膝までしか水のない河川の中で遊んだりする人が見えていたが、本来なら水辺近くにテントを張って、溺れる者がいないかと注視すべきだろう。だが、子どもには親がついているし、膝までしか水がないから、溺れようがないと高をくくっている。そういう時に深刻な水難事故があれば、水禍パトロールの役目をさぼっていたと言われる。これまでそんな事故があったとは思えないが、去年大学生が川中で古釘を踏んだ。それを抜けばかえって具合が悪いだろうというので、釘が刺さった状態で救急車に乗せられて行ったそうだ。安全と思っていても、いつどんなことがあるかわからない。とはいえ、そんな危機感はさっぱりない水禍パトロールの半日で、筆者のやったことは、ゴミを拾ったことくらいだ。今日の投稿もそれに似て、ほとんどゴミ掃除と変わらない。頭の中の。
by uuuzen | 2016-08-03 12:10 | ●新・嵐山だより
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